【三人目の狙撃手④(Third sniper)】
奴はナイフを取り出した。
おそらく振り回すだけでなく、突いたり投げたりと、特殊部隊ならではの厳しい訓練も受けているのだろう。
だから、お遊びはここまで。
下手に遊んでいると、大怪我をしてしまう事になりかねない。
だがナイフを手に取ったのは彼の大きなミスだ。
私なら、ナイフは使わない。
何故なら物を握った手は動きが鈍くなるし、まだ彼には見せていないが護身術では嫌と言う程ナイフを持った相手への防御を叩き込まれているから。
ナイフを使うには、相手の技量を見定めて使う必要がある。
護身術は子供のころから義父のヤザや、その後に拾われた赤十字難民キャンプでサオリに、みっちり指導を受けた。
もちろん外人部隊に入ってからも訓練は絶やさない。
男がナイフで威嚇してきた。
さすがに素人ではなく、用心深く鋭い動作。
下手に手を出すと、ナイフを取るはずの手が逆に引き千切られそうだから、ここは時間をゆっくり使って相手が焦せって出て来るのを待とう。
小刻みに振られるナイフに怯えて近寄る事が出来ない素振り。
下がる私を、追い詰めようとする男。
私は靴の爪先で土を穿りながら後ろに下がる。
はじめのうち男は不思議そうに、それを見ていたが、私の意図が分かったのか薄ら笑いを見せた。
その男の目を見て私も分かった。
男の目的は、私をナイフで刺すことではなく、追い詰めながら地面に転がっている自分の拳銃を拾う事。
そのルートに沿う様に、見事に私の下がる方向をコントロールしている。
狙撃の腕も確かで、コマンドサンボの使い手。
ナイフの扱いにも長け、顔面にまともに蹴りが入ってもビクともしない体力も持っている。
この男は完全に特殊部隊の人間だ。
男を威嚇して蹴りを出すが、高く上げるとナイフで切られる恐れもあるので、低く小さく出す。
やはり、その都度、ナイフで脚を威嚇して来る。
男が私の蹴りに気を使っている隙に、何度かナイフを取ろうと手を伸ばしたが、逆に威嚇されてしまい取る事が出来ない。
“いいぞ、もっと集中しろ……”
ザクッ。
待っていた音を合図に、正面から男の顔に向かって足を蹴り上げる。
だが蹴る事が目的ではない。
目的は……。
「わあっ!」
男が叫んで片肘を上げて目を覆った。
私の蹴り上げた靴の爪先に乗っていた砂が目に入ったのだ。
極度の集中により、瞬きを忘れた眼は乾ききっている。
そこに砂が入ったのだから相当痛いはず。
人間にはどんなに鍛えられた奴でも、鍛えられない部分が何カ所かある。
その中でも最も脆弱な箇所が、目だ。
鼻や睾丸は最悪手術で取り除けば、弱点としては消滅するが、目だけはどうしようもない。
しかも今まで、眼球を埃や塵から守るための涙が、瞬きをしていなかった為に出てなかったのだから尚更。
男が目を閉じている隙に、素早くナイフを取り上げて、カニばさみで倒し馬乗りになる。
見開いた男の目は充血して真っ赤で、砂を吐き出すために一気に涙が溢れ出てグチャグチャだから、まともに何も見えないだろう。
馬乗りになった姿勢から、奪ったナイフを振り上げて一気に男の左胸を目掛けて振り下ろす。
「ジーナ!!」
男が女性の名前を叫ぶ。
きっと恋人の名前だろう。
グサッ!
ナイフが男の胸に突き刺さる。
興奮して鍛え上げられた肺が、筋肉ごと押し上げて激しく上下している。
男の胸に刺さったナイフを抜き取って、付着した汁を舐める。
「なかなか、いい味だ。甘い」
男が驚いた顔で私の顔を見上げる。
「ジーナが作ってくれたマーマレードか?」
「……」
「そんなに恋人を大切に思うなら、二度と戦場に身を置かない事だ。今回はジーナがお前に持たせたこのマーマレードの瓶がお前を守ってくれたが、この奇跡はもう二度とないだろう」
馬乗りになっていた体を起こし、男の手に鉄の蓋がナイフで切り裂かれた瓶を手に握らせる。
「さすがナトー中尉」
「オメーも良い敵に会って命拾いしたな」
モンタナとトーニ、それにT-5000を手にしたブラームとフランソワが周りを囲む。
「さあ起きろ」
手を差し出すと、男が「何故殺さなかった」と聞いてきた。
「私は、お前を殺す気だったが、ジーナがそれを許さなかった。お前もようやく自分の気持ちに気付いたのならスペツナズなど辞めた方がいいだろう」
「何故、それを……」
「ナトーは神だからだよ」
「神……死神なのか」
「馬鹿野郎!戦術の女神アテナだよ!」
「お、女なのか」
「ああ」
「何故、俺がジーナからもらったマーマレードを持っていることを知っていた?」
少し小さく咳払いをして、仲間に聞こえない様に小声で答えた。
「女は男に比べて嗅覚が鋭い。だからジーナと結婚しても、絶対に浮気などするなよ。直ぐにバレるから」
「有り難う。大切にする」




