デジャヴ
車は由美のアパートへと向かっている。
それはどちらからともなく、自然な成り行きだった。
「デジャヴって、思い込んじゃったみたいよ。校舎の吹き抜けを歩いていたら話しかけられたって、日記に書いたことが、真実になったって」
「イサナ、勇、まあ、どっちでもいいけど……やっぱり自分には特殊な能力があると、心の底では思ってる」
「ほら関西にも、芸術学部のある大学があるでしょう」
由美は窓の向こうを見つめながら、武藤のことさえ忘れたように話し続ける。
勇は高校を卒業すると、その関西の大学の芸術学部に進学した。しかも文芸学科であった。
校舎の吹き抜けを歩いていると話しかけられた。
合気道部ではなく、空手部ではあったが。
「よくある球技と違って、逆に未経験から始める者が多いから、君も体験入部をしてみたらどうだろう。わが空手部は、この大学で最も伝統のある部だしね」
ところが、その伝統の古い体質が嫌われたか、前の年は入部が一人もなかったのである。
このままでは、歴史ある空手部が消滅しかねない。
空手部はもうなりふり構わず、新入生と見れば誰にでも声をかけていたのだ。
体験入部してみると、先輩たちはそれほど恐くなかった。いや、彼らも演技をしていたのである。なにしろ一年生がいなかった学年である。
一年生がいないということは、つまり二年生であっても一年生をやらなければならないということだ。
もしも、また一年生が入部してこなかったら、三年の準幹部になっても一年生と同じだということだ。
とにかく一年生を入部させなければならない。背に腹はかえられない。とにかく空手部が恐くないことを演出したのである。
勇たちは、それをまんまと信じたというわけだ。
九人もの部員が集まっていた。
当然のごとくに、入部してしまえば状況は変わる。
まずは、挨拶。
これは、ほとんど絶叫である。
挨拶としながらも、実は威嚇なのかと思ったほどである。
しかも巧みというべきなのかどうか、上から直接に言うのではなく、まずは同じ一年生に言わせたのである。
このような挨拶や学ランが好きな者はやはりいるのだ。その男は、演劇学科の生徒だった。
「挨拶は、ちゃんとしようぜ」
同じ一年生たちに言う。
特に勇のような、これまで運動部の経験がない者には、教える表情になって言ったのである。
この一年生は、
「押忍。自分は学ランが着られるということで、空手部に入らせていただいたのであります」
先輩たちに向かっては、そのように自分を主張した。
「押忍」「であります」
これが空手部の標準語である。
学ランの裏地の背中あたりには刺繍を入れる。押忍という文字である。
押忍は、空手道の精神だという。
その道歌もある。
空手精神あるところ人生つねに勝利ありと歌う。
深遠な精神があるのだと思ったが、勝利だけなのが残念だった。
ところで、この一年生は後になって、戦車部隊がタイムスリップする映画のオーディションに端役ながら合格して、空手部の練習にはあまり出てこなくなった。
新入生歓迎会。
空手部の重要行事と言う。
といっても新入生が歓迎されるわけではない。歓迎されるのは別の人間である。
それは大学空手部を全うしたことが自慢のOBたちである。
「新歓、近いぞ、気合を入れろ」
先輩たちが口々に言う。
歓迎会のために、気合を入れるとは、如何なることなのか。
さらにいうなら、気合を入れるとは、具体的にはどうすることなのか。
分からないことばかりのままに、勇はただ緊張するのみであった。
また新歓の余興として、一年生は軍歌を歌わなければならなかった。初めて耳にするような軍歌というものを、必死で歌い覚えたのである。
なぜ軍歌ばかりを歌わなければならないのか。イサナにはうまく理解できなかった。軍隊のようでありたいという思いが、もしかしたらあるのかもしれない。
新歓の当日、軍歌は九人によってさかんに歌われたのだが、程もなくうるさいということで止めさせられていた。
空手以外も多忙ではあるが、新歓の前の稽古は勿論のこと厳しさを増す。
その厳しさの中心とは、四股立ちである。立ち方で鍛えるのだ。
まさに相撲の四股をする如くに、足を広げて腰を下げた姿勢になって立つ。それを三十分ほども我慢して立ち続けるのである。
体力づくりのためのはずのものなのだが、それに耐えることが運動の目的になってしまう。
「それは、うさぎ跳びなんかと同じ、意味がない」
武藤は思わず言った。
「そうね」
「運動中には水を飲まないのとも同じだな」
相変わらず窓の外を見つめている。
「ほんとよね」
心ここにあらずといった表情。
あの澄んだ瞳は何処にいったのだろう。
新入生歓迎会が終わっても、実はまだ正式な空手部員ではない。
夏合宿の地獄。
それを終えて、学ランの襟につける銀バッチを授与され、晴れて部員となるという仕組みだそうだ。
また組み手も、この合宿から始まる。
一年生にとっては、空手の実戦がいよいよ始まるのである。
いちおう組み手は、寸止めということになっている。
しかし実戦の中では、拳で顔面以外は、ほとんど当てしまっている。蹴りはさらにコントロールが効かず、結果として、顔面にもほぼ当ててしまっている。
その恐怖。
しかも幹部、準幹部が一年生を相手にする。少なくとも、実力のある幹部などは互いに組み手をして力量を競うほうが、稽古になるというものだ。
ところが、一年生を相手にしている。指導する様子を見せながら、恐怖を与えるのが夏合宿の楽しみなのである。
自分は当てない。
寸止めに徹したい。
思い込み、それはもう勇ではなく、イサナが顔を出している。
そしてイサナは寸止めを守った。
相手は痛くもなんともない。
だから、イサナを攻めるのは容易い。
当てることを勢いにして、前へ前へと出られる。寸止めを守っているだけでは後退せざるを得ない。
それでもイサナは、痛みを与えることのない無償の攻撃に徹しようとしたのだった。
二年生になって、後輩ができるようになっても、それは変らなかった。
当然、一年生たちは弱い先輩というレッテルをイサナに貼った。なにしろ組み手をしても痛くないのである。
ところが、まったく無駄な努力ではなかったのである。
イサナが試合に出始めるようになると、その正確な突きが評価された。コントロールのない勢いだけの突きは、稽古では強そうに見える。しかし、試合では正確でなければならない。しかも強く当たり過ぎてしまうと、反則を取られてしまうのだ。
試合になると、イサナが勝っていることが多くなった。
周りの態度が違ってくる。
イサナにも自信がついてくる。
顔面以外の中段の突きでは、触れる程度に当てておけばよいのだという余裕もようやく加わってきた。
結局、二年の終わりの大会では、イサナが学年の中で最も上位であった。
大学の空手部の中で自分が強い。
自分は人の上に立ったのだ。
その充実感。
いや、違った。
イサナは何を考えたのか。
強くなってくると、威張るような態度をとるしかなくて嫌だなだった。
上級生になったら、それらしい態度をとらなければいけないという先輩の言葉も負担だった。そう思ったのだ。
さらに心の裏側では、最高の詩を書きながら、十九歳でその全てを投げ捨ててしまった、アルチュール・ランボーへの思い込みもあった。
準幹部になったら空手部を辞めてしまおう。書を捨てよ街へ出よう。見る前に飛べとも思った。
そして大学も辞めてしまった。
その後、イサナは色々とやったらしい。前衛舞踏に入団してみたのも、その頃だったのだ。
しかし何をやっても、今度はうまくはいかなかった。それでも気にもならない。
イサナの中には空手部のときと同じように、自分ならば、その夢は必ず適うのだという思い込みが出来あがっていた。
「それから」
武藤は尋ねた。
「東京の、わたしたちと同じ芸術学部に入学した」
「なにかしら、やり直したくはなったんじゃない。あのとき、勇、いえ、イサナはもう二十二歳よ」
「おれたちより、年上なのか」
武藤は驚くしかなかった。
それが、イサナだった。
あの頃のことを武藤は思い出す。童顔というだけでは片付けられないような、気味の悪ささえ感じる。
ただの幼さなのかもしれないが。
「親には、やり直すからと言って、学費も出してもらってた」
二十二歳のイサナは、十八歳のふりをしていた。ついでに、にせ学生と言ってみせて、最終的には闘牛士になるとまで言っていたのだ。
「で、あれから、由美はどうしてたんだ」
「あれからって」
そう答えたが、由美はちゃんと分かっているはずだった。