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第24講 体育祭はネタ集めの絶好の機会?

 本日、秋晴れ。


 十月上旬の朝、カーテンを開ければ雲ひとつない青空が広がっていた。しかし、その澄明な光景とは裏腹に、俺の心には暗雲が立ち込め始めた。昨晩、俺は天に向かって「明日は雨であってくれ」と必死に祈っていた。当然、そんな祈りが通じるわけもなく、こうやってめでたく晴れてしまったわけだが。

 こんなにも青空が憎らしく映ることがこれまでにあっただろうか?


 俺が必死に雨を祈っていた理由……それは今日が体育祭の日だからだ! それは運動が苦手なやつに有無を言わさず運動を強い、さらに翌日には筋肉痛で二重に苦しめる、この社会から最も排斥されるべき学校法人における悪しき風習に他ならない。

 まあ、要するに、俺は運動が大嫌いなのだ。それでも体育の授業には真面目に参加しているが、体育祭とやらは本当にいらない行事だと常々思う。


 いつもに増して重い足を引きずりながら、なんとか用意を済ませて学校へ向かう。その時間が苦痛だったのは言うまでもない。



 教室に着くと、真っ先に声をかけてきたのは古代だ。


「東光くん、おはよう」


 古代はもう着替え終わっており、長い髪を今日はポニーテールにしている。それゆえに普段は隠れている白い首筋が、束ねられた髪の間から垣間見える。体育祭というやつは、満更悪いことだけじゃないみたいだ。


「東光くんは、まだ着替えてないの?」


「おう。今から着替えに行くところ」


「さっき、廊下で颯夏くんと話したんだけどね。彼、制服の中に体操服着てきたって言ってたよ」


「何やってんだ、あいつ……」


「脱げばいいだけだから便利だって」


「それなら、俺もそうすりゃよかったな」


 そんな会話をした後、俺は渋々教室を出て男子トイレで着替えを済ますと、クラスに戻った。


 ホームルーム時に鉢巻きを配られ、皆、和気藹々と運動場に向かった。ちなみにクラスごとに組が分かれており、鉢巻きの色で区別される。俺の学級は黄組だった。


 廊下を昇降口に向けて歩き始めると、後ろから俺の腕を突っついてくるやつがいた。


「ししょ〜」


 甘い声で囁きかけられ、少々ムズっとする。


「何だよ?」


 振り返ると、額に赤い鉢巻を巻いた颯夏がにやにや笑いながらついてきていた。


「師匠は何に出るの?」


「50メートル。お前は?」


「50と100、あとは障害物リレー」


「三つも出るのか? そりゃ、お疲れさん。頑張れ」


 心がこもってないと自分で思いつつ、簡素な言葉で颯夏を激励する。


「それよりさ、体育祭っていいイベントだよね」


 颯夏の話はまだ続くようだった。


「へえ。そう思えるなんていいなあ。俺は苦痛でしかないのに」


 ちょっと皮肉っぽく聞こえるかもしれないが、これは俺の本心だ。言ったら悪いが、体育祭を楽しめるやつの気が知れない。文化祭とかなら、まだ頑張ろうかなと思えるのだが、なんで好きでもないのに無理やり走らされるのかわからない。こんなことなら、風邪でも引いて休めばよかったと心底思うくらいだ。


 続いて、颯夏は言った。


「だって、ネタ集めの絶好の機会じゃない? 師匠はそう思わないの?」


「ネタ集め?」


 その言葉が妙に引っかかり、颯夏に顔を向けながらきいた。


「体育祭といえば、いろんなアクシデンツが発生する行事だと思うんだ。あと、他人の今まで知らなかった一面が知れたりとかさ。だから、それを隈なく取材して、俺の小説に活かそうという算段だ」


 そうかな? と俺は首を傾げる。確かに、高校を舞台にする作品なら学校は絶好のネタ集めの場だと思うんだけど、体育祭に限らずそんな機会はいくらでもありそうな気がする。


「それ、今日じゃなくてもよくないか?」


 俺が言い切る前に、颯夏は前を歩いていた同級生たちのところへ駆けていった。

 だが、俺としては颯夏のその姿勢は純粋に嬉しくもある。何せようやく創作に対してやる気になってくれたわけだ。今の発言も、その確たる証拠じゃないか。これで、俺が強引にあいつからやる気を引っ張り出す必要がなくなったのである。ありがたや。


 グラウンドでは、トラックの周りにブルーシートが敷き詰められ、それがテープによって等間隔に区切られている。そこが、生徒たちの応援席であった。


 開会式が終わると、俺は俺のクラスの応援席に戻り、同じ色のやつらの応援に徹することにした。と思っていたら、もう招集がかかった。俺の出場する50メートル走は、プログラムの一番目だったのだ。まあ、種目の中では距離が一番短いし、嫌なことは先に終わらせておくのも悪くない。


 こうして俺は、自分にとって唯一の出場種目を無事に完走したのであった。ちなみにレースは五人同時に走り、俺は四等だった。なんとか、ビリだけは免れることに成功した。


 そういえば、颯夏は何等だったのだろう? 走る前は自分のことで頭がいっぱいでよく見てなかったが、俺の組の何列か前に颯夏の姿があったような気がする。


 応援席に帰ると、適当な場所を探してへたり込んだ。


「あ、東光くん! おかえり――――!」


 前に座っていた御代が、こちらを振り向いて言った。その隣には、郷が座っている。いつも一緒にいるな、この二人。


 その後、俺は彼女たちの後ろで黄組の応援をしていたのだが、さっきからこの二人、やかましくてしようがない。

 特に御代は、


「頑張れ――――!!」


 とキンキン声で俺の鼓膜を攻撃し、黄組が一等でゴールした時なんか、「キャ――――!!!」と声にならない声で悲鳴のような声を上げた。


 一度、とうとう我慢しきれず、


「うるっせーよ! もっと静かに応援しろ!」


 と怒鳴ってみたが、御代は振り返るや、


「東光くんも一緒に応援しよ?」


 などと言って取り合わなかった。

 そしてまた、「わ――――!!」「キャ――――!!」と絶叫する。


「マジで静かにせーや! とりあえず一旦黙れ! そして二度としゃべんな!!」


 迷惑というものを考えてほしい。他のやつらはよく無視できるな。


「もう、東光くん、ひどくない!? ねえ、実菜子もそう思わない!?」


「興味ない」


 俺はどこかへ移動できないか視線を巡らせたが、どうもみんな好き勝手なところにバラバラに座っていて、いやに混沌としているので、ちょうどよさそうな場所が見つからなかった。


 校舎に最も近いところに、吹奏楽部専用の応援席があった。金管楽器の類が太陽の光を反射し、キラキラと輝いて見える。今頃、古代もそこにいる。

 俺もあそこに行きたいな……と思うが、そうもいかないのでこの現状に甘んじるしかない。


 落胆しながら再び前を向くと、グラウンドでの激戦は継続中のようだった。そこに、颯夏の姿があった。今から100メートル走が開始されるようで、選手が入場してきたところだ。


 ピストルが鳴ると同時に競技が始まった。次々と選手たちが走り出す中、颯夏は靴紐を結び直しながら凛とした視線で、前の選手の背中を見つめている。彼のあれほど真面目な顔を、俺はかつて見たことがない。

 遠目からでも、真剣な面持ちがわかる。無意識に、俺は立ち上がってその様子を見ていた。颯夏の前に人がいなくなり、颯夏は同じ列にいる数人とともに立ち上がって、スターラインに整列した。


 係の人がピストルを上に掲げ、打ち鳴らすと颯夏たちは一斉にスタートを切った。


 走り出し直後、颯夏は五人のうち前線を切って前に出た。それからも加速し続け、他の四人をどんどん突き放していく。


 俺は、そんな颯夏の駆けざまを呆然としながら見ていた。


「おい。あれ、東光の弟子じゃないのか?」


「あっ、ホントだ!」


 すぐ後ろから山田と田中の声が聞こえるが、俺は振り返らずに颯夏だけを目で追っていた。


『体育祭といえば、いろんなアクシデンツが発生する行事だと思うんだ。あと、他人の今まで知らなかった一面が知れたりとかさ』


 颯夏の声が、耳の奥で響いてくるようだった。夏休み、俺の家から片道徒歩五分のコンビニに菓子を買いに行った時も、やつは出ていってから買い物時間も含めて計五分で戻ってきた。あいつって、足速いんだな。今更ながら、俺は感嘆した。


 これは、次の小説の参考になるか? あいつをモデルにするわけじゃないけど、使えそうなネタだと思った。一見華奢な男の娘なのに、足がめちゃくちゃ速いというギャップ!


 二本の尾のような赤い鉢巻きの両端をなびかせながら、颯夏はカーブを曲がる際もスピードを落とすことなく、その組では誰よりもはやくゴールテープを切った。


「意外と速いんだな、あいつ」


 俺の少し後ろで、山田も感心したような声で呟いた。


 片膝を押さえつつ後ろの列に並ぶ颯夏を応援席から見つめていると、一瞬彼と目が合った気がして、俺は咄嗟に目をそらした。もう一度、そっと颯夏の方を見てみると、やつは完全に俺の方に視線を送っていた。

「どう? 速かったでしょ? 師匠とは大違い」みたいなことを思っているに違いない眼差しで、笑っていた。やっぱり、くたばれ。


 その後も、午後二時過ぎまで体育祭は続き、俺は同じ色の鉢巻きを頭に巻いたやつや、知り合いのやつの応援に専念した。真奈夫は青組だったが、友達なので応援した。真奈夫は颯夏と一緒に障害物リレーに出場していた。


 そのうち、いつの間にか体育祭を楽しんでいる自分に気づき、俺は己を恥じた。自分の出場種目が終わったとはいえ、忌まわしき因襲を是認するわけにはいかない。しかしそんな俺は、周りから怒涛のごとく沸き起こる声援に煽動され、無意識に声を張り上げて仲間の応援に尽力したのであった。


 体育祭が終わり、自由解散だと聞いていたので、俺は着替えると早々引き上げた。これから部活があるやつらに向けて「ご愁傷様」と念じながら。


 昇降口では、いつものごとく颯夏が待機という名の待ち伏せをしていた。


「どう? 速かったでしょ? 師匠とは大違い」


「俺が思ってたのと全く同じこと言わなくていいから!」


 確かに速かったけど、颯夏の意外な一面が見られたのは「良かったこと」に入るだろうか。とりあえず、無事に今日という忌々しき日が終わってくれてホッとしている。


「で、どうだった? ネタにできそうなこと、何か見つかったか?」


 駅に向かう道を歩きながら、颯夏に尋ねた。


「そうだなぁ……あるといえばある。ないといえばない」


「どっちやねん」


「師匠は? 何かあった?」


「俺も……特にはないかな……」


 そう答えつつ、思いを巡らせてみた。


 ……まあ、あの金切り女についてはネタになりそうだったけどな。それをどんな作品に取り入れるかは、また違う問題が上がってきそうだけど。あと、颯夏のことだ。


 実のところ、彼のことを少し見直していた。こいつのあの真剣な目線……今でも俺の網膜に焼きついている。やる時にはやるのだ。そんなやつだ。


 こいつもこいつで、今日は色々なやつを観察していたのだろうか? 組は違ったけど、そうであってほしい、と切に願う。


 あ、ちなみに、俺のクラスが入っていた黄組は何故か優勝しました。

【用語解説】

・体育祭:学校における忌まわしき行事。

・長い髪を今日はポニーテールにしている:体育祭あるある、その日だけ女子の髪型変わりがち。

・障害物リレー:そんなものない。知らんけど。

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