【腹痛トーニ②(Abdominal pain Toni)】
「なんの電話だ?」
「コヴァレンコ警部に、ある事を頼んでいました」
「言っておくけれど、俺たちは治安維持の目的で来ている。勝手にスパイごっこは出来んぞ」
「分かりました」
「ならいい」
むろん私も、そのことは分かっているつもり。
ただ、有耶無耶にしたくないだけ。
誰が処理するのか、それとも誰も処理しないのかは分からないけれど、いま調べておかなければ後に回すと謎を解くのが厄介になるから調べているだけのこと。
ハンスは一応釘を射したと思って満足した様子。
ところが2本目の電話で、その雲行きは一瞬にして危うくなる。
「はい、フランス外人部隊司令部、ナトー中尉が承ります」
<ああ、ナトちゃんお疲れ様。ハンス少佐は居る?>
「確認しますので、少々お待ちください」
電話の保留ボタンを押しハンスにDGSEに復帰したエマ少佐からだと言うと、指令官室に繋ぐように指示して部屋に入り、私は言われるまま司令官室のナンバーを押し転送して事務処理に当たっていた。
別に聞き耳を立てていたつもりはないが、司令官室から聞こえるハンスの声が少しずつ大きくなっている。
どうやら揉め事のよう。
DGSEはフランス国外での情報収集と、国益を守るための機関。
ハンスの声が荒ぶれるとすれば、なにか問題が発生して協力を要請されていることに他ならない。
本国にはLéMATや国軍の特殊部隊も居るので、わざわざハンスに頼む必要もない。
となると地域はこの一帯で、作戦内容は我々の受け持っている任務に近い内容。
おそらく私の探っていることが役に立つはずで、エマのことなら屹度……。
「ナトー!」
思った通り、ハンスに呼ばれた。
もう直ぐDGSEのエマ少佐が、空港に到着するから迎えに行ってくれ。
「了解しました!」
私が司令部棟から外に出ると、丁度病院に行っていたトーニの車が正門から入って来たので借りることにした。
「腹具合は、どうだ?」
「どうも感染性胃腸炎らしい、抗生物質を貰ったから、水分補給を確りしてしばらく静養すれば治るってさ。ところで、どっか行くのか?」
「ああ、空港までエマを迎えに行く」
「じゃあ乗れよ。俺が連れて行ってやる」
「しかし、しばらく静養しなくてはいけないんだろう?」
「医者は、だいたいそういうことを言うもんだ」
「でも……」
「しかしも、でももねえ。サッサと乗れ!」
「ハイ」
珍しいトーニの強引な口調に、隙を突かれてハイと素直に返事をして助手席に乗ってしまう。
考えてみれば、戻って来たトーニに声を掛けたとき……いや、トーニの車が目に入った時から、こうなることは分かっていたのかも知れない。
空港に到着すると、直ぐに到着ロビーからエマが出て来た。
「あら、カップルでお出迎え。いつも仲が良いのね」
エマは私たちを見つけると、直ぐに揶揄ってきた。
「バッキャロー、俺は護衛兼運転手に決まっているだろうが。将校が外出する時に1人で行かす軍隊が、どこにあるって言うんだ。それに迎えるのが佐官なら、尚更だろう?」
「まあ、それはそうね。お昼は食べたの?」
ムキなって答えるトーニを軽くあしらったエマが、食事に誘う。
「すまない、さっき食べたばかりだから、軽い物なら大丈夫だけど」
お昼に部隊を出て、ここまで直行して来たから本当は昼食なんて食べていない。
けれどもエマはコッテリしたものが好きだから、一緒に食べるとお腹を壊しているトーニの体に悪い。
もちろん体調が悪いのなら、軽い物で済ませれば何の問題も無いのだけど、トーニは男だからモリモリ食べる女性の前で軽い物なんて注文しないだろう。
無理をして消化の悪いものを食べれば、またお腹の調子が悪くなってしまうので、食べて来たと嘘を言った。
「……そうね、私も機内食がまだ胃に残っているから、軽くて消化の良い物がいいわ」
朝の便だから午前10時過ぎには機内食は出されているはずだから、既に食べてから4時間近く経っている。
この大食漢のエマなら、4時間も経てば胃の中は空っぽのはず。
これは屹度、私の下手な嘘を見透かされたに違いない。
喫茶店で軽くパンとサラダを食べて基地に戻り、司令部に入ったエマが要件を告げる。
「ナトちゃんには、新しい任務に協力してもらいたいの」
「新しい任務って?」
「まだ黒幕を捕まえていないでしょう?」
黒幕とは、姿をくらましたセルゲイ大佐のこと。
一応、公に奴が黒幕であることは分かってはいないし、ウクライナ政府としてもLéMATや他の治安維持活動に協力してくれた海外の部隊も、治安が良くなれば特に犯人を捕まえることなどどうでもいい。
と言うよりも、犯人を捕まえる権限は無い。
だがDGSEは違う。
例え国外であろうが、大切なフランスの人材を殺めた事に変わりはないし、そのフランスの国軍に対して牙をむいた人物を放っては置けない。
私は直ぐにハンスの顔を見た。
「テロは今急速に鎮静化されつつあるが、その元凶を摘み取らなければいつまた燻っていた火が燃えだすか分からない。スウェン少尉をはじめ、亡くなったり怪我をしたりした仲間の仇を打ってやれ」
「承知しました!」
ハンスが乗り気でないのは分かっている。
だから、エマから電話がかかって来たときに、声を荒げていた。
でも、セルゲイ大佐が居る以上、この戦いは終わらない。
その事も分かっているから、渋々承諾してくれたのだ。




