【敵中1人③(Alone in the enemy)】
走り出した途端、ユーリに離された。
予想通りナカナカやる。
自分のペースで走るとは言ったが、いきなり離されてしまうのは、癪に障るのでこちらもペース上げて食らいつく。
昨日は通り過ぎたスーパーマーケットの3差路を、ユーリは右に曲がったのでついて行く。
「ここが丁度1km地点です。ここからほぼ直線で5km行って右に曲がります。あとはメドビンの小さな集落の手前を右に曲がり、その後の長い直線の終点がゴールです」
「何故、コースを?」
「教えるのかと言う事?」
「そうです」
「それは、私が置いて行かれた時にコースがバラバラになってしまうと、一緒に走ったことにならなくなるでしょう?だからです」
「まさか……」
スタートで私を置いてけぼりにした人間の言葉とは思えなかったし、だいいち脚運び自体で並みのランナーでは無い事は素人の私にだって分かる。
後ろから見ていると、背の高さと肩幅の広さはハンスに似ているが、細マッチョのハンスは全体的に筋肉量が多く、短距離から1,500mの中距離向けの体格。
それでも5,000mまでは私と互角に走るのだから大したもの。
でもユーリは、おそらく長距離の選手経験があるに違いない。
男女の違いはあるものの、腕の振り方や足の運び方などは参考になるので、ついていける限り後ろに付いて勉強する。
やがて長い直線が終わりメドビンの手前を右に、更にその先を左に曲がってまた右に曲がると、あとはゴールまで約2,400mの直線。
ここで初めてユーリの前に出た。
ズット先頭で風きり役をさせてしまい申し訳なく思ったのも理由のひとつにはあるが、このまま後ろに付いていて不意にスパートを掛けられると、ついていけないままゴールを迎える可能性がある。
残念だが私は女。
とても男性特有の切れのある瞬発力には敵わない。
ユーリのペースに合わせて前を走る。
あとは耳を澄まして、ユーリがスパートを掛けるタイミングを逃さないように、ピッチを上げるだけ。
残り1,500m。
ユーリの足音が真後ろから右に逸れた。
“来る!”
地面を蹴る音が一瞬高くなりピッチが上がる。
準備はしていたつもりだったが、一瞬で横に並ばれ直ぐに離される。
5m、10m、20m……。
何とか25m離された所で同じペースまで上げる事に成功したが、問題はここから。
ユーリに追いつくために更にペースを上げるか、彼のペースが落ちて来るのを待つか。
待ちに入った場合、体力は温存できるが、更にペースを上げられた場合その差は更に広がってしまう。
追いつくためにペースを上げた場合も、ユーリがもう一度ペースを上げて揺さぶりを掛けてくると、ペースを上げて失われた体力が更に奪われてしまう。
さあ、どうする?
離された状態で後ろにいる限り、勝負の主導権はユーリに握られたまま。
ならば、その主導権を奪う以外に勝つ道はない。
残り1,000m地点で私は一気にペースを上げる。
7mまで差が縮まった所で、ユーリも私が追い付いてきていることに気付き再びペースを上げた。
だが彼は計算を誤った。
ユーリは私が彼に追いついて主導権を取り返すためにペースを上げたものとして、自身もそれに合う様なペースに上げたわけだが、私の作戦はそうではない。
私は一気にユーリとの差を逆に広げ、2度と彼に主導権を奪う隙を与えない様に、その差を広げ続けるつもりでいた。
中途半端にペースを上げたユーリは、距離が離されて行くのを感じながら、更にもう1度ペースを上げなくてはならなくなる。
短時間に2度もペースを替えるのは、体力的にキツイばかりでなく、自らのぺース自体を乱してしまう恐れさえある。
私としては勝負を決めるため、最後までこのスピードを維持するだけ。
もうペースを落とすことは出来ない。
勝負のカギはユーリに残っている体力が、どれだけあるかだ。
もう後ろの事は何も考えない。
ただ向こうに見えるゴールを目指して走り続けるだけ。
「お疲れ様!」
ゴールに走り込むと、ミハエルが大きなタオルを掛けてくれた。
その場で歩きながら振り向くと、30m後方から疲れ切った表情のユーリが我武者羅に腕を振って駆けてくるのが見えた。
激しい手の振りに、2本の長い脚は追いつくのがやっとと言う感じでゴールすると、イヴァンとチューホフにタオルに包まれたまま倒れそうになる体を支えてもらっていた。
もっともキツイ場所で、立て続けに2度もスパートを掛ければ誰だってこうなってしまう。
ユーリはそのまま地面に座り込んだ。
「負けたよ。まさかあの距離からロングスパートを仕掛けてくるとは思ってもいなかった」
ようやく息の戻ったユーリが、スポーツマンらしい声を掛けてくれた。
「すまない。私が勝つには、アレしかなかった」
「男子相手に、勝つ気でいたのか!?」
「いや、負けたくなかった」
「おいおい」
私の返事に呆れた顔をしたユーリが笑いながら手を出し、私がその手を取ると起き上がり、握られたお互いの手はそのまま握手へと変わる。
「またいつか、リベンジさせてもらっていいですか」
「of course」
「Next time i won't lose.」
「Me too」




