【敵中1人①(Alone in the enemy)】
私はあえて2人を追わないで食堂に残った。
「すみません。折角トーニを褒めようとしてくれたのに、嫌な思いをさせてしまって」
「いいって事よ、男ならそんな経験良くあるものだ。なあ」
イヴァンが庇ってくれた。
「ああ俺も昔フロアマットじゃねえが、毛布と言う河の主を釣り上げたぜ」
「俺はキックスケーターだったから、ゴツゴツ岩に当たる感覚で気が付いたぜ」
「途中かよ」
「そう言えばイヴァンは昔、オホーツク海で大物狙ってロッドごと持っていかれたって聞いたけど、それ本当?」
ユーリに話を投げられたイヴァンは“しまった”と言う様に頭を掻きながら答える。
「あれは船でクロマグロを狙っていたんでさあ。なにせ大物だと500㎏を越える代物だから、巨大なリールに巻いてあるのもラインじゃなくワイヤー。エサだってサンマやイワシじゃなく、50cm級のタラを俺の手の平もある釣り針に胴体ごと刺していた。もちろん不意打ちに備えてドラグはユルユルにしていたのに、それが、あっと言う間に持っていかれた」
「なんだったんですか?」
「同じ船に、昔400㎏のクロマグロを釣った仲間がいたけれど、このパワーはマグロじゃねえって言っていたぜ」
「じゃあクジラかシャチ?」
「そうかも知れねえが、俺はいまだにあれはアレだったと思っているぜ」
「アレとは?」
「ロシア軍の原子力潜水艦」
「……」
一瞬の沈黙があった後、皆が大声で笑い出した。
「原潜を釣り上げたら大変だぜ!」
「原潜の方でも驚いたでしょう。まさか針に掛かるなんてな」
「あら、楽しそうね。何の話をしていたの?」
イヴァンが原子力潜水艦を釣ったかも、と言う話しで盛り上がっていた頃、機嫌の直ったエマがトーニを連れて戻ってきた。
「イヴァンさんが原子力潜水艦を釣った話です」
「えーーっ!?本当に??」
「いや、正確には、釣り針が引っ掛かったかもって言う話しですよ。釣り針なんか引っかかっても、釣れはしませんよ」
「じゃあ、捕鯨船の銛がどこかに刺さったとしたら?」
「無理です。SSBN(弾道ミサイル原子力潜水艦)のタイフーン型で水中排水量が48,000t、一番小さいSSN(攻撃型原子力潜水艦)のヴィクターI型でも4,570tもあるんですから、最大でも体重200tのシロナガスクジラを釣り上げる道具ではとても無理です」
「あらミハエル君って潜水艦に詳しいのね。ロシア海軍って何隻くらい潜水艦もっているの?」
「原子力、非原子力型を合わせると、6……」
答えようとしたミハエルを制止するように、ユーリが咳ばらいをした。
「すみませんね。くだらない話に付き合わせてしまって、コイツ海軍オタクなもんで」
イヴァンが、すかさずフォローを入れる。
「いいですよ。実はここに来る前に私たち、ミカエル教会とその隣にある戦争博物館に立ち寄って戦車を観てきましたの」
「ほう」
「そこでマニアが喜びそうだって私が言ったら、ナトーに怒られましたわ」
「なんで?」
「不謹慎だって。どう思います?」
「まあ確かに、戦争の道具ですからね」
ユーリは、そう言うとチラッと私の方を見て話を続けた。
「戦車や大砲に限らず全ての兵器と言うものは、その時代の科学の最先端を担う道具ですが、格好いいだけではなくそれが何を目的として何をしたかをよく考える必要があります。そう言うことですね」
再びユーリが私を見て、バトンを渡す。
「私もそう思います。当然のことながら私は戦車にも潜水艦にも乗ったことはありませんが、50tもある車体を時速80kmで走らせる事が出来る動力や、最小限の酸素で数週間も潜水できる技術と言うものは目を見張るものがあります。そしてその技術は、やがて私たちの暮らしにもスピンオフされます」
「たとえば?」
「例えば1903年にライト兄弟が初飛行に成功した飛行機は、当時12馬力のエンジンで数百m飛ぶのが精一杯だったが、第1次世界大戦前(1914年7月28日~1918年11月11日)の僅か4年の間に偵察から戦闘機、そしてより重いものを運ぶことを可能にした爆撃機として進化し、大戦後には旅客機と人を運ぶようになる。もっと身近なところで言えば電子レンジはレーダーの開発に伴う副産物であり、GPSも軍事用からの転換と言うのは有名な話ですよね」
「なるほど、さすがに世界史を学ばれているだけの事はあり詳しいですな。ところで朝ランニングをされていましたが、大学でサークルは何をなさっているのです?」
サークルには入ったことがないし、そもそも大学にしてもサン・シール士官学校に半年通っただけだから迂闊な回答はボロが出てしまう。
こういうことは知識と違い、経験が重要な要素だ。
「サークルには入っていません」
「ほう……」
「ハイスクールの時も?」
「すみません。なにせ勉強に追いつくのがやっとだったものですから」
「私も同じです。失礼しました」
ユーリは直ぐに質問を打ち切って、運ばれてきた食事を口にした。




