mission2-2
この世界に来てからはやくも3日目。
ベニヒメだけにかぎれば、コミュニケーションにつまることは少なくなってきた。
なにせこの子は表情がすごくわかりやすい。
何を伝えんとしているのか、それを伝えるのがとても上手なのだろうか。 なんとなく言いたいことがわかるんだ。
発音は諦めた。 どうもアメリカ英語で培った発音技術ではこの国の言語は非常に発音しづらい。 3日そこらでどうこうなるようなレベルじゃないので今は諦めることにした。
今できることは、文字の習得だ。
カタチが何千年もかけて洗練されたようなシンプルさで、すぐにその文字の特徴もつかめる。 日常生活で覚える文字は英語より多いけど、それでも五十字程度。 多くはない。
この五十字はすべて独自の発音をもち、文字の組み合わせ………つまり単語になる際に、一定のルールに従い発音が変わる。 ここは英語も一緒。
そのルールがすこし多い。
例えば単語の最後にEがつけば大抵の単語はアルファベットの音にしたがった発音になる。 それとおなじようにある一定の場所に対応する文字があればその文字によって全体の発音のルールが変わる、ということ。
この3日で意味はわからずとも、その構造やルールがなんとなくつかめてきた。 なるほど、こう言いたいのだな、ということが伝わる。
それはつまり、表現がとても素直だということ。
この言語はとてもシンプルで豊かかつ素直。
この言語の名前はせんとらるへか………というらしい。
知識を総動員して頑張ってみた結果だ。
「おねーちゃん! きょーはなにする!?」
本とにらめっこしていたらベニヒメが出てきた。 わっくわくとしっぽを振りながらこっちをキラキラと見ている。
「えっと………きめて、ない。」
うう。
発音が難しすぎる………。
舌がひきつりそう。
「そっかー! おかいものいこう!!!」
「え? ………おか、も?」
そりゃ外は出たことあるよ。
1日勉強をみっちりやって鬱になって外の光景も見たくなるし。
だけど、ベニヒメのいうお買い物。
それはつまり、外部の人間とコミュニケーションをとって、ものを買うこと。
当たり前だけど、何の言葉も介さず買い物ができるわけがない。 ………第三次世界大戦が始まる前まではインターネットを介して直接関わることのなく買い物ができていたらしいけど。
そんなわけであたしはベニヒメによそ行き用に着せ替えさせられている。
「うーーーーん!!」
ベニヒメがひらひらの服を取り出して広げながらくちを尖らせている。 かわいい。
だが。
「………はぁ。」
………見りゃわかるでしょう?
四肢が欠損し、傷跡だらけ。
鏡でも自分の顔を見るけど。
瞳は赤く三白眼気味で鋭く細い。 男よりも攻撃的で視線だけで人を殺せそう………などといじられたことがある。 冗談じゃないよ。
そんなあたしがこんなかわいい服をきたって似合うわけがない。
「ベニヒメ………。」
「うゆ?」
耳が先に反応し、こちらへ振り向くベニヒメ。
「ごめんなさい。 あたし、あの服がいいかな。」
「あの服ーー………。」
あたしが指で示す先には………ごわごわした生地でできた焼けた小麦のような色の服。
あたしのすんでいた地域の五十年近く前にはあれに似た服があったという。インディアン………だったかな? 鳥を思わせる意匠がこらされた民族衣装と良く似ている服。
インディアンの服からあのふさふさした部分を無くして、代わりに染色で染めた紋様のようなものがある。
あれがあたしの心理的にすごく着やすい。
大きくゆったりしているから………隠しやすい。
「あれがいいのー?」
「うん。 ごめんね。」
「いいよーー!」
ベニヒメは口を大きく開けて笑う。
よく笑う子だなぁ。
ゆったりと大きなポンチョのような服を着ると、おお………と自分で感嘆する。
着心地が想像以上によい。 ごわごわしているのかと思いきや、さらさらふわふわした布地で、すこし伸縮性がある。
「にあってるよー!」
「ありがとう。」
あたしは右手で長い棒をもち、それを支えに立ち上がる。 すこしからだの中が痛んだけど、我慢。 最初のあれほどじゃない。
立ち上がる。
残された左足が消えていった右足の分も支えようとすこし震える。
………つきりと痛む。
「………全身くまなくやられちゃったんだなぁ。」
右足が腿の中間からえぐりとられたのにたいし、左足が比較的軽傷だっただけで、無事とは言わない。
こんなんで仕事できるのかどうか………。
「なにしに、いくの?」
「おやさいとおさかなをかうの!」
おやさい………野菜ね。おさかな………おさかな………発音が聞き取りにくいなぁ。
「おでかけ!!」
彼女はそういって玄関のドアを開ける。
【太陽】の光が、そこから大量に流れ込んでくる。
思わず目を細める。
未だに【太陽】の光には慣れない。
「………眩しいな。」
ドアをくぐればそこは外の世界。
たくさんの人々が石の床の上を闊歩する。
多くの家がそこに立ち並ぶ。
異世界………か。
神様が何の気まぐれでここにあたしを呼んだのか。
生まれ変わりでもない、ただの転移。
ここにも異世界からの転移者、転生者がいると聞く。 すべて同じ世界ではなく、異なる世界から来ているという。
同じ世界ということはほとんどない………だから同郷のひとと出会えるかどうかもわからない。
だけど掛けてみる価値はある。
………それがグラップに対する、この世界で生きる意味の答え。
それにはおそらくグラップのように『お仕事』とやらをやるのが一番手っ取り早い。
………おそらく、軍人として培った殺人能力を買われるだろうけど。
まあいいや。
【ろくでもないやつ】だったら殺せばいい。
「おねーちゃん、かおがこわいよ?」
ベニヒメがこちらを見上げてそう言った。
………子供のいるところで考えるものじゃなかった。
「ごめんね。 変なことを考えてた。」
つい英語で言ってしまったけど、ベニヒメは気にしないようでにっこり笑った。
………この子は何の苦労も知らなさそうだな。
過去のことは知らないけれど、幸せに暮らしてきたようだ。
………グラップとベニヒメは親子なのだろうか?
「ベニヒメ。」
「なあに?」
「グラップは、あなたのおとうさん?」
ベニヒメは首を横にふる。
………?
「おいちゃはね! おいちゃなの!」
お、おいちゃ………おいちゃ………?
突然何をいっているのだろう。
「おいちゃはね! すっごいの! わるいやつがいーーーっぱいきてヒメのところにきたの! おいちゃはね! ヒメをまもってくれたの! うでがばーってうごいて、わーってたおしたの!」
ぬぉおおおおおお!
わからないよ!
「そうよ、こいつまだ子供だった。」
まだ発音はなめらかではないので、勉強真っ只中のあたしには何をいっているのか甚だわからないときがある。 それがいまみたいな【具体的な説明】じゃなくて【抽象的な説明】だったら何をいっているのかわからないのは当然。
ただ、ベニヒメが自分のことをヒメと呼ぶのはなんとなく読めた。
そして「おいちゃ」とやらがおそらく、グラップのことを示すんだろうか。
「そうなんだ………すごいね。」
「うん! すっごいの!」
わちゃわちゃと腕を動かすので、グラップのあの腕の装備のことをいっているんだろう。 あのなんだかよく分からないガントレットのようなもの。
まだまだ二人には謎がたくさんあるみたいだ。
この買い物にはあたしにとってはリハビリの意味も兼ねている。
本来いきなり片手片足になっていきなり立ち上がるとか歩くとか、そういった動作はできない。 元軍人だからかなにかはわからないけど、家のなかに限れば多少は歩けるようになった。 たぶんとんでもない早さで歩けるようになったのだろう。
でも実際外に出てみれば自分が身体的障害者であることをまざまざと感じる。
土はぼこぼこ、石も混じってる。 靴を履いた足ならまだしも、棒で支えている腕は想像以上にパワーを使う。 そのうち美しくないアンバランスな肉体になりそうで怖い。
これで両腕が残っているならもっとかなり楽だったろうに。
「はぁ………はぁ………。」
軍人として鍛えた体力もさすがに疲れが見えてきた。 ほんのわずかに息があがる。
ベニヒメはいちいち「大丈夫?」などとは聞かない。 最初の状態に比べればとてつもなく回復していることを知っているからだと思う。
まだ3日の絆だけれど。
すこし、ベニヒメのことがわかってきた。
………やけに視線が気になる。
まわりの人がこちらを見ている。
「………。」
あたしもぱっと周りをみるけれど。
まあ、肌が白くて灰色がかった髪で傷だらけで片手片足の女はいないよね。
その上目付きも悪い。
完全に不審者だ。
「………ここって治安いいのかな。」
ベニヒメは知らないけれど、服の下にアサルトライフル【ゲイル】を隠し持っている。
弾は入ってないけど、無いよりはマシかな、と判断して持ってきている。
片手片足の女と年端もいかないガキの二人組だからね。
悪いことを考えるやつがいないことを祈ろう。
―――
「それでねー、おいちゃは………」
ベニヒメのおしゃべりを聞きながら、あたしはその男を発見する。
こっちをみた瞬間分かりやすく眼をそらした男。
そしてすれ違おうとする―――
男の手があたしの腰に伸びる。
………けっ。
あたしはその男の手をさらりと避ける。 荷物を強引に引ったくるつもりだった男の手はスカッと空振り、転けかけた。
「っ!」
「………?」
あたしは普通にそのまますたすた歩き、後ろで物音がしたのに振り向くベニヒメ。
男はこちらを睨む。
………何?
「顔、覚えたぞ。」
男は去り際に吐き捨てるようにそういってきた。
そうか。
たかがこの程度で顔を覚えられても困るけど。
面倒なやつだ。
「なにー?」
「なんでもないよ。 ―――ちょっとぶつかっただけ。」
なんだか嫌な予感がするなぁ。