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第1問の答え

1~4全て正解。


どれを選んでも正解だ。おめでとう。私は優しいから最低でも1点をとれるように配慮した。


まず1。カート・ヴォネガットからの影響は文章の端々で確認がとれる。木魚が好んで使うフレーズに「そういうものだ」があり、これは明確なカート・ヴォネガットからの影響と言えるだろう。


木魚自身が過去のインタビューでも、衝撃を受けた作品としてカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』をあげている。


シニカルでありながら人間への愛にあふれている木魚の作風はヴォネガットからインスパイアされている。


2の中国古代の故事『海底の木魚』については補足説明が必要かもしれない。


海底に木魚が住んでいた。体が木でできている為、常に浮いてしまう木魚。海底の魚達から笑われる苦汁の日々を過ごしている。


ちなみに周囲から「浮いてしまう」という言い回しは、この故事からきているのは言うまでもない。


ある時、海底火山が爆発し海底に大混乱が起きる。木魚は水に浮きやすい体質だった為に難を逃れることができた。


懸命にもがき泳いだ木魚は、やがて海面にたどり着いた。人間の猟師の網に捕われるも、嵐が起こり、粉々になった舟とともに海岸にたどり着く。


嵐の犠牲になった猟師の死に悲しむ村人達。猟師達が命懸けで捕らえた魚の中に木魚がいた。


木でできた魚は食べられない。悲しみと怒りが混ざった感情で、一人の村人が思いっきり木魚を叩く。すると、ポクッといい音が鳴った。


木魚はそのまま捨てられてしまうが、この音を気に入った和尚が木魚を寺に持ち帰る。


嵐で多くの犠牲者が出た為、必然的に経が長くなる。自身が眠らない為に、また、経のリズムを整える為、そして死者によりそう優しいポクッという響きを得る為に、和尚は木魚を楽器として使用した。これが木魚を寺で使用するようになった起源である。


海底で浮いていた木魚であったが、地上にたどり着いたことで、自身の思わぬ効用に気付くことができた。


このことから『海底の木魚』は、「たとえ浮いてしまいがちな人間であっても、懸命にもがいて行動していれば、やがて自身が役立てる場所に辿り着ける」という意味合いで使われる。


作家である木魚も「海底の木魚たらん」という思いをこめているのだろう。


ちなみにこの中国古代の故事は、木魚の完全なる創作であるという説もある。


3の意味合いもある。式亭三馬や曲亭馬琴のような江戸時代の作家のような響きの良さを意識。また落語家の「○○亭」という亭号を意識し、軽妙洒脱なセンスを身につけたいという思いが込められている。


4の意味もある。たとえ海底のように身動きできない状況でも、己自身を改訂していき、快い亭になれるようにという意味の「かいてい」、叩かれてもいい音が出せる意味での「もくぎょ」。


特に「叩かれてもいい音が出せるように」というスタンスは、木魚という作家をよく表している。


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