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第17講 なんちゃって勉強会 in 東光家

「ハァ……」


 短いため息が、俺まで沈鬱とさせた。

 前を見やると、山田が小さな頭を抱えている。只今、休み時間。普段通りに授業が終わり、山田が俺の席までやって来て、二人で駄弁っているところだった。だが、いつもの他愛ない話は図らずもテストの話題に針路を変え、それによって山田がため息を漏らしたというわけだ。


 一学期の期末考査が、二週間足らず先にまで迫ってきていたのだ。山田は、前回のテストの成績が悪かったらしい。


「俺、前回、欠っちゃったんだよな……」


「何を欠ったんだ?」


 きいてやると、山田は顔を上げてしょんぼりした面を見せた。


「現文」


 それは大いに納得。こいつは全く本を読まないから、読解力がないのも頷ける。


「だからさ、相談があるんだよ」


 山田が俺の席に両手をついて、身を乗り出すように上半身を近づけてきた。


「……な、何だよ?」


 訝しく思いながらも、一応きいておく。まあ、大体予想はついてるけど。


 かくして、次に山田から出た回答は、俺の懸念その通りであった。


「今度の週末、勉強見てくれよ。俺、平日の放課後は部活あるからさ!」


 だが、俺は逡巡した。たしかに山田とは仲がいいが、俺もそろそろ勉強しなければと思っていたところなのだ。それに、小説の締め切りもある。颯夏のじゃなくて、俺のだ。


 それでも必死に懇願され、俺は断りきれず承諾してしまった。まあ、一人だけならいいか、と思うことにした。



 しかし、次の休み時間。


「東光。今度、山田の試験勉強に付き合ってやるんだってな」


 声をかけてきたのは、田中である。山田から話を聞いたようだ。


「そうだけど……」


「俺のも見てくれよ!」


「………?」


 これは全くの予想外だったから、俺は何も答えられない。

 俺のイメージでは、勉強できそうなんだがな。見た目も真面目そうだし、点数とかは教えてくれないからよく知らないが、成績が悪いとはあまり思えない。


「いや、それなら、お前が山田の勉強見てやればいいんじゃないか?」


「でも、俺もこの前のテスト、赤点あったからさ……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、控えめな声音で田中は言った。どうやら、こいつもあまり勉強は得意じゃなさそうだ。俺の思い違いだったか。


 そうは言っても、もうすでに先約がある。また今度にしてくれと言いかけた時、「尊遥(たかひろ)〜」と廊下から田中を呼ぶ声がし、彼は身を翻すと、


「じゃあ、山田と一緒に行くから、よろしくな!」


 とだけ言って、俺の返答も聞かず、前を向いて呼ばれた方へ走っていった。


 そういう経緯で、俺は試験一週間前の日曜日、家に田中と山田を招くことにしたのだった。

 ん? 待てよ、日曜日……?




「師匠、今日は俺だけじゃないの?」


 忘れてた。でもこれは俺のせいじゃない、半強制的に約束を取りつけてきやがったこの傍若無人な弟子のせいだ。


 まあ、いい。まずは新手の紹介からいこう。颯夏とは違うクラスだし、三人が会話しているところもほとんど見たことがないから、あまり接点はないのだろう。


「同じクラスの山田と田中だ。今日、俺が勉強教えてやることになって……」


 二人を手で示しつつ、颯夏を見やると、やつは自前のノートパソコンの画面を見つめたままカチャカチャしていた。こいつは今日もまた、小説を書きに来たようだった。しかも俺に質問するでもなく、いつも勝手気ままに作業している。何故、自分の家でやらないのか。


 一瞬、気まずい空気が流れたが、俺はすぐ二人に向き直った。


「で、何を教えてほしいんだ」


 まず、彼らの苦手教科を知らなければならない。山田は現代文が赤点だったらしいが、田中の方はどうなんだ?


 田中に目で問いかけてみると、彼はまた恥ずかしげに答えた。


「俺、数学がちょっとやばくてさ。さすがに、二回続けて赤点取るわけにはいかないんだよ」


「あ、俺、数学は100点だったぞ!」


 突然、山田が意気揚々と口を挟んできた。


 なに? 現代文を欠るやつが数学で満点? もしかして、得意不得意が激しいタイプか? しかも、国語が極端に苦手で数学が大得意とか、完全に理系タイプじゃねーか。俺はガッツリ文系だからちょっと羨ましいぞ。


 そうは思ったものの、なるべく顔には出さないようにし、気を取り直しつつ二人にきいた。


「他に苦手な科目は?」


「俺は、あとはまあ普通かな」


 と、田中。


「俺は現社も赤点ギリギリだった」


 と、山田。こいつはどうも俺の案に違わず、理系の頭らしい。


 社会科……俺は少し嫌なことを思い出した。余談になるが、中学3年の時、内申がかかった大事なテストでの選択問題で「この中から正しいものをすべて選べ」という問題が出たんだ。「すべて」って書いてあるってことは、2つ以上選ばないといけないと思うだろ? だから、俺は2つ選択した。そうしたら、その問題はすべて間違いだった。

 全部の問題の答えが1つだけだったのだ。よくよく確認すると、2つ書いたうちの1つはほとんど正解していた。いや、たしかに「これは違うかな〜」って思ったけど、でも「すべて」って書いてるから普通、複数選ばないといけないって思うじゃん。日本語勉強してこいよ。


 見事にはめられた、と思った。試験中も薄々気づいてたけど、抗議に行けばよかったと今でも後悔している。大事な試験なのに何してくれるんだよ、人の弱みに付け込んでんじゃねーよ。生徒の純真な心を弄びやがって!

 無事、俺はそのテストで欠点を取りましたとさ。


 ……という、思い返すも虫酸が走る嫌な思い出だ。俺の通っていた中学には、そういう性根の曲がった醜悪な教師がたくさんいたのだ。今思い出しても、腹が立ってならない。


「東光、大丈夫か?」


 俺の様子を見て慮ったのか、山田が顔を覗かせてくる。


「ああ、何でもない」


 すぐに取り繕い、次いで二人に向き直った。


「じゃあ、わからないことがあったら、きいてくれ。それまでは俺も自習とかしてるから」


「オッケイ」


 二人は声を揃えて言った。その絶妙なハモリたるや、仲のいいことが一目瞭然だ。


「じゃ、質問あったら挙手してくれ!」


 しかし、そう言った途端、山田はきょとんと首を傾げて隣の田中を見た。


「なあ、田中、キョシュって何だ?」


「手を挙げることだよ」


「ああ、なるほど。手を挙げることね!」


 感心してるけど山田くん、そんなこと、小学生でも知ってますよ?

 というか、語彙力がないってレベルじゃねーぞ。普段から読書してないとこんなにもひどいのか? かなり衝撃的だった。ちょっと気が抜けたわ。


「なんでそんな簡単な言葉も知らないんだ……もっと本読めよ」


「漫画なら読むんだけどな」


 即答だった。まあ、字ばっかり書いてある本は敷居が高いってこと自体は、少しわかる気もするが……。


「ってか、挙手って何だよ。普通に『手を挙げろ』でええやろ!」


 逆ギレ? しかもなんで関西弁?

 颯夏じゃないんだから、そういうのは本当に勘弁してほしい。しかも、それって小学生から成長してないってことにならないか?

 だいぶ、こいつの事情がわかってきてしまった。


「その分だと、新聞も読んでないんだろうな」


「読んでるぞ!」


 心外だと言わんばかりに、山田は身を乗り出してきた。


「ほう。どこを読んでんだよ?」


「四コマとテレビ欄だな」


「それ、読んでるって言わないだろうが!」


 予想はしてたけど、少しだけ期待した分、俺のテンションは限りなく下がってしまう。この男に俺の作品を読ますことができればいいんだがな……。叶わぬ夢というやつだろうか。


「だって、あんな字だらけの紙を読むやつの気が知れないな」


 そこはせめて「活字」って言いなさいよ、と心中で密かにツッコむのも虚しい。俺の肩代わりを誰かにやってもらいたいところだが、残念ながらこの中でツッコミ体質なのはどうやら俺一人のようだった。


「あと、発生から何ヶ月も経ってんのに、未だに地震のことばっかり載ってるんだぜ?」


 山田はそう言って、さらに畳みかけてくる。


「それくらい大事だったってことだろ。お前もちょっとは社会に関心持てよ。そんなんだから作文も書けないんだよ」


 呆れながら詰ってやると、山田は焼いた餅のように頬をぷっくりと膨らませながら反論してきた。もちろん、屁理屈である。


「いいじゃん。作文できなくても、死にはしないんだし」


 もはやお手上げである。っていうか、反駁の仕方がまさに小学生レベルだ。


「感想文だって、興味がないのに書けるかよ」


 どんどん話が逸れていってしまっている気がするが、俺はもはやツッコミを入れる気概すらも失いかけていた。

 しかし、その話に食いついた者が約一名いた。颯夏である。


 やつはノートPCから不意に顔を上げて、


「わかる!」


 と、声を上げた。


「この間も、なんとか省の誰かさんがうちの学校に講演会に来たじゃん。その後で感想文書けっていったって、内容もろくに聞いてないのに書けるわけがないよね。知らねーよ、こっちは興味もないのに無理やり聞かされてんだよ! っていうのが正直な感想」


 可愛そうに。時間を割いて来たのは相手も同じだろうに。しかも、それは創作する者としてどうなのか、と俺は言いたい。ネタにできる機会をみすみす逃してるわけだからな。だがまあ、興味がない事柄に強引に興味を持てっていうのは、酷だったりするのだろうか?


 それよりも、この雑談ムードをそろそろ終わらせないと収集がつかなくなる。


「じゃあま、そろそろ勉強しようか」


 何気ないふうを装いつつ、正面の山田と田中に視線を送る。二人も「そうだった」と言わんばかりに教科書やら問題集やらを広げ始めた。


「じゃ、わからないところがあったら、おのがじし質問してくれ」


「オノがジジイ?」


「お・の・が・じ・し! それぞれに、ってことだ!」


「あっ、はーい」


 ということで、ひとまずは一安心だ。これでいいのか……?


 俺も二人からの質問を待つ間、自分のための試験勉強に取りかかった。

 各々自分のことをやり始めると、部屋はさっきまでの騒がしさが嘘のように静まり返った。しばらく静寂が訪れると、俺はふと颯夏のことが気になり出した。隣でしきりにキーボードを叩く音が気になり、俺は颯夏に目を向ける。


「何をやってるんだ?」


「公募用の最終確認」


「お前、勉強は大丈夫なのか? もう本番まで二週間切ってるだろ」


「大丈夫。正直、一夜漬けでなんとかできるから」


 俺はそれまでノートの上でペンを走らせながら話しかけていたのだが、ふと手を止めて颯夏を見つめた。


「一晩でできるか? 真奈夫なんか、三週間前から始めてるって言ってたぞ」


「誰だ、そいつ」


 またしても、山田が話に割り込んできた。軽躁なやつめ。


「三組の、小説家志望のやつだよ。文芸部で、一日の読書冊数が十冊なんだって」


「うわ、バケモンじゃねーかよ、そいつ」


 驚いている山田を余所に、颯夏も手を止め、自慢するように言ってきた。


「幸い、うちの教師は問題集からそのまま出してくれるからね。たとえば数学なら、式と途中式と答えを丸暗記するんだよ」


「それで、前回は何点だったんだ?」


「80点。そのうち、解き方を理解してるのは50点分くらいだけどね」


「あとの20点は?」


「初めから捨ててた問題。応用問題は全部覚えるのはしんどいから、ヤマ張るんだよ。つまり出そうなところを絞って重点的に暗記するんだ。中間は、七割くらいが読み通りだった」


 そうか、間違えたところはヤマの外れた残りの三割というわけか。それにしても、その暗記力は凄まじいな。

 やがて颯夏は口をつぐみ、再びパソコンに視線を落としていた。静けさが戻り、俺もホッとして勉強を再開する。


 しかしそれから五分もしないうちに、今度は田中から声がかかった。


「おい、東光。これ、どうやって解くんだ?」


 言いながら、田中は問題集をこちらに向けてくる。こいつは暗記には頼らず、実力で解こうとしているのだろう。先ほどの話は聞こえてたはずだが、加わってこなかった。


 俺はやつが質問してきた問題に目をやると、少々愕然とした。

 中学生の範囲、基本中の基本だった。


「……いや、これ因数分解だろ? お前、因数分解できないの?」


「因数分解……?」


 田中は眉間にしわを寄せた後、すぐに氷解したような顔になった。そしてこう言った。


「ああ、わかった。もしかして、2で割っていくやつ?」


「それ素因数分解じゃ!」


 呆れのあまり、ツッコミがつい荒っぽくなってしまう。


「何だよ、こんなの簡単じゃん」


 今までのやり取りを見ていた山田がそう言って、田中のテキストを取り上げた。その問題を田中に示しつつ、「分配法則の逆って考えれば……」などとブツブツ言いながら、解き方を教え始めた。


「あ、なるほど!」


 田中も今度こそ腑に落ちたように、顔を輝かせる。


 続いて山田が、


「俺も、読めない漢字があるんだ」


 と、教科書の一点を指差すと、そこを見た田中は答えた。


「あ、それね。【ゆえん】って読むんだよ」


「えっ? 【しょじ】じゃないの?」


「いわれ、とか、根拠、っていう意味だ」


 山田も、納得したように頷いている。そんな光景を前に、俺はただ居場所を失っていた。

 もうこいつらだけで教え合ったらいいだろ。俺、いる意味ないじゃん。


 知らず、またため息が漏れる。そこへ、俺に助け舟を差し出すべく、颯夏が声をかけてきた。もちろん、彼にそんな気はないのだろうが、俺としては有り難い限りだった。


「ねえ、師匠。俺、リアリティーを追求したいんだよね」


 しかしあまりに唐突すぎて、何を言っているのかよくわからない。もう、脈絡がないっていう範疇を超えている。


「どういうことだよ」


「たとえばさ、関西が舞台になってる作品で、登場人物が関西弁じゃなかったら、それだけで違和感を感じるよね」


 ようやく得心した。なるほど、そういうリアリティーか。だが、それは解釈の仕方によっては説明がつく場合もあるだろう。たとえば、こうだ。


「けど、そこは方言という概念が存在しない世界かもしれないぞ」


「そうだね。だけど、たまにあるんだよ。親が関西弁なのに、子供が標準語なの」


「読みにくいからじゃね?」


 そう言ったのは田中だった。俺も今、同じことを思った。たしかに、セリフといえども全部コテコテの関西弁で書かれると少々読みづらい。だが、リアルさには欠ける。


 読みやすさとリアリティー、どっちを選択するかも作家としての技量を問われる問題だ。俺的には、多少のリアルさよりも読みやすさを選んだ方がいいんじゃないかって気がするけど。読者も、そこまで気にしてない可能性あるしな。


「へえ、いつもそんなことやってるのか! いいな、俺も何か書こうかな!」


 山田も顔を上げ、何が彼をそんなにハイにさせたのか、喚くように言った。


 すかさず、田中が、


「お前、本読まないだろ」


「何だよ、お前もあんま読んでねーじゃん!」


 山田も言い返し、またしても二人して騒ぎ立てるので、さすがに俺も堪忍袋の緒が切れそうだった。


「うるせーよ、お前ら、さっきから! ちゃんと勉強せえや!」


「おい、東光、関西弁!」


 山田が驚きの視線をこちらに向けてくるので、俺も我に返った。


 なんか、ツッコむ時ってどうしてもこうなるやん? 仕方ないやん? まあ、俺の場合だと明確な理由があるんだけどな。


「実は……親父が大阪出身で……」


「そうなのか、俺も実は小4まで大阪に住んでたんだよ!」


「マジか!」


 山田の返答に、今度は俺が驚いた。


「……どこだよ、俺の親父は天王寺に住んでたらしいんだけど」


「おお、近いやん! 俺、高槻!」


「どこが近いねん!」


 ……このように、キャラに素性や過去を絡ませてリアリティーを演出してみるのもいいかもしれない。ちょっとメタいけど。



「そうだ、この機会に俺も何か読んでみよっかなぁ」


「じゃあ、俺のを読んでよ」


 山田の発言に、颯夏は食いつく。


「そうだなぁ、じゃあまずは知り合いの小説から読んでみるか」


「じゃ、今度URL教えるね! 面白くないかもしれないけど」


「ほう。面白くないのか。じゃあ、いいわ」


「こいつの『面白くないかもしれないけど』は『俺のはすっげー面白いからはやく読んで感想聞かせろやボケ』って意味やぞ」


 俺が補足してやると、山田は腕を組んでうんうんと唸った。


「なるほど、ツンデレさんか」


「いや、ツンデレとはちょっと違う気がするんだけど……」


 颯夏の故意の謙遜は、今もまだ健在のようだった。そろそろ、やめさせなくちゃいけないかもしれない。


 それよりも、一体どこに向かうんだ、この勉強会は……。

【用語解説】

・欠る:欠点(赤点)をとることを意味する若者言葉。

・現文:現代文のこと。

・ガッツリ:後ろの言葉を強調するために使われる若者言葉。

・現社:現代社会のこと。

・選択問題で「すべて選べ」なのに答えが1つ:実は、実話です。

・ハモリ:二人以上の声が揃うこと。本来の意味ではない。

・キョシュって何だ?:高1の時、修学旅行に制服で行くか私服で行くかで揉めていて、学級委員の人が前に出て「約束を守れる人は挙手してください」というようなことを言ったんです。でも1、2秒遅れて手が上がったので、学級委員の人がキレてました。あとから聞いたら、大半の人が「挙手」の意味を理解してなかったようです。恐ろしや。まあ、漢字を見ればわかったと思いますけどね。

・どこが近いねん:天王寺は大阪湾に近いところにあるので、京都寄りの高槻からはそこそこの距離がある。

・故意の謙遜:第3講参照。

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