【ハンスと倉庫で……③(In Hans and the warehouse …… )】
会議室のある3階に着くと、呼吸を整えるためにお互いに何も言わずにゆっくりと歩いた。
扉の前に来て立ち止まりお互いの顔を見合う。
ハンスの真面目くさった顔を見て、思わず口角が上がってしまう私を、怒った顔で睨まれて余計可笑しくなる。
上がった頬を摘ままれて、2人で深呼吸をしてドアをノックした。
「ハンス大尉、ナトー中尉の2名入ります」
「入ってよし」
ハンスがドアを開ける。
隙間から漏れ出て来る光を、何故か不思議な思いで眺めていた。
部屋に入ると、コの字に並んでいた机の配置がロの字に変えられてあり、その1辺の椅子が2つ開いていた。
「座り給え」
トライデント将軍に促されて2人同時に座ると、軍事省の人が義勇軍について説明を始めた。
義勇軍の派兵に関しては、ウクライナ当局の承認も受けており、ウクライナ軍指揮下に入ることが決まっている。
とりあえず義勇軍の第1陣は外人部隊から精鋭を募り、次に一般兵、それ以降は国軍からも募る。
ただし国軍からの志願兵の派兵は第3陣以降となる。
これは国民兵と言う性質上、いくら義勇軍と言え国民感情を無視して戦地に赴かせるわけにはいかないという政治的理由。
「つまり、外人部隊が担当する第2陣までに何らかの成果を上げなければ、増員は無いと言う事ですね」
「その通り。いつも臭い仕事ばかりで申し訳ない」
「いえ、それが嫌なら誰も外人部隊には入りません」
「有り難う。期待しています」
「准将にそう言われると恐縮ですが、うちの精鋭は屹度准将の予想を超えた働きをすることでしょう」
口角を上げた准将がチラッと私を見たが、2人のやり取りを聞いていて、やはりハンスは凄いと思った。
階級が違っても臆することなく話が出来るだけではなく、相手の立場を慮った会話の中にあっても決して仲間たちの栄光に傷をつけることはない。
「では、我々フランス外人部隊が栄誉ある先陣を切る事になる義勇軍について説明をします」
何故か事務長のテシューブが、義勇軍について語り始めた。
長い話になりそうだと思って周りを見渡すと、エマの視線とぶつかった。
部屋に戻ってから、ずっとエマの視線が気になっていた。
最初にこの部屋に入った時は、いつも通りのエマだったのに、一旦退室して再びドアを開けて入って来た時から様子がおかしい。
まるで楽しいことがあった時の様に、ウキウキした目で私を見ている気がしてならない。
“私たちがいない間に、なにか面白いことでもあったのだろうか?”
それにしてはテシューブにしてもニルスにしても普通っぽい……。
“!!”
私たちがいない間に何か起こったのではない!
私たちがいない間に起こしたことだ!
しかも、それは私とハンスが起こしてしまったこと。
さっきの清掃用具置き場となっている倉庫での情事……。
ここに来る前にトイレに寄って綺麗にしたし、濡らしたハンカチで汗を拭きとった。
更に偽装工作として、思いっきり走ってここまで来て、新たな汗を上乗せした。
エマに視線を合わせずに、彼女が今私のどこを見ているのか探る。
“首!”
そう言えば首にキスをされた。
舐めるような優しいキスだったので痕は付いていないだろうと思っていたから、トイレでも軽く確認した程度だったのがマズかった。
特に弱い耳の後ろ側なんて暗いトイレの照明では見えにくい。
ズボンのポケットから、小型のコンパクトを掌に隠し持ち、気付かれないように机の下で鏡の位置を自分の耳元に合わせる。
特に何も痕が付いている様子は無い。
“匂いなのか!?”
少し肘を上げ、脇に隙間を造って、下を向く振りをしてクンクンしてみるが何も匂わない。
反対側も同じようにして確認してみたが、こっちも一緒。
あとは、下……。
露骨に頭を下げるのも変だからソーッと手を下に降ろしズボンの上から触り、それを鼻に近づけて鼻をすする振りと合わせて臭いを嗅いでみた。
こっちも何も問題ない。
ウォシュレットで洗う時に、洗面所に備え付けのシャボネット石鹸液を少し使ったので、そのフローラルの匂いが微かにするだけ。
(※一般的に海外のトイレには日本の様に手洗い場に石鹸が置いてあると言う事は先ずありませんが、これは外人部隊に所属する日本人隊員が衛生面の事を考えて設置したと言う架空の設定です)
いったいエマは、どこに気が付いたのだろう?
一連の確認作業を終えて顔を上げると、エマは今にも吹き出しそうなくらい目が三日月に変形して、しかも涙で潤んでいた。
“しまった!罠だ!!”
エマは最初から知っていたのではなく、“ある”可能性をもとにして知っている素振りを見せていたにすぎない。
なにも後ろめたいことがなければ“変なの……”と思うだけの仕草なのに、後ろめたさがあるが故に原因を探してしまったり、バレない様に隠そうとしてしまったりしてしまう。
つまり私は、エマの仕掛けた罠に、まんまと引っかかってしまったのだ。