真実の瞬間
あれからしばらくして、由美のアパートの大家のところに電話があった。イサナからだった。
電話に出ると、イサナがいきなり電話番号を告げてきて、ここに電話をしてほしいと言うのだ。
由美が近くの公衆電話に走って、改めてイサナのいる公衆電話に掛けてみて事情が分かった。
イサナは、あの海の先を歩いて、由美に見せたい海を探していたのだが、文無しになってしまった。電話は最後の百円玉だったとも言った。
文無しとは、イサナらしい言い回しだ。しかし考えてみれば、十日ぐらいの日数で持ち合わせがなくなったような、子供じみた話でしかない。
しかし、そのときの由美は、イサナの身を案じただけだった。
すぐにイサナの告げた場所へと向かったのである。そこは仙台の手前だった。
それからまた二人で海岸線を歩いた。
由美が道路を歩いていると、すぐにトラックが止まる。あっという間に青森までたどり着いていた。
二人で青函連絡船に乗って、函館へと渡った。
イサナの無軌道、同調する由美、八月の太陽と海。
しかし、その由美の手持ちもなくなってしまうときが当然くる。
ストリップ小屋で金粉ショーをするからと、イサナが言い出した。前衛舞踏に入っていたときに覚えたということだった。
札幌の店にイサナが一人で行った、全く相手にされず、イサナがおどおどしているのに気がついてしまった。そんなイサナは見たくなかった。
だから、次の店で由美も同席した。すると、隣の女の子も一緒に踊るならと言われた。
初めは、イサナが踊ればすむと思っていた由美だが、もうそうなるだろうと覚悟はしていたのだ。
ほぼ裸になるのだが、金粉を塗ってしまえば別人になれる。大勢の男たちの前で二人で踊った。
そうしているうちに、普通のショーもやらないかという声が由美にかかってしまう。イサナが即座に断るものと思っていたら、またぐずぐずしている。
イサナを励まして、夜中に逃げ出したのだった。
釧路の先まで行って、駅前に二人で座っていると声をかけられた。牧場のアルバイトをやったらどうかと言われた。牧場に住み込みで、食事付きということだった。
それならまあいいかなと思っていたら、男子と女子は別々の住み込み。男子は牧場の仕事をするが、女子は独身の男性のいる家庭の手伝いみたいなことをさせられた。
そうしていると、女子の中には、その家に嫁入りをする者もいるという仕掛けだった。
なんで、わたしがこんなことをしているのかと、由美もさすがに思った。
辞めると言うと、契約期間が満了でなく、食事代と宿泊費は差し引くから給料は少ししか出せないと言われた。
イサナはまたぐずぐずしていたけれど、構わずに辞めた。
札幌へ戻って、金粉ショーでも何でもやってやる。駄目だと言われた店でも、わたしが面接に出て行けば、きっと採用してくれると思った。
「他にあてがないからって、何もそんなことしなくて良かったのに、今なら、そう思えるけど。イサナはなんか、ぐずくずしているから、わたしがやらなければならないって、そんな気持ち」
武藤は運転を続けている。由美のアパートはもう近いらしい。
札幌に戻ると、由美が先に立って金粉ショーの売り込み、すぐに採用された。
そんな日々をずっと続けていた。
「もう、あなたに会うことは、出来ないと思っていたんだけど」
由美の部屋にいる。
由美はベッドの中、武藤は隣にいる。
この店の幕間で暮らしていくのは意外に平穏だった。特に変なことも言われなかった。金粉を塗ってしまえば、誰か分かるはずもなかった。
事務所の電話番も兼ねて、宿泊の心配もなくなった。
そんな中で、イサナがまた新たなことを言い出した。
「スペインに行こう。やっぱり闘牛士になるんだ」
イサナには何も出来ないことはもう分かっていた。
一緒にいてやればいい。
わたしが守ってやればいい。
そう思っていたのだ。
けれども、イサナは自分を何も理解しない。本当に闘牛士になれるつもりでいる。
「一人でやりなさい」
由美も、ついに言った。
「あの子には、嘘とわたしだけが頼りになっていたのに」
そして数年後、唐突に連絡があった。
自分の家族は由美だけだとでも、イサナは例によって嘘を言っていたのだろう。
牛追い祭りのある町の日本人女性が、取り敢えずの葬儀は済ませてくれたというのだ。ただ、その後のことは何とかして戴きたいと、驚いたことにスペインの大使館からの連絡であった。
その牛追い祭りなら、武藤もテレビの番組か何かで観たことがある。町中の男たちが狂ったように闘牛と駆け回る。
イサナもそんな男と駆け回り、そして、牛の角に掛けられたのだ。町を挙げての祭りの事故だから、大使館も放ってはおけなかったのだろう。
由美は、イサナなどという人物は知らないと言葉を返した。
「でも、眠るとイサナが夢に出てくるの。帰りたいって」
暗く沈んだ色の瞳。あの輝くような眼差しは何処にいったのだろう。
「ねえ、スペインに一緒に行って、お願い」
いつの間にか泣いていた。
「親戚の誰かに死んでもらうことにするかな」
由美が体を縮めたのが分かる。
「どうして、いつも、そうなの」
そう言った。
「もう眠って、だいじょうぶだよ」
「うん」
由美が答える。
翌朝。
うす闇の中。
目覚めて腕時計を見る。時間に遅れてはいなかった。
そっとベッドを離れた。流しに行くと顔を洗い、うがいをした。
ベッドの中から由美が見つめていた。
「眠っていていいんだよ」
ワイシャツを着た。
「眠って、だいじょうぶだ」
もう一度、言った。
「イサナのところは、一緒に行く」
由美がベッドの中で頷いた。そして目を瞑るのだった。
アパートの外に出ると、視界を遮るほどの朝靄。それを朝の日差しが壊し始めている。
水滴を宿した車のドア。フロントガラスもすっかり濡れて、ところどころで滴り落ちている。ライトを点けて、アクセルを踏む。フレームに沿うようにして水が流れた。武藤は休暇の言い訳を、また考えている。
(終)