第8講 反省文から学ぶ日本語表現+?
五月の連休も終わり、そろそろ蒸し暑い日が多くなる頃だ。そして、学校でももうすぐ中間テストとあって、皆の心が憂鬱になってくる時期でもある。もちろん、俺もその例に洩れない。
もういっそのこと、自分が生み出した創作の世界へ逃亡してしまいたい、なんてことをわりと真面目に考えている。実際にはそんなことは有り得ないけど。まあ、妄想はタダだからな。
今日は山田から「放課後、残って待っててくれ」と言われたので、俺は皆が帰った後も教室に一人、居残っている。
山田は昼休み、田中と遊んでいて一階の廊下の窓ガラスを割ってしまい、反省文を書かされたそうだが、書いた文を添削してほしいのだという。俺が作家だということを見込んでのことらしい。そう言われれば、無下に断るわけにもいかず、こうして待っているというわけだ。
「やあ、遅くなってすまん」
詫びながら、山田は教室に戻ってきた。
「どこ行ってた?」
「部活の先輩のとこ」
山田は、部活に遅れる旨を伝えにいってたということを喋り、俺も納得した。
それから山田は、俺の一つ前の席、つまり古代の席に腰を下ろす。ポケットから四つ折りに畳まれた一枚の紙を出し、それを何故か見せびらかすようにひらひらと揺らす。山田はそれを広げながら、俺の机の上に置いた。
「これなんだけど。添削? をしてほしいんだよ」
こいつ、「添削」って言葉、今日初めて覚えたな。そんな口振りだ。
添削するだけでも骨が折れるんじゃないか、とか危惧しつつ、俺はそいつの書いた反省文に目を通した。
『1年2組 氏名:山田竜基
今日、僕は田中は中庭でキャッチボールしてて田中のコントロールがにぶって取りそこねたら後ろから何かが割れる音が聞こえてふり返ったら窓ガラスが割れていました。二人で弁償しろっつーことでしたが、いけないことだったと思います。これからは気おつけようと思います』
「文章、ヘッタクソやな!!」
思わず、関西弁っぽくなってしまった。親父の影響だろうか。
短すぎるだろ。こんなもん、添削のしようがないじゃないか。しかも「気おつける」だって。最近の小学生が見たら笑うぞ。
一体、これを俺にどうしろって言うんだ。本を読んでないと、ここまでひどいのか……? これはさすがに予想外だった。
「あのさ……山田くん?」
「何だ?」
「これ、自分でちゃんと見直してみた?」
「まあな。けど、お前ならいいアドバイスくれると思ったんだ」
「アドバイスって……これじゃ、ますます怒られるだろ……」
反省する気持ちが、文面から全くと言っていいほど伝わってこない。
さて、どうしたもんか。ここまで悲惨だと、どこから手をつけていいかもわからないな。
こんな時に颯夏が来たら、ダブルで相手をしなくちゃならなくなる。来ないことを祈る。
そういえば今日、あいつには何も話してないから、もしかしたら今頃いつものごとく下駄箱あたりで待ち伏せしているかもしれない。
「じゃあ、まず、書き出しの部分だけど……」
辟易しつつも、山田に対し、文章がおかしいところを指摘しようとした時。
噂をすれば影、とは言い得て妙かもしれない。ダダダ、と激しい足音が廊下から響いてくると同時に、教室に誰かが飛び込んでくる気配。
「師匠! 遅いっ!」
案の定、颯夏だった。颯夏は、俺と山田の間に仁王立ちすると、
「何してるの?」
と、俺を睨むように見下ろしてきた。
「今、山田の反省文を添削してやってるんだ。だから、もうちょい待ってくれ」
不安だったが、案外颯夏は聞き分けよく「わかった」と言って、俺の近くの席に勝手に腰を下ろした。すると十秒くらいして、気になったように颯夏はまた立ち上がり、山田の反省文を覗き込んだ。
「文章、ヘッタクソだな!」
驚いたような颯夏の高い声が、教室中に響き渡る。さっき、俺も同じことを言った。珍しく、二人の意見が一致した。……喜んでいいのかわからないけど。
「そうか?」
罵倒された本人は、けろっとしたように応答した。その精神、見習うべきところがあるかもしれない。いや、見習うべきではないか。
とりあえず、気を取り直して、反省文の最初の部分をペンで指し示してやる。
「これ、『僕は田中は』って書いてあるけど、どこがおかしいかわかるよな?」
「えーと……」
山田は、眉を寄せながら頭を掻く。……マジでわからんのかよ。
「ここ、『は』が続いてるだろ?」
「あ、ホントだ! いやあ、全く気づかなかったぜ」
「『てにをは』って聞いたことある?」
「何だ、それ?」
やっぱり知らないかー。
「まあ、一言で言ってしまえば助詞のことだよ。一文字違うだけで、全く違う意味になったり、全然意味が通らないこともあるからな。正しくは『僕と田中は』、もしくは『僕は田中と』ってところか」
「な〜るほど〜」
こんな調子で、気になるところを次々に指摘していく。
「あと、一文が長すぎて読みづらいな。文章を切るか、読点を入れた方がいい」
俺は一行のキリがいいところで、それぞれ読点をつける。
『中庭でキャッチボールしてて、田中のコントロールがにぶって、取りそこねたら後ろから何かが割れる音が聞こえて、ふり返ったら窓ガラスが割れていました。』
少しは読みやすくなったかな。でもまだ、ところどころおかしい。それを一つずつ処理していこう。
「とりあえず、この文章からでも田中のコントールが鈍って、お前が取り損なったから割れた、ってことはまあ読み取れる。だけど、取りそこねたのが誰か、っていう箇所が抜けてるから、一応書いておいた方がいいかもな」
「いや、だってお前わかったんだろ?」
「俺はわかったけど、読む人によっては少々わかりにくい気もする」
そこで、もうひとつ。これは先程から気になっていて、きくタイミングを窺っていたところだ。
「あと、お前らが中庭でキャッチボールしてたこと、先生達は知ってるんだよな?」
「知ってる。俺、言ったし」
「じゃあ、わざわざ反省文に書く必要あるか? なんていうか、あらすじみたいになってんぞ」
「あぁ、確かにそうかも。いやあ、勉強になるな!」
俺は呆れた視線を山田に投げつつ、次に移る。
「で、次の一文だけど。最後のこれ、どういう意味だ?」
「うん?」
どこが間違っているのか、といった顔だ。
幸せが逃げないように心の中だけで深くため息をついて、俺は言葉をつなぐ。
「もうすでに色々ツッコみたいんだが、まず前後の文で全く意味が繋がってない。何を『いけないこと』だと思ったんだよ。この場合、『弁償すること』が『いけないこと』だととられても仕方ないぞ」
「あ、そうか」
ようやく、山田も腑に落ちたという顔をする。
「それから、『〜っつーこと』は口語だからな? メールじゃないんだから、そういうのは気をつけろよ。もっと細かいことを言えば、一文目の『キャッチボールしてて』の『してて』も『い抜き言葉』っていって、書き言葉としてはそぐわないからな」
どこからか、「お前が言うな」という声が聞こえてくる気がするが、今は無視しておこう。特にラノベとかではそういうの、かなり緩い方だと思うし。
ということで、書き直された文章が次である。
『今日の昼、一階の窓を割ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。原因は、田中のコントロールが鈍って、僕が取り損ねたことです。そもそも中庭でキャッチボールをすること自体に問題があったと思います。田中と二人で弁償しろとのことでしたが、もちろんそうするべきだと思います。重ねて、申し訳ありませんでした。』
「いやあ、よかったよかった。お前に頼んでマジ正解だった!」
山田はさぞ満足のようだ。最初の文章に比べれば、かなりマシになったから俺としても安堵している。まあ、実質俺がすべて書き直したんだけどな。最後の『重ねて、申し訳ありませんでした』なんか、俺が提案したのをそのまま変えずに書きやがるし。
それにしても、すっかり颯夏の存在を忘れていた。ずっと黙ってるから、いるのかさえ途中からわからなくなっていた。
颯夏は退屈そうに、俺の隣の席で上体を伏せていた。
「新米、悪かったな」
念のために謝っておくと、颯夏は身体を起こして顔をこちらに向けた。
「俺、いいネタ思い浮かんだ」
目を輝かせて、そんなことを話す颯夏。
退屈を紛らわせる妄想、ってやつか。それは俺も気になる。
「どんなこと思いついたんだ?」
「それは内緒。帰ってからね」
もったいぶる颯夏に、いささかイラッとくる。だが、待たせてしまったのは申し訳なかったかな。仕方ないと言えば仕方ないとはいえ、無駄な時間を過ごさせてしまったのだから。
「そういや、新米も小説家を目指してるんだっけ?」
部活に行く用意をしていた山田が、急に口を挟んできた。
「まあね。いつか有名になってやるんだ!」
胸を張りながら、颯夏は高らかに言う。
「なるほど。隔絶された世界を打ち砕く申し子ってところか……」
「はっ?」
颯夏の目が点に変わる。いや、彼だけではなく、きっと俺も同じような顔になっていることだろう。俺と颯夏の視線が、同時に山田に注がれる。
一方、山田は何も感じていないらしい。
「それで、今はどんな話を書いてるんだ?」
と、本も読まないくせに颯夏に尋ねる。
「今、流行りに便乗してファンタジーを書いてるんだ!」
再び、颯夏が得意げに答える。すると、山田はこんなコメントをした。
「マジか! 常世からもたらされし闇夜の武勇伝ってやつか!」
「……え?」
さっきから何言ってんだ、こいつは。
颯夏も目を皿のように見開いている。完全にドン引きしてる顔だ。
呆然としている颯夏に代わって、俺は山田に問いかける。
「あの……お前、さっきから何言ってんの?」
「何が?」
「いや、その……ダーク何とかって……」
「あぁ。実は最近、俺の中でちょっとしたファンタジーブームが来ててな。ネットの無料サイトでそういう系のマンガ読み漁ってるんだけど、なかなか面白いのがあってさ。お前も読んでみろよ。イチオシは『まぼろしのファンタジア』だ!」
語り始めた山田の言葉に、俺は絶句する。気がつくと、颯夏もこちらにじっと視線を送っている。
それ、俺の小説なんだが。同じタイトルのものでなければ、俺の作品を見知らぬ誰かが無断でコミカライズしているということになる。それはそれで大問題である。
「えっ、それ、どこのサイトだ?」
「えぇっと、何だっけな……コミ……コミ……コミック・レインボー!」
「違法サイトだろ、それ!」
「えっ、そうなの?」
きょとんと両眉を上げる山田。
《コミック・レインボー》……二次創作サイトの一種で、誰でも登録・投稿が可能で、そこに掲載された作品は誰でも閲覧できる。ただし、あくまで非公式なので、違法サイトだとされている。しかも、世の中に流通している小説や漫画の設定や世界観を、自分の好きなように改変して投稿している作者も多いと聞く。俺の作品も、色々といじられてるのかな? そう思うだけで、鳥肌が立つくらいには気味が悪い。
「山田、そんなとこでマンガ読んでんのか? ちゃんと公式のを買って読んだ方がいいぞ」
「いやあ、最近ますます金欠でさぁ、あんま金持ってないんだわ。田中はマンガ結構持ってるらしいから、たまに借りてるけど。そうだ、東光は?」
「俺もちょっとあるけど、でもほとんど兄貴のだからな……」
「まあ、違法サイトって教えてくれてありがとうな。俺、本気で知らなかったから」
山田は、口端を引きつらせながら苦笑している。
うっかり、ため息が漏れてしまった。そこでまた、山田から心配そうな声をかけられる。
「どうした、東光。元気ないじゃん。もしや、追憶の堕天使にでもやられたのか!?」
「「もうええわ!!」」
俺と颯夏の声が重なった。
またもや、いつの間にか颯夏の存在を失念していたことに気づいた。
すまん、颯夏。
後半部分、まじでいらんかったと思う。
【用語解説】
・気おつける:中学の時、書いてるやつが同級生にいました。
・隔絶された世界を打ち砕く申し子:知らん。
・常世からもたらされし闇夜の武勇伝:知らん。
・追憶の堕天使:知らん。




