【ニケ⑤(Winged Victory)】
「お願い、社長には内緒にして」
「そうは、いかんだろう。留守番とは言え会社のパソコンでゲームをするなんて、重大な規律違反だ」
「すみません。もうしませんから。だから社長には内緒で……」
「いけない娘だ」
言いながら奴は手を私の腰に巻き付けてくる。
「嫌っ、な、何をするんです!」
前屈みになり胸をガードすると、奴の手は突き出す形になったお尻を這ってきた。
「やめてください、大声を出すわよ!」
「こんな時間に大声を出したって誰も来るものか」
ガツン。
誰かが投げた石が倉庫の壁に当たる音がして、奴は咄嗟に離れた。
「他にも誰か居るのか!」
「し、知りません!」
奴が私を睨んだとき、外で大きな声がした。
「この病原菌野郎!」
「停止! 这个混蛋!」
ヤザとガモーの声と、走り去る2つの足音。
「ちっ、中国人か。今頃はどこの国でも居やがる……まあいい」
2人のおかげで奴は私から離れて監視カメラの方に向かった。
「携帯のマイクロSDを切らしちまってな、こんな夜だからもう店は開いていない。口止め料として拝借する」
奴は器用に監視カメラのカバーを開けて、記録用のマイクロSDカードを抜き取ると、それをポケットに入れた。
「困ります」
「なぁ~に、監視カメラなんて只の飾りもので、誰も記録画像なんて見やしないさ」
奴はそのまま、また来ると言って外に出て行った。
「馬鹿野郎!何やっているんだ、男の扱い方も知らないくせにエマやターニャのマネなんかしやがって!」
奴が出て行ってしばらくしてから、ヤザが血相を変えて怒鳴り込んできた。
ちなみにターニャとはサオリの事。
「ヤザの言われる通りやがな、もしワシらが来ぃへんかったら、あんさんどないするつもりやったん?」
ガモー言葉は難しいが、こっちも私の行いを注意して心配してくれている事だけは分る。
「すみません」
謝るしかなかった。
たしかに私は女性として、サオリやエマには到底及ばない。
部隊で男の中に混じって上手くやっているが、それはお互いの信頼関係が築けているからであって、エマの様に敵対する者に対してまで上手くは出来ない。
上手になるためには経験が必要なことは分っているが、やはり私には出来そうにもない。
「餅は餅屋やで」
これは、物ごとにはそれぞれの専門家があり,素人の及ぶところではない。と言う意味の、ことわざ。
落ち込んだ私に、ガモーがフォローしてくれ、気持ちを直ぐに切り替えデスクに付いて表示画面を切り替える。
「ユリア、その後どう?」
「車の方は、あれから56号線を南に下り、イヴァンキフの手前5km付近の路肩に止まったままよ。そっちは、どう?」
「予想通り奴は監視カメラに気付いて、そこからマイクロSDを取り出したから、今GPSで奴の足取りを追っている」
「じゃあ、そっちに戻るわね」
「戻るって、車の方もまるっきり白とは限らないだろう」
「大丈夫、それはこっちで引き継いでおくから、ナトちゃんは心配しないで」
ユリアは、言い終わると、無線を切った。
今回の作戦は人手が掛かる。
猫の手も借りたい状況の中、無理を言って非戦闘員のヤザとガモーそれにユリアに協力してもらっていると言うのに、まだ他にドローンの操縦手が居ると言うのか?
マイクロSDが発進する電波を捕えてユリアのドローンが追跡を開始すると、奴はメドビンとホルノスタイピリの中間地点にある家に入って行った。
おそらく、ここにチューホフの家族が捕えられているに違いないが、まだ確証はない。
あとは奴が持って帰ったマイクロSDの画像を確認するために、パソコンに挿してくれれば分かる。
「ヒット!」
暫くして、レイラの明るい声が届いた。
奴がパソコンに挿したマイクロSDから、逆にパソコンに保存されている情報の抜き取りに成功したのだ。
「レイラ、人質は!?」
「居たわよ。ちょっと待って、いま画像を送るわ」
送られたファイルをダウンロードすると、現れたのは監視カメラの画像。
暗い部屋に横たわる女と子供。
衣服の乱れは無く、乾草の上で穏やかに寝ている。
誘拐して脅すという卑怯者にしては、人質の命は奪っていないのは助かった。
問題は、その監禁状態。
「忙しい所すまないが、監禁の状況も調べてくれないか」
これから敵が攻めてきて大変な事になるのに気が引けるが、人質を解放する前にこれだけは確認しておきたい。
変な話だが、争いの中で敵を殺すのは軍人として認められているが、生け捕りにした敵をこっちの都合だけで勝手に殺すことはジュネーブ条約で固く禁じられている。
もし、奴らがチューホフの奥さんをレイプしていようものなら、体よく殺しておかなければならない。




