第十二話「薄幸の願望」
煙草の匂いがする。
それが、姉さんが家に帰ってきた時に僕が毎日のように言う言葉だった。
姉さんは夢見がちな性格みたいで、高校二年生の頃に一つ上の先輩と付き合っていた。
僕もその人は姉さんの紹介で知ることとなったが、いい人だと思った。
俗に言う不良なんだろう。煙草や酒の匂いが取れていないようで、初対面では嫌な顔を晒してしまったのを覚えている。
流石にうちに来る時には匂いは消していたが、友人たちとの付き合いなんかで吸っていたのだろう。
姉さんが取られたと思った時、僕は彼――佐原総悟に嫉妬したが、総悟さんは優しく、あの二人の関係に僕を簡単に入れてくれていた。
成績も良く僕が数学を教えてくれとせがむと、決まって笑いながら教えてくれたのをよく覚えている。
そんな優しい総悟さんが死んで、姉さんは変わった。
性格には、いつものおどけた明るい口調は変わらないのだが、どこか寂しげな目をしていて。
三か月後、姉さんは自殺した。
理由はきっと、総悟さんが関係していて。
「凄いな……姉さんは」
僕は、悲しいと同時に、最低の感情を抱いてしまったんだ。
「僕には無理だよ。絶対」
――死んでしまったことを、羨ましいと思ったなんて。
「で、茅野が帰省で初詣俺らに混ざりに来たと」
「……はい」
健斗が僕に呆れた目を向ける。
「俺たち彼女いない組になんの罪悪感もなく連絡送ってきたと」
「……はい」
祐大が僕に冷ややかな目を向ける。
「なんなら茅野と行けなくなったと泣きついてきたのは」
「マジでごめんって!!」
耐えきれなくなり、僕は全員に風を感じさせるほどの勢いで謝罪。
一年生男子バスケ部総勢七名のうち、僕以外に彼女持ちは二人。つまるところ、ここには僕含め五人いることになる。
「まぁいいじゃんか。せっかく来てくれてるんだし」
「大智ぃ……」
「まぁ、俺らに言われないと謝罪しないのはどうかなと思うけど。一番遅いし」
「ごめんってば!!」
救世主、メシアである大智に涙ぐむ反面、辛辣な評価の湯神幸一には全力90度で頭を下げる。
「大方茅野関連のことを掘り下げられると思ってテンション下がってたんだろ」
健斗が的を射た発言をしてくるので僕はぐぅと変な声を上げる。
割と自信たっぷりに茅野と初詣に行く宣言をしてからのこの情けなさは、残念と言うよりも羞恥が優る。
兎にも角にも、
「悪かったよ。その通りだよ。あと、あけましておめでとう」
「「「「あけましておめでとう。今年もよろしく」」」」
「じゃあ、行こっか」
新年の定型文を伝え合い、僕らは並んで歩き出した。
うっすら雪に覆われた通りは、人の足に踏まれ続け凍りかける勢いを増し、時々僕らは滑りそうになるので慎重に歩く。
神社に向かったり、参道の屋台に向かったりする参拝客で通りはごった返しとなり、僕らは目移りしそうになった。
「やっぱ新年早々に行くもんじゃねぇな」
「でも今日くらいじゃないと練習あるしな」
人混みで肩や足がぶつかるのに苛立つ幸一に、祐大がボヤきのフォローを入れる。
新人大会の都大会は一月中にあり、自分たちの能力を確認するための時間は残り少ない。
ここで上手く軌道に乗らなければ、後の大会にも悪影響を及ぼすことは目に見えているため、今週も練習はある。
「そーいや課題は?」
これからのチームへの期待と不安で押し潰されそうな所に、大智が追い討ちをかける。
主に健斗と祐大に。
「やめろ、その話は今はしなくていい」
「タイちゃんいくらなんでも言っていいことと悪いことがあるよ」
「そんなに!?」
いつもながらギリギリまで溜め込むタイプの二人は鬱のような表情をしており、幸一はそれを見て有り得ないとでも言うような蔑み方をしている。
「康幸、お前は?」
「あと二割くらい。幸一は終わってんの?」
「もちろん」
「バイトもして部活もして課題終わらせるの一番先ってなんなんだよ」
平然と、好きな甘味をちらちら見ながら言い張る幸一にため息をつき、僕らは石段を上がっていく。
十数分待ち続け、ようやく賽銭箱の前まで辿り着き、お賽銭を投げて全員で拍手を打つ。
目を伏せ、手を合わせ、礼。
僕が望むのは――。
「「「「「せーの!」」」」」
「お、大吉だ。ラッキー!」
「俺もだ」
健斗がピースサインで僕らに見せびらかし、幸一は何気ないように見せつつこっそり財布におみくじを入れている。
「俺は中吉だなぁ」
「俺吉。あれ、中吉と吉ってどっちが上だっけ」
「え、わかんない」
祐大と大智はお互いのおみくじを見合いながら優劣をつけあってる。
基本的には吉の方が位的には上らしいが、場所によっては中吉の方が上。地域で色々な判定があるからあまり気にしなくていいだろう。
僕が引いたものだけを除けば。
「康幸どうだったー?」
「……凶」
「嘘マジで!?」
大爆笑で僕の手元のおみくじを見る健斗はツボに入ったようで、幸一なんかは哀れみの目を向けてくる。
「漫画とかでしか見た事ないぞ凶なんて」
「僕だってこんなの初めてだよ!」
「慎重に行動。災いってなんだろ」
「知らないよとりあえず気をつけときなよ!」
優越感に浸る幸一にツッコみ、全くぼくを意に介さず自身のおみくじの内容をまじまじと見ている大智に注意を促す。
割とツッコミ役としてのキャパオーバー状態だ。
「まぁとにかく恋愛でも見とけって。そこが一番大事だろ?」
わかりやすく落ち込む僕にフォローと追い討ちの両方を投げかけてくる健斗。
これで別れよなんて出たらどうするのか。凹むぞ。
「恋愛の部分は、と」
「お、どう?」
「途中で曲折あり……迷わず助けよ……えぇ」
「まぁ別れよとかそんなひどいこと言われないだけマシでしょ」
前途多難ですと予めお告げをされ落ち込む僕に祐大が精一杯のフォロー。凶だからある程度の覚悟はしていたが、改めて書かれていると精神的にくるものがある。
「曲折ってなんだろな。今んとこそんな感じさらさら見れないけど」
「まぁとにかく、用心しときなよ?」
全員からフォローが回ってきたところで僕はようやくみんなに気を使わせていることに気づき、何か話題を変える内容を考える。
「まぁ逆にラッキーだと思えばいいよね。一応結んどくけど」
「まぁそうだよね」
大吉ではなかった組はおみくじを結んでおき、僕は一応ここでも目を伏せ手を合わせてもう一度お願い。
「多分そこには神様いないぞー」
「わかってるよ願掛け願掛け」
くるりと半回転し、四人の元へ。
「お参り何お願いしたのさ」
二度も神頼みをしたため、健斗が僕に追求。次はお守りを買うため社務所へ向かう。
「基本みんなバスケのことでしょ。康幸は茅野さんもかもだけど」
「そういう大智は椎名のことお願いしなかったのかよ」
「いや、まぁそれは確かに願ったけど一番はバスケだからね!」
大智が珍しく僕をからかおうとしてくるので健斗が逆に大智に聞き返す。
当然例の如く、茹でダコになった大智は早口で言い訳を捲し立て、僕らは口元が緩む。
「幸一は? バスケ?」
健斗なんかはスタメンになることを願うと予め言ってたし、祐大は五人同じクラスがいいと言っていた。
文系理系で別れるので既に叶わない夢ではあるが、可哀想なので掘り返さないでおく。
「いや、違う」
「あれ」
幸一も幸一で中学からずっとバスケを続けているし、健斗と同じスタメン等を夢にしていると思ったので意外な反応だ。
「じゃあ何願ったの」
「……姉さんの受験合格」
「「「「あぁー」」」」
四人全員からの納得の声。
「大智や康幸がアレなだけで、幸一もまぁまぁこーゆーとこあるよな」
「うっせ」
恥ずかしがるくらいならば嘘でもなんでもつけばいいのに、正直に願い事を口に出す幸一にも僕らは笑みをこぼす。
早慶を目指す幸一の姉の話はよく聞くし、姉の代わりに参考書を買おうとするのは帰り道でよく見る光景だ。
「まぁみんならしいっちゃらしいよな」
一頻り願い事を聞き回ったところで、健斗が呟く。
自分のためだったり人のためだったり、願い事の内容は人それぞれだが、聞けばそいつらしいなと思えるくらいには仲良くなったのだなと僕はしみじみ思う。
僕の願い事はもちろん茅野のこと。そしてもうひとつは、
「みんなの願い、きっと叶うよ」
大切な僕の、部活仲間たちの夢が叶うことだ。