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第八章 06

 

「はぁ……」


 ゾーイ様から読むようにと渡された本をパタンと閉じてベルグラントはため息をついた。


 魔術について書かれた分厚い本はベルグラントには少々重いらしく机に乗せる形でページをめくり目を通している。ゾーイ様からは今は読めるところだけで良いと言われているそうだけれどなかなか難しそうな内容だ。


「お姉さま、どうしてぼくも魔術の訓練をしてはダメなの?」


 頬杖をついてベルグラントが視線をこちらへ向ける、やらかしたのはアディリシアなのにとその目が語っていた。

 いつもの訓練の時間、ベルグラントとアディリシアは読書の時間へと変更していた。

 一人で本を読めないアディリシアは私が膝の上に乗せて簡単な絵本の読み聞かせをしている。


「ごめんなさいね、ベルがやっているのを見るとアディもやりたくなっちゃうでしょう?ゾーイ先生が今度いらしてくれるまで少し我慢してもらえる?」

「……はい」


 しぶしぶと言った様子で返事をするベルグラントの頭を宥めるように撫でる。

 いつも聞き分けの良いベルグラントがこんな様子を見せるのはとても珍しいので何とかしてあげたいけれど一人で訓練はさせられないし、アディリシアをレナや侍女たちに預けようにも私と離れると大声で泣き出すので難しい。

 クレメンティ姉妹のお茶会から帰って来た時もずっと大泣きして大変だったとハンナとレナがくたびれた様子で語ってくれていた。

 あの時は昼寝として寝かしつけた隙に出掛けてたのが失敗だったかと反省した。


 最初はベルグラントだけでも本来の訓練を続けようとしたものの、アディリシアは分かっていないのに見て真似をして野生の感なのか何故か半端に魔術を使えてしまうものだからベルグラントの邪魔をしてしまうのだ。

 カイトの訓練の方へと連れて行っても「たまになら良いけど毎回アディがいると集中出来ないよ」と断られた。ライルの勉強の邪魔は出来ないし……。

 アディリシアに誰かが何かをやっている側で大人しくしていろというのはどうにも無理らしい。

 そろそろ何とかしないと、そう思うけれどなかなかに難しい課題だ……。


「むぅ」


 不機嫌そうな顔でベルグラントは頬を膨らませている。


「そう膨れないで、ね?」


 柔らかな頬を撫でてあげるとすり寄ってベルグラントはふにゃりと笑った。

 ふにふにと摘まんでみても嬉しそうにしている。


「おねぇさまアディも」


 ベルグラントに触れる私の腕をペチペチと叩いて撫でてと甘えてくるアディリシア。

 幼さゆえの無邪気さにベルグラントの表情が再び歪む。


「なんでアディはいつも邪魔するの!」


 突然の大声にビクリとアディリシアの体が震えた。


「ふぇ……」

「そうやってすぐ泣くし!アディのばか!嫌いだ!」

「ベル!なんてこと言うの」

「っ、お姉さまだって嫌いだ!」


 ベルグラントは本を掴むと「カイト兄さまのところに行きます」と叫ぶようにして部屋を出ていった。ハンナが慌ててその後を追う。

 私はガツンと殴られたような衝撃の出来事に呆然としてしまった。


「ふぇぇぇえん」

「アディ」


 ベルグラントの言葉を受けて泣き出すアディリシアを抱き上げて宥める。

 直ぐにベルグラントを追いかけたいけれどアディリシアを連れていくわけにもいかないし……嫌いと、言われてしまった。


「アディ泣かないで」

「姉上?」


 どうしようか悩んでいると泣き声を聞きつけたのかライルが様子を見に来てくれた。


「またアディは泣いているんですか、ベルはどうしたんです?」

「それが……」

「なんで姉上まで泣きそうなんですか」


 先程の出来事を伝えるとライルは私の腕の中からアディリシアを抱き上げた。

 アディリシアはまだグスグス涙をこぼしている。


「姉上も落ち着いてください。……最近のベルは鬱憤が溜まっているようでしたから、ちょっとした事が引き金になってしまったのでしょう。本心じゃないですよ」


 アディリシアの小さな背をポンポンと叩いてライルは苦笑交じりに言う。

 ベルグラントのこと、全然見てあげられてなかったのだと気付く。


「私がもっと気にかけてあげてれば良かったのだけど」


 アディリシアの暴走を止めるのはいつもベルグラントだった。

 二人一緒にいることが多かったしアディリシアは奔放で大人しいベルグラントは大変だったのだろう。


「私のせいだわ」

「違いますよ、ベルもアディの兄だという自覚がまだ足りないのでしょう」

「そんなこと……」

「ベルはカイトの所へと向かったのですよね。カイトもベルの事を気にかけていたのできっと大丈夫ですよ、姉上」

「……ライルは随分と落ち着いているわね」

「兄弟喧嘩なんて何度もしていますからね、姉上の見えないところで」

「本当に?」


 全然気付かなかった。


「男兄弟なんてそんなものです。ベルはあまりないですが私もカイトも母上と姉上に知られないようにと喧嘩していましたから……母上は時々気付いていましたけど」

「やっぱり私はダメね」


 全然見えていなかったのだと愕然とする。


 思えばベルグラントはゾーイ様に教わるたびにふわふわとしていた自分の魔力が形になっていくようで楽しいと言っていた。それなのにアディリシアの事で訓練を我慢しなくてはいけなくなりきっと嫌な気持ちになっただろう。


「私が至らないばかりに……ベルに悪いことをしたわ」

「姉上がそんなに気になさること無いですよ。まぁ多少アディに甘い気もしなくもないですけど」

「そうよね、ベルもまだ小さいのに私ったらアディばかり」


 アディリシアより5つ上だと言ってもまだ8歳だ、甘えたいことややりたいことを我慢させ過ぎてしまったのかもしれない。

 当たり前の事に気付けなかった後悔と罪悪感が胸に押し寄せて両手をきつく握りしめる。

 体温が下がっていくのを感じるのに目頭がじんと熱くなる。


「姉上、よくある兄妹喧嘩ですよ。ですからベルもすぐに機嫌を直すでしょう」

「ライル……ありがとう。でも戻って来てくれるかしら」

「カイトが上手くやるでしょう。……ほら、さっそく戻って来たみたいですよ」


 扉の所にはそっとこちらの様子を伺うベルグラントとその肩に手をつくカイトが居た。

 更に後ろでハンナが弟たちを見守っている。


「ベル、戻って来てくれたのね」

「……」

「ほら、姉さま怒ってないだろ?アディだって泣き止んでるから大丈夫だって」


 カイトがベルグラントの背中を押して中へと促すと下を向いたままゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 私もベルグラントの方へと向かって近づくとその正面に膝をついた。

 視線を合わせたベルグラントは潤む瞳でじっとこちらを見てくる。


「ベル……」

「姉さま、ひどいこと言ってごめんなさい」

「私もベルの気持ちを考えてあげられなくてごめんなさい」


 そっとベルグラントを抱き寄せるととてもその体の小ささを改めて実感した。

 私がアディリシアばかりに目が行っていた証拠だ。

 ギュッと抱きしめる腕に力がこもる。


「ベルごめんね、大好きよ」

「お姉さま、ぼくもお姉さまのこと好きです、嫌いじゃないです」


 震える声でそう言って抱きしめ返してくれるベルグラントの涙が温かく肩に染み込んで伝わってくる。

 ああ、本当に私は至らない。


「ベルグラント、アディリシアに嫌いと言ったんだって?」


 私たちの側にスッと影がさす。

 アディリシアを抱き抱えたライルだ。

 不安そうに揺れる瞳でアディリシアはライルにしがみついたままこちらを見ている。

 ベルグラントはキュッと私を掴む手に力を入れた後、ゆっくりと離れて立ち上がった。

 アディリシアを見つめて口を開く。


「アディ、ごめんね。嫌いだなんて嘘だよ」


 本当?と探る様にアディリシアは大きな瞳でベルグラントを見返す。


「べるにぃさま」

「ごめんね、アディ。許してくれる?」

「にぃさま」


 アディリシアが手を伸ばしてベルグラントの袖をキュッと掴む。

 ベルグラントの顔がふにゃりと歪んだ。


「アディごめぇん」

「ふぇぇぇん」


 ベルグラントとアディリシアが揃って泣き出したけれどライルとカイトは困ったように笑って、私の頬にもひとしずく涙が零れた。


 ベルグラントは鬱憤が爆発しスッキリしたせいか落ち着きを取り戻し、その後は5人揃って同じ部屋でゆるやかに時間を過ごした。







「何とも言えない弟妹きょうだい喧嘩が仲直り出来たのは良いですが……これはどうかと思います」


 寝着に着替えたライルが苦々しい顔で私たちを見下ろす。

 ベッドに並んで寝転がりながらおしゃべりする私たちは既に寝る準備万端だ。


「さっきも言ったでしょう?」

「お姉さまとアディはいつも一緒に寝ているからぼくも一緒に寝たいんだもん」

「ベルが一緒に寝るなら俺も一緒だって構わないだろ?」

「それならライルも一緒じゃなくちゃ、って今日は皆で寝ることになったじゃない」

「父上が仕事から戻られないから良いものの……」


 私たちの言葉にライルは深いため息をついて額に手を当てた。

 ちなみにアディリシアは既に眠いのかグシグシと瞼をこすっている。

 ライルは私たちの寝支度を整えて部屋を出ようとするハンナを振り返った。


「……ハンナ、はしたないと姉上たちに言って諌めるのはあなたの役目では?」

「まぁそうですけれど、言ったところで決めたら聞きませんでしょう?」


 微笑ましいといった笑みを浮かべて一礼するとハンナは出ていく。

 昼間の出来事をふまえて大目に見てくれているのだろう、さすが良く出来た侍女だ。


「もう端っこしかないわよ、ライル」

「ハイハイ」


 文句を言いながらも乗り気ではなさそうなのに私たちに付き合って一緒に寝てくれるライルは本当に優しい子だ。

 アディリシアを真ん中にしてそのサイドにカイトとベルグラント、カイトの横にライルが入りベルグラントの横に私。

 ちょっと窮屈だけれどこんな風に寝るのは初めてで新鮮だ。

 しばらく他愛ないおしゃべりをして皆が眠りについたのを確認すると布団をかけ直す。


 そして私も暖かな気持ちで目を閉じた。



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