第6講 中二病になりたい!?(その2)
結局、颯夏が何故あそこまで怒ったのか、考えてもよくわからなかった。一体何が彼の逆鱗に触れたというのか。俺の言った感想を、俺が彼の作品自体を否定したと捉えたのだろうか。もしそうだとしたら、心外だ。
俺はただ、アドバイスのつもりで言ってやったのだ。それを受け入れるのも、当然、本人の自由なのに。それをまるでわかっていない。
しかも、よりによって人の顔面を殴るなんて……。俺だからよかったものの、他のやつなら絶対にトラブルが発生していたに相違ない。
片付いた机の上で腕を組みながら、一人思案に耽っていると、またしても古代が振り向いてきた。今日はよく話しかけてくる日だ。
「東光くん。颯夏くんのこと、もういいの?」
振り向かれた時点で察してはいたが、内容はやはり颯夏のことだった。
「あ……いや。俺、あいつに悪いことしちゃったかもって」
「悪いこと?」
「無意識のうちに、傷つけちゃったんじゃないかって」
「……私もよくわからないんだけど、彼、すっごく悔しそうな顔してたもんね。まだ時間あるし、行ってあげたら? 今頃、教室に帰ってるかも」
古代の意見にも一理ある。ということで、俺は颯夏のところに行くことにした。場合によっては謝ればいいし、やつが納得するならそれでもいい。このままもやもやしたままだと、午後の授業は集中できなさそうだ。
俺は立ち上がり、走って前方のドアをくぐろうとした時、教室に入ってきた誰かと正面からぶつかりそうになって、すんでのところで立ち止まった。
「おわっ!」
相手もびっくりしたような声を上げる。
「悪い、大丈夫か!?」
俺は慌てて謝りながら、相手の顔をうかがう。田中が、驚いたようにこちらを見ていた。
「何だよ、東光じゃん」
「あぁ……田中。そうだ。一組の新米、見なかったか?」
衝突しそうになった相手が田中だったことに安心し、俺は颯夏の居場所について知らないかときいてみた。
「新米……? あぁ、そういや、お前の弟子になったんだってな。見たぞ。さっき、屋上の方に上がっていくの」
「屋上?」
話を聞いた瞬間、不穏な気配が脳裏をよぎったような気がした。いや、まさか、あれくらいで……さすがにそれはないよな……?
「わかった、ありがとう」
「おう」
俺は廊下を駆け足で進み、屋上に繋がる鉄のドアを開けて上に伸びる階段を駆け上がった。
屋上は、涼やかな風が吹き渡っていた。外縁を転落防止のフェンスが囲み、中央には大きめのベンチが備えられてある。そこに、ぽつんと一人、背を向けて座っているやつがいた。
俺は、そいつにそっと歩み寄る。
「新米?」
なるべく優しく、そう呼んでやると、颯夏はこちらを振り向いた。その手には、先程読ませてもらった小説の冒頭が書かれた紙の束が、くしゃくしゃにされて握られている。
「それ……捨てるのか……?」
「……うん、書き直すから」
投げやりにも聞こえる素っ気ない語調で、颯夏は答えた。やっぱり、さっきの発言がまだ心の中に根を張っているのだろう。
俺はさらに近づき、次の言葉を口にしようとした。が、それよりも先に颯夏が立ち上がって身体を完全にこちらに向けた。
「……教室、戻ろうか」
颯夏はそう言いながら、ニコッと頬をほころばせる。俺は彼のその顔を前に、何も言えなくなった。もう、いいのか?
俺が迷っている間にも、颯夏はスタスタと校内に向かって歩いていくものだから、仕方なく俺もその後を追い駆けた。しかし、どうも釈然としない。
颯夏は「教室に戻ろう」と言ったが、どちらのとは言わなかったので気になったものの、俺も自分の教室に帰ろうとやつの後ろを歩いていると、事もあろうに、やつは俺の教室に入っていったのだ。
「おい、まだ話があるのか?」
後を追うようにして俺も中へ入ると、颯夏を呼び止めた。
教室は何故か先程よりも人数が減っていて、何人かの生徒が後ろの方の窓辺に寄りかかってお喋りをしているだけだった。古代や田中の姿も見えない。
と、突然。颯夏がくるっと身体を半回転させ、俺と向かい合った。状況がよく読めず、俺が困惑していると、颯夏はこのようなことを言い出した。
「師匠。俺、中二病になりたいんだ」
「は?」
「やっぱり、ファンタジーってある程度の中二病じゃないと書けないと思うんだよね」
「なんでそうなるんだ! ってか、内容じゃなくて文章のことで怒ってたんじゃなかったのか!?」
「それはもういいんだよ。要は、内容が肝心なわけでしょ? だから、俺は中二病になろうと思う」
ますますよくわからない。しかも、なろうと思ってなれるもんでもない気がする。
颯夏はさらに、こう言葉を続けた。
「さっき色々考えてて、まずは頭のレベルを読者に合わせる必要があると思ったんだ。師匠の小説みたいに。バーニング! これが魔王の力だ! スクラ――――シュ!!」
「そんなこと書いてなかっただろ!!」
……まぁ、似たようなことは書いてたかもしれないけど。
続いて、颯夏はまた妙な行動に出た。上履きを脱いで俺の机の上に立ったのだ。彼は唖然としている俺を指さしながら言った。
「これから、念波を送って師匠の考えてることを当ててあげよう」
「いや、それもうただの超能力者なんですけど……」
まあ、中二病も似たようなもんだろうけどさ。どう? これ中二病っぽい? みたいなことやられてもコメントに困るんだよなあ。
「わかった、わかったからもう降りろ! リアルに危ないから。それと、ほら、みんな見てるじゃないか」
後ろで駄弁っていた生徒たちは、何事かとこちらに目が釘付けである。先程とはまた違う、居たたまれなさ。
しかし颯夏は面白がっているのか、なかなか降りようとしてくれない。それどころか、片足で立ったり、エアーで弓を引くポーズをとったりしている。マジで危ないぞ。
このまま引きずり下ろしてやろうか、と本気で考え出した時。俺の危惧していた通りのことが起こった。颯夏が足を滑らせ、バランスを崩したのだ。
危ない!
俺は咄嗟に颯夏のところに駆け寄ると、彼の腰に両手を回して抱き寄せた。すると、やつもこちらに倒れかかってきた。そのまま、そっと床に下ろしてやる。間一髪であった。
と、同時に言いしれぬ怒りがこみ上げてきたので、俺は颯夏の後襟を引っつかんで教室前の廊下まで連れ出した。
「だから言っただろ!」
「だって、こうすればそれっぽいかなって」
「そういうのいいから。というか、中二病になったからってファンタジーを上手く書けるわけじゃないから。お前の作品の味は、お前にしか作れない。そうだろ?」
颯夏は、やや反省したように目を伏せる。
「あとな、無理やり読者の嗜好に合わせる必要なんてないんだよ。まあ、プロを目指すなら多少は意識すべき事柄だけど。でも、楽しくないだろ? だったら、まずはお前の書きたいように書けばいい」
「だって、師匠みたいに面白い話、書けないから……」
少々不機嫌そうに語る颯夏。そこまでして、ファンタジーじゃないといけないのかと不思議に思ってしまう。無理して苦手なジャンルに挑戦するより、自分の得意分野で攻めた方が効率的ではないのか、と。でも、颯夏がそうしたいのなら、俺は何も言えない。
「わかった。今日、ちょっと相談しよう。終礼が済んだら、お前の教室、寄るから」
そう言っても颯夏は俯いたままだったが、頷いてくれた。
俺から約束を取りつけるのは初めてじゃないかとも思えたが、今はどうでもいい。彼がどうしたいのか、また、本当はどんな小説を書きたいのか、今後の目標設定も兼ねて一度相談する必要性があると感じた。
その後、颯夏は自分の教室に戻っていった。
そうして放課後になると、俺は約束通り颯夏を呼びに行き、今日もまた自宅に連れて行くのであった。
ちなみに、俺はエンドレス再テストをギリギリで免れた。颯夏は満点合格だったらしい。そこに、俺は感じなくてもいいような敗北感を味わってしまうのだった。
【用語解説】
・バーニング:中二病が好きそうな掛け声。知らんけど。