【アレキサンドル・ネフスキー大聖堂(Alexander Nevsky Cathedral)】
倒したのはセルゲイではなかった。
トーニに縛ってもらっている間に、所持品をチェックしたが、拳銃以外に特に何も持っていなかった。
気絶した奴を起こそうとしたが、ノーガードで私のキックをまともに食らったあと、壁にも頭を打ち付けてしまったため完全にグロッキー。
これ以上、気絶している頭を揺さぶれば、後遺症も出かねないので止めた。
下水道は海岸と街の方に伸びているから、ここでの選択肢は簡単。
私たちは街の方に向かった。
200mほど坂を下ると下水道は川に突き当たった。
川の向こう側にも、もう一本の下水道がこっちを向いていた。
「折角お天道様に会えたと思ったら、また下水道か」
トーニが詰まらなそうに言うので、もう入らないと告げた。
「入らないって?でも、それじゃあ敵の隠れ家は分んねえ……っと言うことは、もう目星を付けたってことだな」
「まあな。恐らく、このまま下水道を使って進むと既に到着している敵が待ち伏せているはず」
「待ち受けているって?」
「ああ、ステラが追っていて海岸線のロシア教会付近で見失った奴だ」
「そいつがセルゲイなのか?」
「いや、おそらく冴える芸はメリッサが追っていた、北のアルメニア教会付近で見失った奴だろう」
「なんで分かるんだ?」
「それは奴等が消えた場所が全て教会の近くだからだ。つまり古い教会の傍には必ず今は使われていない下水道が通っている。そして散会した敵は、その下水道を通って再び集合する」
「と、言うことは散会した中心にある教会こそ、奴等の隠れ家なのか」
「ああ、でも教会自体は隠れ家じゃないし、中心と言うわけでもない。兎に角それを確かめるために行ってみよう」
人が溢れる街を歩いていると、教会のお祈りの曲が聞こえてきた。
「トーニ、聞こえるか?」
「ここか!?」
「おそらくな」
「私が行ってみる間、トーニは中に入らずに外で見張っていてくれ」
「嫌だ。俺も行く」
「駄目だ!もしセルゲイが居たら、今度は撃たれる!」
「なら、尚更防弾チョッキを着ている俺様が役に立つはずだぜ。それに、もう一度言わせてくれ“俺の大切なナトーを俺に守らせてくれ”」
頑なに拒んでいたナトーの顔が、トローンと一瞬甘くなるのが分かって焦った。
コイツ、日頃はとてもクールを装っているが、メチャクチャ甘えん坊なのかも。
俺の一言が効いたのか、ナトーは一緒について行くことを許してくれ、一旦教会に踏み込むことをハンス隊長に告げて門を潜った。
広い境内に人影はなく、2つの胸像が私たちを見つめていた。
「誰だ、これ?」
ひとつは、この大聖堂の名前の主である中世ロシアの英雄アレクサンドル・ネフスキー。
もうひとつは1917年の二月革命のあと、若干13歳という若さで処刑されたロシア帝国最後の皇太子アレクセイ・ニコラエヴィチ。
有名なアナスタシアの弟だ。
彼は生前ベルギー、イギリス、フランス、日本、イタリア、セルビアの軍隊を好んでいて、ロシア帝国から上等兵の階級が与えられていた。
「へえ、俺よりも一回りも年下なのに上等兵たあ大したもんだな」
「階級なんて何の意味もない。軍人にとって大切な事は死なない事だ」
「降伏しても構わないのか?」
「ああ、降伏は恥ではない。嘘の情報を流したり脱走して後方を撹乱したり、そのまま居座っても食料や見張る兵隊が必要になるだろう?」
「ナトーから、そんな言葉が出るとは思っても居なかったぜ。俺は玉砕派かと思っていた」
「馬鹿な、戦争はそう長くは続かない。軍人は死ぬことが仕事じゃないし、普通の人間だ。生きて故郷に帰ることこそ、人として一番重要な事で、生きていれば家族に会える」
「だな」
「だから、トーニも無茶はするなよ」
「わかった」
「絶対だぞ」
「ああ、絶対」
「本当?」
「本当だって」
「じゃあ、約束して」
「約束する」
「そんなのは駄目だ……」
「駄目??」
ナトーが俺の服の袖を摘んで、建物の陰に連れて行く。
何かあるのかと思って、引かれるままに付いて行くと5mくらいのクリスマスツリーみたいな木の裏に俺を連れて行き、重要なことは言葉だけでは駄目だと言った。
文章で提出しろと言うことなのだろうと思って、何か書くものを探して服やズボンのポケットを探したが、私服なので手帳もペンも持ち合わせていなくて困って居るとナトーの様子が何やらおかしいことに気がついた。
なんか分からねえけど、妙に熱っぽい。
「どうした。熱でもあんのか?」
「バカ……」
少し伏目がちにすると、長いまつ毛の奥に見える大きな瞳がクラクラするほど色っぽく見えるのは俺の妄想なのか?
なのか?じゃなく妄想にちげえねえ。
あのナトーが作戦中に、変な気を起こすなんてあるえねえ。
でも、さっきは車の中で……。
いや、あれはグズっていた俺の機嫌を治すためにした苦肉の策だ。
おいトーニ自惚れるんじゃねえ!ナトーは俺にとって所詮は高嶺の花。
どんなに仲良くしてくれても、それはアイツの性格が良いからに他ならねえ!
勘違いすんなトーニ!
“色即是空‼”
俺は目を瞑って、以前ナトーから教えてもらった煩悩を払いのける“おまじない”を心の中で叫んだ。
叫び終わったあと、目を開けると。
何故か目の前にあったのは、つい今しがたの俺と同じように目を瞑っているナトーの顔。
こころなしか唇が突き出しているように見えるのは、俺がまだ煩悩を振り払えていない証拠なのだろう。
だから、もう一度目を瞑って、おまじないを唱えた。
〝色即是空!″
しかし、その“おまじない”は、意外にもナトー本人によって破られた。
俺の唇に、ナトーの熱い唇が触れる。
おおおおおおお‼
マンマミーア‼
なんてことだ!
27年間まともに生きて来て良かった。
まさか神様から、こんなご褒美が貰えるなんて。
俺が抱きしめようと企んだ一瞬先に、ナトーは体を離して言った。
「決して無茶はしない約束の証だ」と。
「ああ、無茶はしねえ」
どうやらナトーは何かを察しているに違えねえ。
そりゃあ相手がセルゲイだから1度は出し抜いたが、そうそう上手くはいけねえことは俺だって少しは分かる。




