【サン・シール陸軍士官学校③(Saint-Cyr Military Academy)】
通常半年に1回行われる定期テストが、俺の場合1か月間隔で実施される。
当然半年分の講義を俺一人の為に行ってくれるはずもなく、ほとんどが講義での解説はなしで、テキストだけの勉強になる。
しかもテキストは通信教育用には作られていない一般生徒向けのものなので、理解できない箇所は自分自身で調べる必要がある。
つまり、その分、勉強を習得する時間も長くなる。
実技や訓練も大変だ。
一応下士官教育を既に受けていて、重複するところは免除されていたからその時間を座学に当てることができたけれど、そうそう長くは続かなかった。
最も嫌だったのは移動の時。
訓練場までの移動という無駄な時間が掛る。
何もしない訳にはいかないので、トラックの車内で目を瞑り記憶を辿って復習の時間に当てた。
このカリキュラムをこなすために、今までの俺は自分の殻に閉じこもり、外部との接触は断つべきところ。
だけど現実は、なんとかギリギリのところで勉強のほうは追いついていて、外部との接触も断たずに普通の学生として暮らしている。
それはメリッサたちが、俺に気を使ってくれているから。
彼女たちは俺のために掃除の分担を変わってくれ、勉強がはかどるように様々な工夫をしてくれている。
しかし気を使ってもらったり、便宜を図ってもらったりして、相手に甘えていたのではお互いに良好な関係は築けない。
だから俺は最初の1ヶ月目を無事に乗り切れた時に、それらの行為を受けるわけにはいかないと思い、断ろうかと迷っていた。
「考え事かね?」
講義の合間、中庭の芝生の上に座りクヨクヨと考えていた時、不意に後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこに居た初老の男性はジャケット姿だったので、誰かの保護者だと思って聞いた。
「貴方は?」
「はじめましてナトー。当校の総長を務めるジョルジェ少将です」
総長と言うのは、一般的に学長や校長にあたる学内で一番高い位の人物。
「すみません。総長とも知らずに“貴方は”などと気安く声を掛けてしまって」
「構わんよ。学校を管理するだけの名誉職みたいなものだからな」
「いえ、そんな」
実際に総長がどんな仕事をしているのか興味もなかったので、良く知らない。
だけど、このサン・シールで一番偉い人だと言う事だけは分る。
ジョルジェ総長は俺の隣、芝生の上に座った。
「すみません。ベンチにいきますか?」
「構わんよ。戦地なら泥の上でも座らにゃならん」
シジュウカラの群れが校舎から、森の方に楽しそうに飛んでいくのが見えた。
「……失礼ですが、どうして俺の名前を?」
「そりゃあ、3年の課程を半年で叩き込めという無茶苦茶な依頼をされれば、どんな生徒かと私じゃなくとも興味は沸く」
「すみません。でも誰がそんな馬鹿な依頼をしたのですか?」
「馬鹿な依頼……」
総長は俺の言葉を小さく復唱してクククと笑った。
「すみません」
「構わん。本当に馬鹿な依頼だったのだから。しかし依頼主も今頃腰を抜かして居ることだろう」
「それは、どうして?」
「今頃は1ヶ月目の成績が依頼主のもとに届いておる。俺も驚いたが奴等はもっと驚いているだろうな」
「と、言うことは依頼主と言うのは、フランス外人部隊ではないのですね」
「当たり前だろう。誰が優秀で可愛いお前さんを“落第したら除隊”と言う条件で、こんな無謀なイベントに送り出す?そもそもトライデント少将も事務長のテシューブ君も、この件には大反対だったのだが……ところでナトー君、よく依頼主が外人部隊以外だと分かったね」
「だって外人部隊の人たちなら1ヶ月目の試験を乗り越えたのを知ると、驚くよりも先にホッとするでしょ?」
「さすが、奴等に目を着けられるだけの事はある」
「奴等とは誰です?」
「俺が教えるより、あと2か月も経てば向こうから痺れを切らして交渉に訪れるだろう」
「分かりました」
「それよりナトー君、よからぬ噂を耳にしているのだが」
「なんでしょう?」
「君の事を一部の生徒の間では、良く思われていないと言う噂だ。なんでも年下のくせに生意気で横柄だと言う話しは教師からも聞いているが本当か?正直に答えてくれ」
「いえ、俺は特にそのようなつもりは有りません」
「なにか、それについて身に覚えのある事は?」
「ありません」
ヴィクトルたちに襲われたが、それは彼らの名誉のためにも伏せておいた方が良いと思って言わなかった。
教師から報告を受けているだろうから、実例を挙げるまでもなく、男子生徒からの評判が悪いのは確かだから。
「君は実に優秀な生徒だが、かつてない程、酷い生徒だ」
“酷い生徒!?”
「素行が悪いのなら退学の対象にもなるから、問題ない。だが気にしない人は何も言わないだろうが、気にする人には忌々しいことこの上ない。厄介な悪だ」
「厄介な悪……俺の何がいけないのですか?」
「俺」
「俺?」
「君の使っている言葉は全て“男言葉”ですね。まあ外人部隊内でも君を雇用するにあたって“女性とみなさない”と言うことで雇っているので、男言葉は当たり前なのかも知れないが、部隊内でトラブルとかは無かったのかね?」
トラブルは無くもない。
コンゴへ派兵した時のニール中尉やソト少尉、それと実際に小競り合いになりかけたヴィバルディ軍曹などとは雰囲気が悪かったが、それを部外に漏らすことはイケないので黙っていた。
「まあ、あるだろうね。普通に年上や階級が上の男性から見れば、年下の女性に男言葉で話してこられたらムッとするだろう」
ハンスが言っていたことと同じだ。
でもハンスは、そのために士官になれと言ったが、ジョルジェ総長は“男言葉を直せ”と言う。
“何故?”
「例えばさっきの言葉で説明すると、上官に対して“私の何がいけないのですか?”と問えば、指摘された事を直そうと言う意思を素直にくみ取る事が出来る。だが“俺の何がいけないのですか?”と問われると、まるで自分が悪くないと思っていることを、相手に指摘された“抗議”とも聞き取れる」
「俺は、そんな……」
「分かっている。だが、分からない人には分からない。士官の任務は何かね?」
「! 部下に任務を正確に伝える事。そこに齟齬があってはならない」
(※齟齬=物事がうまくかみ合わないこと。食い違うこと。ゆきちがい)
「あともう一つ注意しておくよ」
「はい」
「一所懸命もいいが、結果だけに捕らわれず、学校と言うものを楽しみたまえ」
「学校を楽しむ……」
「そう。学校と言う場所は頭や体力を鍛えるだけの場所ではなく、出会いと絆を深める場所でもあり、寧ろその方が将来役に立つのだよ」
ジョルジェ総長は、そう言うと芝生から立ち上がり校舎に戻っていった。