第9講 カクメイ☆レボリューション
本日、晴天なり。降水確率はゼロパーセント。五月のさわやかな陽気に街中はオレンジ色に染まっている。
だがしかし、俺の気分はどんより曇り空だった。その理由についてはお察しの通りだ。家に帰ろうと歩く俺の後ろを、同じ歩幅でついてくる二人の男女。
新米颯夏と古代瑠美衣。颯夏はいつもの日課だと言わんばかりに、堂々たる足取りで歩いている。一方、何故この女がいるのか? それは未だに俺にもよくわからない。
帰り際、「今日は部活オフだから、私も東光くんの家、寄ってもいいかな」と言ってきたのだ。なんでも、いつも放課後に颯夏を家に呼んでは小説の指導をしていると噂で知っていたから、それに興味を持ったらしく、ずっと見学する機会を窺っていたのだそうだ。
ただ、断るのもなんとなく気が引けたから、ついうっかり「いいよ」と答えてしまった。俺のバカバカ!
颯夏はともかく、同じクラスとはいえそんなによく話すわけでもない女の子を家に呼んでもいいものだろうか、という罪悪感がやや強かった。
確かに古代は前の席だし、中学からの知り合いでもあるから、それなりに気まずさもある。ムッツリ系男子であれば、ほの字になって、鼻の下を伸ばしながら意気揚々とステップを踏むのかもしれないが、俺はそんなことはない。断じて、健全中の健全男子なのだ。
俺は部屋の中に二人を入れると、お茶を淹れに一階に降りた。母親は今日も夜中になるまで帰宅しないらしい。
兄に線香を上げ、三人分のグラスに注いだ冷えた麦茶を二階に持って上がる。
盆を抱えながら、身体でドアを押し開けると、颯夏と古代がいつもの卓袱台を挟んで早くも意気投合したように談笑中であった。
「何しに来たんだ、お前ら」
俺は、渋々盆を卓袱台の傍らに置き、それぞれの前にグラスを置いてやる。
「ねえ、いつもどんなことしてるの?」
古代が、川のせせらぎを思わせるきれいな声で言った。
「この間、師匠とスゴロクしたよ」
俺が何か言う前に、颯夏が代わりに答える。
「それじゃ、いつも遊んでるみたいじゃないか!」
もっと創作話に関係のあることをピックアップしてほしかった。ここに来る度に怠けようとするし、「作家になりたい」という心意気が未だに全く感じられない。しかし、最近はちゃんと宿題で出したプロットも書いてきてくれるようになったし、一応進歩はしているみたい。
今日は、以前一度書いた冒頭をもとにして、本編を一緒に練ろうという約束をしていた。というよりは、いつもながらに一方的にさせられたのだが。それなのに、本人は面倒くさがって雑談ばかりしたがる。言ったことはちゃんと遂行してほしいものだ。
「じゃあ、今日から本格執筆だね!」
颯夏は茶を一口飲んでから、そう言った。
今までみたいに「昼寝してからね」とか「今日はやる気が出ないから遊ぼう」とか言い出さないのは、やっぱり進歩しているのかもしれない。こいつにもやっと自覚が芽生えてきたのだと思うと、胸中で感涙してしまう。……少し考えたら当たり前のことだけどな!
颯夏が自分のスクールバッグからパソコンを取り出そうとするので、俺はそれを止めた。
「ちょっと待て、その前に……」
俺は今日、ようやく「小説家への道」に踏み込む決心をしてくれた颯夏にと思って、課題を用意していたのを忘れていた。
いきなり書き始めるよりもまず練習をした方がいいだろうと、あるシチュエーションを設定し、それに沿って冒頭だけを書くという課題を作成していた。
俺は、自分の鞄からA4のプリントを引っ張り出した。それを卓袱台の上に置くと、颯夏と古代が首を突き出して上から覗き込んだ。
『例題を読んで、冒頭を書いてみよう――ファンタジー部門』
昨夜、モーニング・テストの勉強と自作小説の執筆との合間を縫って作成したから、少々粗があるが、練習用だからこんな感じでいいだろうと思っている。
例題:次のシチュエーションに沿って、冒頭を考えてみましょう
・設定 :モンスターを追っていた主人公が、茂みに逃げられて周囲を警戒する場面
・時間帯:深夜2時ごろ
・場所 :夜の公園
颯夏は紙を持ち上げて、「ふむふむ」とそれを眼前まで近づけて凝視している。古代も好奇心をそそられたように、颯夏の隣に座り直して横からその紙を覗き込んでいる。
「へえ、いつもこういうことしてるんだ?」
「いや、今日が初めてだ」
「そうなの?」
何も知らない古代は大きく目を開けて、瞬きをした。ちょっと可愛いと思った。
颯夏は、
「ほうほう、なるほどなるほど」
とわざとらしく言いながら、早速俺が出した課題に取り組んだ。
彼は書き始めるとすぐ顔を上げて、
「これ、字数制限とかは?」
「特にない。好きなように書いてくれていいから」
「できたっ!」
「はやっ」
颯夏は両手で紙を掲げた。えらく満足そうな表情である。その一方で、俺はのっけから不安でならなかった。おずおずとその紙を受け取り、意を決して目を通す。
●颯夏作、課題1
「どこだ?」
モンスターを追いかけてきたが、公園の茂みの中に逃げられてしまったみたいだ。
園内には中央に噴水があり、点々と灯った街灯の光が水面を照らしている。俺は剣を片手に辺りを警戒しつつ、公園によくある黄色の出っ張ったやつの上に飛び乗って公園内を見渡した。
「あそこだ!」
モンスターを発見し、俺は駆け出した。
うん、早くも色々とツッコみたい。やっつけ感みたいなものが文面から漂ってくるし、状況がわかりにくく、説明不足な感じもする。それに第一、何だよ、「公園によくある黄色の出っ張ったやつ」って。
古代もまたまた好奇心を揺すられたのか、顔を覗かせてきた。
「わあ、颯夏くん。面白い書き方するね!」
褒めているのか、皮肉っているのかよくわからん言い方だなと思った。
「ファンタジーってよくわかんないもん」
言い訳がましく、颯夏は言った。
「じゃあ、なんで苦手なファンタジーを書こうとしてるんだよ。前から疑問だったけど」
「その方が読まれるんでしょう?」
「いや、その前に、そこまでして読んでほしいのか?」
すごく今更な質問だが、颯夏が実際のところどう思っているのかがまだよくわからないから一応きいてみる。颯夏が何も言わないので、俺は続けて言い募る。
「ゴールは書籍化なんだろ。けど、今は自分の好きなものを書いて、それから徐々に流行りを取り込んでいく……みたいな計画でもいいと思うぞ。ちょっと遠回りだけど」
「師匠はそう言うけどさ、丹精込めた渾身の一作が埋もれるほど、悲惨なことはないからね。ちょっとでも読まれる方向に持っていきたいんだ。ラノベなんて、みんなそんなもんだよ」
「まあ、否定はしないよ。つーか、それだったら別にラノベにこだわらなくてもいいだろ。一般文芸とか、お前の好きな純文学とか。お前がなりたいのは小説家であって、ラノベ作家じゃなくっていいんだろ?」
「だから、言ったじゃん。純文学を書けないから、ラノベを書いてるんだよ。純文学だったら多少の文学的センスが求められるけど、ラノベには才能もクソもないからね」
「クソって言うな!」
また炎上しそうなことを言いやがる。そもそも、才能才能って言うけどそんなに重要なことか? いや、まあ、ある程度は重要なんだろうけど。
「でも……頑張ったら書けるんじゃないか? もっと本読んで、吸収したら――」
俺が言い終わらないうちに、颯夏は掌を俺の眼前に突き出し、言った。
「師匠、いいこと教えてあげようか」
またかよ。こいつが「いいこと教えてあげようか」なんて言い出す時は、ほとんどがくだらない話だからな。
それでも、まあ、話くらいなら聞いてやってもいい。
「なんだよ?」
尋ねると、颯夏は胸の前で腕を組んで傲然たる姿勢を取り、まるで俺がやつの弟子であるかのごとく、講釈するように話し始めた。
「才能は、努力では育まれないんだよ」
「は?」
「例えば、生まれつき頭の弱い人が東大に行くと息巻いて勉学に励んだり、筋肉のつきにくい体質の人が野球選手になりたいと言って練習に打ち込んだところで、限界がある。それと同じようなことが、作家道においてもあると思うんだよ」
出た、颯夏お得意の現実主義論。以前から思っていたが、この子は無垢で純粋な子供時代を歩んでこなかったのかしら? 夢とは無縁の生い立ちだったのか?
絶句する俺の目の前で、颯夏はさらに話を続ける。
「だけどね、俺にも一縷の野望があるんだよ」
「……一縷の野望?」
「それは、純文学の要素を備えたラノベを書くことだよ。どちらとも区分し難い、マージナルマン的な小説。言わば、誰も挑戦してこなかった新たなジャンルを確立すること! その名も、ラノベ純文学。略して、『ラノ純』!」
お笑い芸人みたいな名前だな。しかも、「ラノベ」ですでに略されてるんだけど……。
続けて、颯夏はこんなことを言い出した。
「あと、書き方なんかも工夫して、斬新な小説を創り上げるんだ!」
「……たとえば?」
「そうだね。全部を主人公以外のキャラの視点で描いたやつとか。たとえば、この小説みたいに」
「メタいな!」
言わんでええわ、そんなこと。
「俺はこの小説界において、革命を巻き起こすんだ!」
と、颯夏は演説するような調子で声高に言った。
まだプロの小説家ですらないお前がよく言えたな、と心底思った。
革命を起こすって……烏滸がましいな、さすが新米颯夏おこがましい。
そんな俺の感想に反して、颯夏はにんまりと笑みを浮かべる。まさしくドヤ顔といった表情で、宣言するように締めくくる。
「それが俺の夢だよ。題して、カクメイ☆レボリューション!」
「どっちも同じ意味だろ!」
俺はげんなりと肩を落とす。そこに、隣から古代の大きく甲高い声が不意に耳を打ち、二重のダメージとなった。
「あ、わかった! これ、ポールのことだ!」
彼女は課題の紙を俺に見せながら、颯夏が書いた一文の中の「公園によくある黄色の出っ張ったやつ」というところを指で示した。
「あっ、それ、ポールのことだったのか」
確かに、公園によくあるやつには黄色が多い気がする。
「へえ。あれ、ポールっていうんだ。初めて知った」
「高一なんだから、そのくらい知っとけ」
その後、俺は課題のプリントと同じサイズの用紙に「小説でしてはいけない五箇条」を即興で書き綴った。
一、己の文章に言い訳せざるべし。
一、他人の文章を軽んじるべからず。
一、名を知らぬものを作中に出さざるべし。
一、調べる行為を怠るべからず。
一、努力を惜しむべからず。
ファンタジーは苦手だからと言い訳したり、他人の文章を軽視したり、名前も知らないものを登場させたり、それを調べもせずに「黄色の出っ張ったやつ」という抽象的な表現で書いたり、「小説家になる」という夢があるのに「やる気が起きない」と怠けたりする、颯夏の悪業を正すべく、俺は書いた。完全にその場のノリだったが、
「これを自分の机の前にでも貼っておけ!」
そう言いながら、俺はそれを颯夏に渡した。やつがこれを見ながら創作に打ち込むことで、願望を抱きつつも無気力だったこれまでの態度を改めるかも、と期待したのだ。しかしやつはその紙をまじまじと見つめながら、
「努力したって無駄なのに……」
と言うので、俺は思わず立ち上がり、やつを見据えながら諭すようにこう言い放った。
「そういうのはな、努力して叶わなかった時に言え! それなら、俺もお前の言い分を心ゆくまで聞いてやる!」
俺、今ちょっとかっこいいこと言った? ……なんて思っていると、傍らに座っていた古代が手のひらを合わせて、
「わあ。東光くん、サマになってるう!」
と、言ってくれた。
そうして、俺は課題の架空の冒頭シーンを添削しながら、冒頭は読者を引き込むために最も力を入れて書くべきところだと教えたり、読者を納得させるためには最低限の説明は必要だと説いたり、颯夏に言い聞かせた。そうしてできた添削後の文章が次である。
「どこだ?」
夜の町を徘徊するモンスター。それらから人々を守るという命を受けた俺は、ここまでモンスターを追いかけてきたが、交差点に差し掛かったところで公園の茂みに逃げられてしまった。
園内は中央に噴水があり、点々と灯った街灯の光が水面を照らしている。俺は、剣を片手に辺りを警戒しつつ、一つのポールの上に飛び乗って公園内を見渡した。
すると、遠くの茂みの方で、草木がわずかにカサカサと揺れるのが見えた。
「あそこだ!」
俺は駆け出した。
いつの間にか夕暮れ時になり、窓の外は紺色に染まっていた。
ふと時計を見上げた古代が、「あっ、私もう帰らなきゃ」と声を出す。
「今日は色々勉強になったよ。いつもこんな感じなの?」
「……いや、今日はまだマシな方だった」
「師匠はいつも口悪いけど、女の子が来てる時は優しいみたいだね」
「お前が言えることじゃないだろ! しかも、俺の口が悪くなる主な原因はお前だからな!」
俺と颯夏のやり取りを聞いていた古代が、クスクスと笑った。
「ふふ、ほんとに楽しそう。私も、何か書きたくなっちゃった。ねえ、東光くん、私も弟子にしてくれないかな?」
古代が笑顔でそうお願いしてくる。彼女の瞳がきらきらと揺れ、冗談なのかマジなのか判別がつかない。
これはもしや……とは思ったものの、俺は今のところ颯夏の面倒だけで手一杯なのだ。ここは名残惜しくもあるが、断ろうと決心する。
俺は床に両手をつきながら、浅く頭を下げた。
「……丁重にお断りします」
「あら、残念」
もしも俺の弟子が颯夏みたいな男の娘ではなく、正真正銘の女の子だったらどんなによかったことか……と、真面目に考えてしまった瞬間でもあった。
古代が帰った後も、颯夏はしばらく残って執筆していた。そして一時間のうちに五千字ほど書き上げてしまった。
今後の課題は、文章を練り出す技能よりも、「いかにしてやる気を出させるか」だと俺は思った。
【用語解説】
・モーニング・テスト:第5講、第6講参照。
・マージナルマン:複数の団体に所属し、そのいずれにも属しきれていない人のこと。つまり、「マージナルマン的小説」とは純文学でもなく、ライトノベルでもない、その境界にある新ジャンルのこと。
・公園によくある黄色の出っ張ったやつ:∩ ←こういう形のやつ。見たことない?




