【ブレジネフの死①(Brezhnev's death)】
ブレジネフのアパートの近くに車を停める。
豪華でもなく貧弱でもない普通のアパート。
環境はパリに比べて良くて、道の脇にスンナリ車が置けた。
「普通ね」
「そりゃあ公務員なんだから、暮らしは普通だろうぜ。いやウクライナだと国民の平均年収より少し少ないかもな」
「そうだな、大体の国の公務員給料は、軍人も含めて国民の平均年収に合わせているからな」
「トーニちゃん、稼ぎたいのなら日本に行って公務員になるといいわ」
「そんなに良いのか!?」
「実態は知らないし、資料によって違うけれど国民の平均年収の1.5倍~2倍と言われているわよ」
「凄いな!」
「凄いって、アンタ達だって国軍から見れば凄いお給料なのよ」
「そりゃあ、俺たちを危険な所にばっかり行かすからだろうが」
「そうね。私たちのお給料を上げているのは、死と引き換えになる危険手当があるからだものね。これが無かったら……」
「そんなの無い方が良いに決まっているだろう。くだらない話は止せ」
トーニとエマの話しを聞いていて、サラの事を思い出してしまい、自分に腹が立った。
病院での健康診断が終わったあとにサラとレストランに行ったとき、サラからお金は大切だと言われてPOCに誘われたときに私は贅沢には興味がないと偉そうに言った。
しかしそのあと自分が傷付けた兵士に高度な医療が必要だとサオリに言われ、到底外人部隊で貯めた金など何と役にも立たないと分かっていながら払いたいと申し出たとき、既にそのことが分かっていたサラが100万ドルも出してくれていた。
戦争とは言え、人を傷付けたり殺したりすることは、その人の人生を無茶苦茶にするだけでなく残された家族の人生も変えてしまう。
色々なサポートの仕方が在るとは思うが、生きて行くためにはお金は必ず必要になる。
それなのに自分が傷付けてしまった人の人生を支えるために必要なお金も持っていなかったなんて……。
「やあ、遅くなりました。張り込ませていた部下の情報によると、やっこさんは昨日の晩から外に出た形跡は無いようです」
約束の時間に遅れたわけではないが、コヴァレンコ警部がそう言って連れて来た警官たちを配置につかせた。
アパートの外に2人、車の中に2人。
アパートの入り口に2人と、その奥の階段室に2人。
更に部屋に向かう私たちに2人が付いて来る。
「ブレジネフに話を聞くだけなのに、チョッと大袈裟じゃねえか?」
たしかにトーニのいう通りかも知れない。
だがブレジネフがセルゲイと繋がっていたして、この行動が読まれていたとしたらこれでも少なすぎるが……。
1階の管理人さんに立ち会ってもらう様にお願いして、階段を登り4階のブレジネフの部屋の前を目指す。
「I know there is Brezhnev, why do I need a keeper?(ブレジネフが居ることは分っているのになんで管理人が必要なんだ?)」
トーニが英語で聞いて来る。
「As a precaution when the door does not open(ドアが開かない時のためだ)」
「But he is inside(でも中に奴は居るんだぜ)」
「Sometimes you can't open the door yourself(自分でドアを開けられない場合もある)」
「No way……(まさか)」
トーニが英語を使ったのは、話の内容を管理人に悟られないため。
今でこそ世界共通語みたいに威張っている英語だが、東欧諸国では公共機関の看板などには記載されているが、ほぼ使われることがない。
特にこの一帯で通じ易いのはロシア語、ドイツ語、フランス語の順。
ヨーロッパ全土に拡大しても、その順位は変わらない。
何故ならヨーロッパにおける英語使用国は、島国のイギリスだけだから。
特にウクライナの中高年では英語が全く話せない人が多い。
コンコン。
4階に到着してコヴァレンコ警部が、部屋のドアをノックする。
「ブレジネフさん、キエフ警察のコヴァレンコですが、少しお話を伺いたいのでドアを開けてください」
コンコンコン。
「ブレジネフさん!?」
いくら呼んでも、中から返事はないので管理人さんに鍵を開けてもらう。
その間に私は、最悪の場合を想定して用意していた物を取り出して、コヴァレンコ警部に渡す。
「これは……?」
渡したのはビニール製の手袋と靴のカバーで、私も装着して念のために拳銃も持ち、中の様子をエマに伝えるため携帯でムービーを送れるようにした。
ドアが開き、コヴァレンコ警部と2人で部屋に入る。
殺風景なくらい、良く片付けられた部屋。
まだ赤十字難民キャンプに居た頃にミランのテントに入った以外、男性の部屋と言うものに入ったことは無いが、こんなに整理整頓されているものだろうか?
しかも原子力保安員と言えば技術職。
同じ技術職で医者のミランのテントは、本で散らかっていた。
私の部屋に似ているが、私の場合いつ部屋に戻れなくかと言うことを考えた上で余計な物を買わず部屋もいつも片付けているのだが、そういう生活をしていない公務員としてもエリートな部類にある人間の部屋としてはかなりの違和感を覚えた。
もしかして我々の部隊に同行する時に、既に死を意識していたのか?
キッチンの換気扇が回ったままだが、微かにアンモニア臭がする。
部屋の奥に進むとベッドの上で寝ている姿のブレジネフが居たが、さすがに叩き上げのコヴァレンコ警部は、もう名前を呼ばずに手で十字を切っていた。
枕元にはウォッカの瓶が2本。
一応脈を診たが、冷たいその肌にはもう脈は無く、死後硬直が始まっていた。
「自殺ですかね?」
まさか現役のベテラン刑事から死因を聞かれるとは思わず、一瞬戸惑ったが「さあ」とだけ曖昧な返事をした。
キッチンには使い終わったコップや皿がシンクに置きっぱなし。
シャワー室の壁には、カビが付いて黒いシミになっている所が何カ所もある。
便座も最近洗われた形跡は無く、洗濯機の中には洗う前の衣服が沢山突っ込まれたまま。
靴箱の中は汚れていて、靴も綺麗に揃えられている訳ではない。
なのに部屋と床だけは、大掃除でもしたように綺麗。
”大掃除の途中で寝てしまった?”
だがゴミ箱にはゴミは少ししか入っていない。
〝死因は何だ……?″




