mission1-1
ちゅん。
ちゅん。 ちゅちゅん。
音が聞こえた。
まったく聞いたことのない音だ。
子供の口笛のような、きれいで可愛らしい音だ。
まぶたを開ける。
目がひどく乾いているみたいで、開けようとしたとき目が痛んだ。 その痛みにしばらく顔をしかめた。
体は仰向けの状態で横になっている。
徐々にまぶた越しに光を感じとり、眩しさを覚え始める。
息が少しずつ早くなり、動いていなかったかのような心臓の鼓動がはっきりと大きく伝わり始めた。
起きるときにいつもなる、体の覚醒。 この状態から体を起こすに数秒ほど待たないと、起きたときにひどいめまいが起きる。 だからすこし待つ。
息と鼓動が落ち着き、ゆっくり体を横に倒して、腕をついて起こす。
あたしは息をゆっくり吸い込み、肺の中にきれいで澄んだ、とても美味しい空気を取り込む。 頭のくらくらする硝煙や硫黄、ひどい呼吸困難を起こす一酸化炭素の匂いもない、非常に気持ちの良い、空気だ。
そこまできて、あたしはひどく狼狽した。
ひどく驚いた。
一瞬からだが拒絶反応を起こした。
要するにむせた。
「げほっ………こほっ。」
一旦息を落ち着かせる。
おかしい。
こんな空気は味わったことがない。
ここはどこだ。
いまだに乾きのおさまっていない目を無理やりこじ開け、目の前の光景を見ようと努める。 痛みがつらい。 けど、ここがどこかわからない。 はやく状況を確認しなきゃ………眩しい。
あまりの眩しさに涙がようやく出てきて目が潤い始め、やっと目を開けることができた。
あぁ。
そうか。
あたしはやっと察した。
そうか。
ここは。
死後の世界なのか。
目の前の光景に飛び込んだのは、あり得ない光景だった。
土や、石炭が燃えて出てきた不完全燃焼の煙や、目を潰すために焚かれた赤い煙が混じった黒い空がない。
ごろっとした石、罠として作られた鉄の棘、朽ちた銃剣が落ちていたどす黒い地面もない。
そこには。
遠くまで澄みきった青い青い空。
それをふかふかとした白い何かが一定の速度で飛んでいる。
地面はうす緑色の柔らかいふさふさした何かで覆われている。
茶色い棒がそんな地面の上に立ち、緑色の毛を揺らしている。
澄んだ空気があたしの頬をそっと撫でた。
なんだろう。
みたことのないものだらけだ。
上を見れば。
ふしくれだった太い茶色の棒がすぐあたしの横にたっていた。
そいつも、緑色の毛を揺らしている。
その緑色の毛の間からちかちかと何か強い光を放っているものがあった。
半ば呆然としていた。
今はもう亡き戦友の訛りの酷い言葉が耳によみがえる。
なぁ。
知ってるか?
俺たちは、死んだらどうなると思う?
えッ? 何も言わないむくろになっちまう?
ちげぇよ。
死後の世界にいっちまうんだ。
それもとびっきりきれいな、世界が!
≪太陽≫が照らして、青い空があって、緑色の大地がある。
すっげぇ昔の本にあったんだぜ。
いつか。
死んじまったときにゃあ。
いってみてぇもんだな!
もしかしたら。
ここにヒレンがいるかも。
ヒレンだけじゃない。
ゼルフ指揮官も、クロッソもいるかもしれない。
会いたい。
会いたい。
あたしはいまだにきちんと言うことを聞かない体の状態の確認に入る。
そして気づく。
黒い装甲板を取り付けられたごつくて重いもの。
横に青いラインが走り、青い文字で小さく。
≪GALE≫
そうかかれていたものを。
左腕に握っていたことを。
焼かれて落とされた左腕は無く。
速射砲に穴だらけにされた右足も膝から先はなく。
あたしは四肢の一部が欠損したままだった。
最期に死んだときの体のままだったのだ。
そのせいか。
痣だらけだった左足とあまり損傷を受けていなかった右腕は残っている。
きれいに、とはなっていない。 火傷跡もきちんと残っている。
槍に貫かれていたはずの胸には。
丸くて大きな傷跡が残っている。
よく見れば残った四肢にも、大小さまざまな傷跡が残っている。
あたしはふと気になって。
ボロボロの防寒上着と防弾チョッキ、もはや形すら留めていない肌着を脱ぐ。
最期にあの男から受けた、あのたくさんの弾丸。
あたしの体にはその弾丸を受けた箇所に寸分たがわず。
たくさんの弾痕がびっしり刻まれてい
あれは本当にあった、戦いだった。
痛みはない。
それどころかほぼ裸になって、その体を撫でる優しい風に少しの安心感を覚えたくらいだ。
戦場で防弾チョッキを脱ぐことは死に直結するというのに。
ちゅん。
ちゅちゅん。
また聞こえた。
あたしは上を見る。
緑色の毛が見える。
青い空が見える。
上着を羽織直し、あたしはずり、ずりとその緑色の毛の下から出る。
一際緑色の地面が明るくなっているところへ向かった。
そうして、あたしは初めて気づいた。
今まであたしがいたところは≪影≫だったことに。
上から光が降り注ぐ。
暖かい。
上を見れば。
とてもとても強い光を放っているものがあった。
あまりの眩しさに目を閉じてうつむく。
「っ………はぁ………ぁ………。」
あたしは、初めて≪太陽≫を見た。
きっとあれが。
黒い雲に阻まれ見ることのかなわなかった。
大地を照らしてくれる神のようなものだと。
凄まじい光の量だ。
見れば目の見えるすべての範囲に光が届いている。
あたしたちの作り出す機械でさえあれほどの範囲を照らせるものは何一つない。
そして、何より。
暖かい。
涙がぽろぽろ流れ始めてくる。
あたしは。
死んで。
初めて。
苦しみから解放された。
「ヒレン…指揮官……クロッソ………皆……どこ………?」
あたしは涙をぬぐいながら前をみた。
あの人たちとの思い出が蘇る。
本当に、苦しかった。
だけど、あのときまで戦えて、生きることができたのは。
みんなの思い出があたしを支えてくれていたからだ。
ヒレンの訛りの酷い、優しい言葉。
指揮官の作ってくれる味の濃い配給。
クロッソのタバコの匂いとミルクキャラメル。
全部、全部、昨日のことのように思い出せる。
いかなきゃ。
あたしは、そう決めて立ち上がろうとする。
そこで、あたしは、初めて出会った。
≪ひと≫と。
血のように真っ赤な髪。
同じく真っ赤な瞳。
質素な服………麻で作られたようなどことなく硬い印象をもつ服を着ている。
そのひとは、男だった。
かなり背が高い。 指揮官と同じくらいの高さ………立ち上がったときのあたしよりふたまわりほどおおきい。
ひとがいたのだ。 それにすこし驚いた。
死後の世界に、まったく知らないひととも会うのだろうかと、あたしは思っていた。
男は、こちらを静かに見ていた。
すこしその意味を考えてからふと自分の格好を見る。
服を着てはいるものの、ファスナーなんかがボロボロであたしの胸やお腹が見えてしまっている状態………つまりあられもない姿だった。
いけない。
あたしは上着を深く着てからだが見えないようにする。 赤い髪の男は少し目を細めたあと、こちらへ向かってくる。
あたしは、反射的に右手のゲイルを向ける。
知っている。 伝わる重さで、すでに弾は入っていないってわかる。 ゲイルは武器として役に立たない。
それでも、目一杯の殺気と敵意を剥き出しにし、あたしは睨む。
男はそれでも、怯みすらしない。
自分はいま四肢が欠けてなにもできない状態。
このまま犯されたとしても、抵抗はできない。
舌を噛んで死ぬしかないだろう。 ……そもそもここは死後の世界のはずだろうが。
「っ………!」
「………。」
男はあたしに近づいてくる。
「………!」
あたしは、いつでも撃てるように、しっかりと引き金に指をかける。
弾などないのに。
男はまるでゲイル―――アサルトライフルを気にもとめないかのようにゆっくり歩いて………あたしの横を通り抜けた。
男は、あたしの眠っていた場所にある………あの焦げ茶色の柱へ向かっていた。
男は柱のそばに立ち、しゃがむ。
懐の鞄から、そっと大事そうに何かを取り出す。
それは星の形をした何かだった。
それは大昔の文献にあった、とあるものに良くにている。
………花。
男は星の形の花びらを持つ、花を、柱の根本に置いた。
そこで初めてあたしは気づいた。 そこに………墓があった。
………なぜこの世界に墓があるのだろう。
ここは死後の世界のはず。
文字が読めない。 いったいどこの国の文字なのだろう。
灰色の大理石のような質感のそれは、あたしの生前の世界とは違うけれど、刻まれた文字の配置がそれと酷似していた。
「………お前は何者だ。」
男が言葉を発した。
何故だ。
聞こえてくる言葉は全く知らないのに、その言葉の意味がわかる。
「気にせず話せばいい。 お前が異世界から来た人間だということは、その時代錯誤な武器を見ればわかる―――。」
………この武器が時代錯誤?
待って。
異世界?
あたしが異なる世界から来た………?
「それは、どういう意味………?」
男は質問を続けた。
「お前は何者だ。」
どうやら先にそれを答えろということらしい。
ダメだ。
ここが彼の言うとおり異世界だとしたら、あたしはまだ生きていることになる。 どうしてかわからないけれど、肢体の一部を失ってなお生きている。
そうだ。
生きているなら頭にある通信チップで本部に連絡できるはず―――とそう思って即座に念じた。
けれど。
本来ならたとえ応答がなくとも電波を送るときに発生する感覚が消え失せていた。
どうやら体のなかにあった異物は、あの男から食らった弾ごとすべて消されているみたいだ。 最先端技術を使用した特殊炸裂ホローポイント弾だったから体のなかに残って大量の毒性金属物質を体のなかにぶちまけていたはず。
それがこうして生きているならそれはすべて消えているはず。
「断る。 あんたが祖国を攻撃しないという保証もない。 なら言うわけには行かないんだよ―――。」
おそらくだけど、頭の通信チップも消えている。本部からの救援は絶望的と思った方がいい。
いえ。
そもそも異世界にどうやって救援を送る?
あたしがどうやってここに来たのか、前後の記憶を探っても全くわからない。 あたしがわからないのだから、本部が居場所を探ることは不可能。
つまり。
あたしは、ひとり。
男は立ち上がり、こちらを冷たい瞳で見ていた。
「質問に答えなければ殺す。」
男はひどく冷徹―――いえ、ロボットのような声でそう言ってきた。
「異世界から来たニンゲンに、―――まともな人間は一人もいない。」
―――そういうことか。
目の前の男は冷徹なように見えるけれど………いまの言葉から察するに、以前にもあたしみたいな異世界から来た人間がいるみたい。
まともじゃないっていうのは、どういうことだろう。
「それは、どういうこと? まともじゃないって何? 精神異常者だとでも言うの?」
男は答える。
「概ねそうだ。 今この世界には神のいたずらなのか知らんが―――異世界から来たニンゲンどもが好き勝手やっている状態だ。 正確な数は把握していないが、十人は殺したかな。」
殺したか。
「神からの力を得て、それに溺れている奴らは面白いほど思考が似通う。 大抵の人間は力のない盗賊などを殺して自分が強いと勘違いする。」
男はそういって、何もない空間に突如何かを描き始めた。
歯車、円、三角、四角、六角、六芒星、五芒星―――それらの図形と文字を組み合わせた不思議な紋様を描いた。
そして、それは黒色に輝き、生きているかのように脈動を始める。
「そういう奴等は……俺のような奴に殺される。―――異世界人が何人来ようが大したことはない。同じように手を尽くして殺すだけだ。」
彼が紋様に手を突っ込む。 まるでそこに見えない入り口があるかのように、紋様に突っ込んだ手は、消えていた。
そして、手を引っ込めた。 その手には―――腕の形をした装甲がはめられていた。
一瞬長いサイズの手袋のようにも見えたけど、金属質でひとつの鎧のように見えた。 それが後にガントレットでできた武器だということを知る。
「………あたしを、殺すの?」
男はガントレットの手のひらを広げる。
「質問に答えなければ。」
答えるしかなさそうだ。
それに通信チップもないだろうから追跡は不可能のはず………。
「あたしは―――アメリカ合衆国の陸軍だ。」
男はそれを聞いてほんのわずかに目を細めた。
「………初めて戦闘経験のあるものが来たか。」
男はガントレットを構えたまま、続ける。
「生きたいか。」
―――。
あたしは、生きたい?
どうして生きたいと思えるのだろう?
「………正直、ここが死後の世界だと思ってた。」
「………。」
「あたしは、気がつく直前まで戦っていた。 負け戦だった。 もう負けることしかあり得ない戦いだった。 あたしは―――。」
あいつに撃ち殺された。
あたしのいた場所は、以前は世界のなかでも非常に強大な国のひとつの州でしかなかった。
それが、とある事件を経て大量の核が使われた。
世界の主要な都市の大部分が、死の灰の降り積もる廃墟と成り果てた。
そして、第三次世界大戦が始まった。
世界中で核が撃ち合われたその日に、数千万、数億の人々がその存在を消した。 その前日は、ある天才科学者の実験が行われた日だった。
それは【魂】を作るという馬鹿げた実験だった。
どういった技術と計算、素材と条件をもとに、それを作り上げたのかは不明だけれど。
【魂】を作るという実験そのものは、成功した。
その【魂】は、厄災そのものだった。
それは生まれた瞬間、用意してあったロボットには定着せず、天才科学者にとりついた。
天才科学者はその【魂】の大きな影響を受けて、変貌した。
美しい金髪だったその髪は黒く染まり、瞳は青く光る。
肌には幾何学的紋様が生まれ、人間のおよそ持ち得ない力を持っていた。
それが、後に「フォース」と名付けられたサイコキネシスのような力だった。
とりつかれた科学者は、研究所にいた人々全員を殺した。
それは、極秘の実験を秘匿するために駐在していた特殊部隊も含めて。
そいつの名前は、クラウン・ハイヴァレイン。
ひとりの狂った天才科学者だった。
そして、第三次世界大戦の引き金を引き、戦争を続けた張本人だ。
彼は第三次世界大戦の末期に、死んだ。
正確には―――あたしが殺した。
決死の作戦だった。
敵の司令部に潜入し、やつを暗殺するという、最高難易度のミッションだった。
アメリカ全軍が命を懸けてその司令部の存在する要塞から軍隊を引っ張りだしてあたしたちのミッションの成功確率をあげてくれた。
あたしは、たくさんの仲間たちの死を糧に、彼のもとにたどり着いた。
彼の部屋を見つけたときにはすでにあたし一人しかいなかった。
すぐに突撃し、このアサルトライフル【ゲイル】で射殺した。
初めてだった。
フルにリロードした弾をすべて使いきるまで撃ち続けたのは。
いまでも覚えている。
いままでばけものか何かだと思っていた彼のからだから迸る鮮血が。
彼を人間だと思わせるその証が。
どうしようもなく気持ち悪かった。
任務を終えた瞬間、あたしは油断しきっていた。
全部終わったという感覚が戦いの場であることを忘れさせていた。
あたしは、速射砲の弾の餌食になった。
―――死にかけのままなんとか逃げようとした。
そのとき、逃げていく方面から突然槍が飛んで、あたしを貫いた。 LL/Mk.4、対サイボーグ近接兵装ライトニングボルトという槍にやられた。 ひどい部分にぶちあたった。 肺を貫かれ背骨まで容赦なくえぐられた。
そこからは―――はっきりと覚えていない。
覚えているのは、赤と、白。
からだが何度も跳ねながら、震えていること。
その痛み。
「っ―――」
その痛みがフラッシュバックする。
からだが震える。 からだが、怯えている。
「―――。」
赤い髪の男がこちらへ来る。
「………なに?」
男は答える。
「俺と共に、来るが良い。」