↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/40

第28講 食事シーンは作品を美味しくする最強のスパイス

「藤咲先生、新作『ビビット・クロム』の打ち合わせに来ましたよー!」


「わ、忘れてたぁ――――!」


 東光才人、痛恨のミス。一生の不覚。

 今日、編集者の人がうちへ来ることをすっかり失念していたのだ。


 俺の担当編集者・辺(へん)柊子(しゅうこ)さんは玄関先に立ち、落ち着かなさそうに俺の後ろを窺っている。


「なんか、いい匂いがするんだけど……?」


「あぁ。今日、同級生がうちに来てて、料理してるんですよ」


「お友達とか?」


「友達っていうか……弟子です」


「弟子?」


「そいつ、小説家目指してるんですけど、俺が書籍化作家だって知って、弟子入りを申し込んできたんですよ。ま、強引に俺が師匠に仕立て上げられちゃっただけですけど……」


 そこまで喋って、しまった、と俺は心の中で叫んだ。それはすごくプライベートな話をしてしまったという悔恨と、柊子さんの性格を知ってのことであった。


 案の定、柊子さんは両手をパチンと鳴らすと、


「おもしろ〜い! 私も是非お会いしてみたいわ!」


「は、はぁ……」


 こうなってしまっては後の祭りだ。俺は泣く泣く承諾するしかなかった。


 リビングでは、颯夏がポトフを作っていた。もうすぐ完成というところまで来ている。


 俺は柊子さんを紹介しようと、颯夏に声をかけた。


「おい、新米。こちら、辺柊子さん。俺の今の担当者の方だ」


 颯夏はこちらを振り返った。


 柊子さんは顔が端麗で、スタイルもいい。そして表情が豊かだ。歳も若く、まだ二十代だと聞いている。


 彼女は一歩前へ進み出ると、颯夏にぺこりと頭を下げた。


「どうも。藤咲先生にはいつもお世話になっております」


 まるで保護者に対する挨拶のようだと思った。だが、これでもれっきとした出版社に勤めるプロの編集者であるゆえ、あまり気軽にはツッコめない。


 一方、柊子さんの言葉を聞いた颯夏は、きょとんと首を傾げる。


「藤咲? 誰それ?」


「俺のペンネームだ! 忘れんな!」


 思わず、大声でツッコんでしまった。担当者の前なのに。しかし柊子さんは気にも留めず、


「ポトフ?」


 と、キッチンの方に目を配りながら言った。


「そうだよ。これから、試食会をやるんだ!」


 颯夏が自信満々に答えた。こら、敬語を使いなさい!


 それでも、また柊子さんは気にした素振りも見せず、にっこりとしてそれに応じた。


「楽しそうね。私も、是非お仲間に加えていただきたいわ」


 なんか、柊子さんの方が心持ち丁寧な口調になっている気がするな。俺の気のせいであってくれ、と心で願う。



 ということで、彼女を含めた三人は、食卓を囲んで作り直したポトフを食すことになった。


 いただきますをして、まずは一口。味は薄めだが、野菜がよく煮えていて、今回はそこそこの出来栄えだった。ソースを入れてないだけ、ちゃんとしたポトフだった。


 柊子さんも、スープをすすると、目を細めて笑った。


「美味しい〜。これ、二人で?」


「いや、その……」


「ほとんど俺が作ったよね、師匠は見てただけ」


「もともと、お前が料理したいって言うからだろ!」


 香りと味を交互に楽しんでいた柊子さんは手を止めて、不意に顔を上げた。


「どうして、新米くんは料理をしようなんて思ったの?」


 誰もが疑問に思うところだろう、そこは。

 颯夏はすぐに、


「料理シーンを研究しようと思ったんだ」


 と、また敬語を使わず得意気に答えた。


「マジメだね〜」


 柊子さんは感心したように、目を閉じて何度も頷く。完全に言いくるめられてるな、この人。本当に、体面だけはいいのだから。


「味、薄いね」


 食べながら、颯夏はそう言った。


「そうか? このくらいがちょうどいいと俺は思うけど」


「ソース、足していい?」


「却下」


 俺は素気なく言った。颯夏は、ぷうっと頬を風船みたいに膨らませる。


「俺のやつだけだから、べつにいいじゃん」


「あれは匂いがキツイから、ダメだ」


「でも、なんか物足りないんだよな〜」


 颯夏はそう呟いてから、閃いたように叫んだ。


「あっ、からしだ!」


 合点がいったような、満足気な笑みを浮かべている。


「そうだよ、ポトフって普通、からし入れるじゃない?」


「俺は入れないけど、母ちゃんがたまに入れてるな」


「ある?」


「冷蔵庫に入ってたと思う」


「じゃあ、持ってこようっと」


 颯夏が立ち上がりかけると、それを制止するように柊子さんが片手を上げた。


「あ、私、取ってきましょうか?」


 何を思ってか、急にそんなことを申し出てきた。


「あ……いや、何故このタイミング?」


「だって、藤咲先生が毎日どんなものを食べてるのか、気になるし」


「いや、そんなん言ったってべつに何も入ってないですよ?」


 俺はそう言って引き止めようとしたが、彼女は耳も貸さずにスタスタと冷蔵庫の方に歩いていってしまった。

 まあ、いいか。特に見られて困るものは中にはないはずだ。……はず。


「ねえ、先生。これ、何?」


 その言葉に振り向くと、柊子さんは小型の鍋を持ってこちらに戻ってきた。テーブルに置かれたそれには、目も覆いたくなるほどのドス黒い液体と真っ黒に染まった野菜の数々が入っていた。


 ……すっかり忘れていた。それは颯夏が先ほど作った、ウ◯ターソース入りのブラック・ポトフであった。


「いや、それ……失敗したから、捨てようかと思って」


「でも、勿体なくない?」


 柊子さんは顔をしかめながらそう言い、新しい器を持ってくるとその黒い液体をそこに注ぎ出した。それをレンジで温め、席に着くと、何の躊躇いも見せずに食べ始めた。すごく勇気のあるこの行動は、賞賛に値する。俺も、心中で嘆声を上げた。


「うん、美味しい!」


 無邪気な笑顔で、柊子さんはそのようにコメントした。こいつも舌ぶっ壊れてんな。今までの感嘆の気持ちが、一気に萎んでしまったような気がする。

 俺の隣で颯夏が、「ほれ見てみろ」と言わんばかりの眼差しでこちらを見てくるのが、さらに腹立たしい。


 俺の舌がおかしかったのか? いや、そんなはずはない。こいつらの味覚がおかしいんだ。そうに違いない。


 その時、不意をつくように、ピンポーン、と家のチャイムが鳴らされた。

 俺は条件反射的に立ち上がり、急いでリビングから出て玄関に向かう。普段から家に俺一人でいることが多く、母親がネットでポチッとした宅配便なんかも俺が受け取ることが多い。


 俺が玄関のドアを開けると、そこには宅配便でも郵便配達の人でもなく、小学生くらいの男の子が立っていた。


 男の子は、飄々とした面持ちで、じっと玄関先に立つ俺を見上げている。俺は、その状況に窮した。


「えっと……誰っ!?」


 全く見覚えがない。見た感じ、近所の子でもなさそうだ。


 すると、少年はぐっと顔をさらに俺に近づけてきた。先ほどより、興味津々に俺の顔を眺め回している。そしてその少年は口を開いた。


「こいつが藤咲ユキオとかいう、新米作家か。なんだよ、大したことなさそうじゃん」


 その物言いに、俺は神経を逆撫でされたような気分に陥った。いきなり見知らぬ少年が家を訪ねてきて、開口一番に「大したことない」と言ってきたのだ。第一、なんでこんな子供が俺を作家だと知っている。しかもペンネームまで。


「あら、ヨッちゃん。何してるの?」


 後ろからの声に振り向いてみると、柊子さんがリビングから顔を出している。その後ろで、颯夏もこっちを覗いているのが見える。


「えっ、柊子さんの知り合いですか?」


「息子よ」


 なるほど、息子ね…………え?


 待て、この人、息子いるの? しかも結構、大っきそうなんだけど?


「あの、あんた何歳なんですか?」


「二十八だけど?」


 謙虚な素振りを微塵も見せず、柊子さんは答える。


「む、息子の年齢は?」


 恐る恐るきいてみると、それについても柊子さんは躊躇わずにはっきりと答えた。


「今年で十歳」


「ヤンキーかよ!」


 十八で子供生むとか、よく親が許したな。とは言うものの、うちの親も大概だけど。そこは五十歩百歩なのかな。


 どうやら、この子供が柊子さんの息子、辺少年であるらしい。H少年だ。


「それより、あんたどうしたの?」


 柊子さんはH少年に向かってそう言いながら、リビングからこちらへ出てきた。その後を、物珍しそうに颯夏が無言でついてくる。


「近くまで来たから、迎えに来たんだよ」


 H少年は言った。


 柊子さんは少し眉をひそめて、考えるような顔つきになった。しばらく黙ると、目線を俺の方へ向けた。


「打ち合わせの件、また今度にしましょっか? まだ急がなくてもいい段階なので」


「あ、はい……」


 この人、仕事大丈夫か? とか思いつつ、俺は承諾の返事を出した。


 その時、H少年の後ろから、ひょっこり顔を出したやつがいた。五歳くらいの男児だった。もしかして、この子も柊子さんの子供かな……などと考えていると、俺ははっと息を呑んだ。そいつの顔には見覚えがあったからだ。


 その男児は俺を認めるなり、すぐさま顔色を変えて、俺を指さしながら、こう叫んだ。


「あっ、パリピ!」


「だから、パリピじゃねーよ!」


 そうだ。こいつはいつしか、書店にてラノベを物色していた俺のことを「パリピ」呼ばわりしたあの子供だった。なんで、このガキがここにいる……?


 パリピ野郎は、俺を面白がるように「くひひひひ……」と、下品極まりない笑い方をした。


「あらぁ、カツヒロ君もヨッちゃんに遊んでもらってたのね」


 柊子さんは腰をかがめて、パリピ野郎に笑いかけた。パリピ野郎は俺に見せるそれとは比べ物にならないくらいの無邪気な笑顔で、「うん!」と元気よく頷いた。


 ドアが開き、今度は二十代くらいの女が顔を出した。これも見たことのある顔だった。あの日、書店でパリピ野郎と一緒にいた人だ。


「小説家の家に行ってるって話したら、ヨシくんがね、姉さんにどうしても会いたいからってここに来たの」


「言ってねーし! たまたま通りかかっただけだし!」


 H少年は振り返りざま、顔を真っ赤に染めて言い返した。


 俺はこれまでの会話で大体の見当をつけた。この女性は柊子さんの妹で、パリピ野郎はその人の子供だろう。つまり、俺の家の玄関に集合している四人は、全員親戚同士らしい。


 柊子さんは俺に対してひどく申し訳なさそうに眉を下げて、


「ごめんなさいね、先生。あとでメール送りますから、打ち合わせは後日改めてってことで。でも、今日はとっても楽しかったわ」


 彼女はにっこり微笑むと、家族と一緒に出ていった。


 俺は門まで彼女たちを見送りに出た。パリピ野郎はしきりに俺のことを指さしながら、声に出して笑っていた。H少年も、まるで馬鹿にしたような視線を俺に向けてくる。


 俺は内心苛々しながら、彼らを見送った。夕日が、四人分の影を道路に映している。


「何だったんだろうね」


 隣では、颯夏がそう呟いている。


「さあな。じゃあ、お前もそろそろ帰れよ」


 秋も深まり、夕方は肌寒くなってきたこともあって、俺はすぐに家の中へ引き返そうと背を向けた。そこに、颯夏が話しかけてくる。


「師匠のお母さんも若いよね。いいなあ、親が若くて」


 そう言うので、気になった俺は彼にこうきいてみた。


「お前の親、何歳でお前を生んだんだよ?」


「三十八歳」


「それもすごいな!」


 俺の母親の今の年齢と同じじゃねえか……そう思うと、世の中には色々な人がいるということが実感できるなあ。だから何だよって話になるのだけど。

【用語解説】

・ブラック・ポトフ:前講を参照。

・パリピ野郎:第12講参照。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。