外れ採り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
今年もあと一ヶ月くらいしかないな。気づいてみると、あっという間に時間が過ぎちゃった感じだ。
どうだ、新年の時に立てた抱負、しっかりと達成できたか?
俺は、別にできていなくても構わないと思っている。花開かなくても、しっかりと種をまいて育てた記録を残しているんだったらな。
すべての基準も行いも、自分だけが知っている。
天地神明、そして去年の自分自身にぶち上げてみて、後ろ暗いことをしてこなかったか? そんな、良くも悪くも振り返りの時期だと思うんだよ。
かといって、しんみりするばかりが能じゃない。特に気持ちが若いと、みんながやらないことをやってみたいと考えがち。時季外れなことなんか、その最たる例だろうな。
だが、外れたことは、なぜ非難を浴びがちなのか、真剣に由来を考えてみたことはあるか?
俺の体験。少しは気をつけるきっかけになってくれるといいんだが。
俺は小さい頃に、きれいな石や貝殻に魅せられた人間でな。今でも俺の目を引く色や模様を持つものは、つい拾ってコレクションに加えちまうくらいだ。
潮干狩りなんか、結構好きだぜ。ゴールデンウィークで、連日、貝を探していた時もあった。食べるのは二の次で、ずっと冷凍庫に保存しっぱなしということもザラ。
潮干狩りは時間との勝負だ。四六時中、海岸で張っていたとしても、潮が引いてくれるのはわずかな間。より多くの成果を望むのであれば、自身の効率を上げ、日をかけなければいけない。
その願いが叶うのは、必須科目をほとんど取ってしまい、手を入れる講義と抜いていい講義が判別でき始めた、大学三年生の頃。
定期試験は年が明けてからで、暇を持て余していた俺は、ふと思い立って、時季外れの潮干狩りへ出かけた。
いつも春から夏にかけて行ってきた潮干狩り。そのタイミングをずらせば、いつもと違う貝に出会えるんじゃないかと思ったんだ。
俺の住んでいる地域の場合、冬だと、潮の引きが大きい時間帯は夜中になる。おまけに文句のつけようがないほど、立派な水場におもむくんだ。防寒着はしっかり着込んでいった。
いざ海に着いてみると、風がないせいもあるのだろうが、服の内側が汗ばんでくるくらいに暑い。「体感温度まで時季外れでなくてもいいのに」と思いつつ、俺はざるや熊手を初めとする、貝採りグッズを手に砂浜へ踏み出した。
先も話した通り、俺の目的はきれいな貝殻を探すこと。派手でなくとも、インスピレーションを刺激するものなら対象になる。その点、個性ある模様に彩られるアサリたちは、うってつけの存在だったといえるだろう。
サクリ、サクリと、誤って殻を壊したりしないように慎重に探っていって、およそ一時間。夢中になって集め続けた。
食べることには興味がないので、俺の眼鏡にかなうもの以外は、おすそわけ用。自前のクーラーボックスへ、あらかじめ汲んでおいたきれいな海水と一緒に、せっせと投入。
予想以上の重さになり、撤収を開始し始めた時だった。
すっかり遠ざかった波打ち際から、音が聞こえる。
ホイッスルを思わせる「ピーッ」と、甲高いもの。タカラガイを吹いた際に、似たような音が出たのを覚えている。
誰かいるのか、と持参したライトをつけて音の出どころと思しきところを、見回してみた。
人影はない。俺以外がつけたと思われる足跡もない。実際、この一時間で俺は誰にも会っていないんだ。
ピーッ……ピーッ……。
一定の間隔を置いて、例の音は響き続ける。無機質に繰り返されるそれを耳にしていると、バックする際に車が出す警告音にすら思えてきた。耳鳴りかと思って、何度か両耳の穴を指でこねくり回しても、止む気配はない。
気味悪さを覚える俺は、ふと「置いてけ堀」の伝説を思い出した。
その堀で魚を釣って帰ろうとすると、どこからともなく「置いてけ、置いてけ」という声がする。声を無視して魚を持ち去ると、ロクな目に遭わないという有名な怪談話だ。
これが「持っていくな」というサインならば、やることもおのずと決まってくる。
俺はクーラーボックスの中身を、海水ごと浜へ戻していった。潮が満ちれば、自然と海の中へ隠されてしまうであろう、波打ち際に沿ってちょろちょろと。その間も、件のホイッスルの音は止むことがなかった。
やがて最後の一匹を砂の上へ戻し、ボックスに残っていた海水もぶちまける俺。すっかり軽くなってしまった荷物を背負って浜を去っていく俺だけど、なおも音が鳴り続けている。
「確かに返したはずなのに、これ以上、何を戻せっていうんだ」と、むかっ腹が立てる俺は、足早に帰路へついたんだ。
結果的に無駄骨に終わってしまった、時季外れの潮干狩り。
本来ならば、これから年末までに待ち受ける何日かの休みを使い、先日のように夜中の貝集めにしゃれこむつもりだったんだ。その出鼻をくじかれてしまった。
予定を一気に潰されると、なんとも言えない虚無感が漂う。本来ならば今日の休みも、夜までダラダラと惰眠をむさぼってから、貝漁りにいそしむ予定だった。
楽しみを潰されてしまうと、身体も拒否反応を示すらしい。いまひとつ眠気が湧かないまま、俺は手近に転がっているマンガや雑誌を、パラパラめくっては置き、めくっては置きを繰り返していく。
何冊くらい積んだだろうか。ただでさえ汚部屋を自負している床に積まれた、バランス度外視の本の山が、音を立てて崩れ落ちる。
俺は舌打ちして身を起こし、散らばった本たちを改めて膝の上へ集めていくが、その途中でも元々あったものがどかされ、やがてほこりを積もったゲームソフトのパッケージが出てきた。
一年くらい前に、ゼミの中で風のようにやってきたブームに押され、つい買ってしまった箱庭系シミュレーションゲームだ。
話題についていけるくらいにはプレイしたものの、ミーハーなゼミの同志はひと月余りで興味が別のものへうつり、また流されるままに放っておかれてしまったものだ。
シナリオをクリアしてからが本番、との評判だが、俺はそのシナリオのクリアすら到達せずにほっぽっといたレベル。
暇つぶしにはなるか、と俺は携帯ゲーム機本体も発掘。ほぼ一年ぶりとなる再プレイを始めたんだ。
これが、ハマった。
操作方法を辛うじて覚えているくらいで、他は全部抜けている。おかげでほぼ初見に近い状態だ。
内容に関しては、思わぬアクシデントに悪態をついても、根本的に手放そうとは思わないゲームバランス。うちのゼミで一世を風靡しただけはある。
ゲーム慣れしている人間じゃなかったから、攻略はとろい。複数あるシナリオのひとつをクリアするのに、年末年始までもつれ込んでしまう。
それはそれで好都合。潮干狩りの時期が来るまでの余った時間は、こいつを相手にすればいい。
楽しみを守るため、あらゆる攻略情報を断ち、寝食を削ってプレイにつぎ込む俺。
でも、この時。のめり込む自分を、もう一度省みるべきだったと、今さらになって思う。
年末年始の数日間で、のべ100時間以上はプレイした俺。必然的に寝正月で、腹の肉がぎゅっとつまめるほどになっちまったが、更なる問題がある。
視力だ。実家から部屋へ戻り、玄関から部屋の奥を見据えた時。
これまでは難なく見ることができた壁掛けカレンダーの文字が、ぼやけて判別できなくなっていたんだ。その上、じっと目を凝らすと痛みさえ感じる。
でも、大した問題じゃない。カレンダーが見えなくたって、ゲーム機の画面が見えれば十分だ。
俺は荷物を放り出すや、コンセントにゲーム機の充電器を差し込み、それを本体とつなげたまま、電源を点ける。
授業の開始まで、あと数日。それまでにキリのいいところまで終わらせておきたい。
二つ目のキャンペーンシナリオも佳境に近づき、ますます睡眠時間を削っていく俺。飯を食う時間も惜しく、トイレにも持ち込んで用を足す始末。風呂、洗濯もすべて後回し。
何度か知らぬ間に意識が飛ぶこともあった。気がつくたびに、ずきりと目が痛むが、それでもゲーム機は手放さない。生き急ぐように3日目の徹夜へもつれ込んだ、夜明け方のことだ。
明るい光の下、いよいよクリアの最後の一手を下すというシーンで。
ピーッ……ピーッ……。
あの時の浜で聞いた音が、唐突に響いた。
同時に、見つめるゲーム画面から、黒い点が浮かび、その縁が触手を動かすように、じわりじわりと広がり出したんだ。
指で拭おうとしたんだが、どうしたことか手ごたえはなく、奴らの手を止めることはできない。思わず顔を上げたが、俺の視界から黒い点は消えてくれなかった。
違う。画面の汚れじゃない。これは俺の視界の問題。
あのホイッスルが鳴り続ける中、俺は洗面所へ駈け込もうとしたんだが、それより早く。
サクリ、と何かを掻くような音が、脳まで響いた。わずかに遅れて、右目にも刃物で刺されたような痛みが走り、うめきながら手を当てる俺。
血は出てこない。けれどもそれは、涙さえも同じことだった。
本来、押さえた俺の手のひらを存分に濡らすはずのものたちを、いくら出そうとしても姿を見せない。
追って、ひと掻き。更に、ひと掻き。
音を伴って、右目に痛みがあふれ出す。
奥歯をかみしめても抑えきれない悲鳴を漏らし、俺は倒れ込む。その手のひらのすき間から、イモムシらしきものが這い出していく感覚があったが、それを見やるだけの余裕はない。
痛みにもだえる俺の耳は、「ピーッ、ピーッ」というあのホイッスルが、遠ざかっていくのを捉えていたよ。
ひと晩苦しみ続けた俺は、痛みが引いてくると手を離した。そこにはやはり、目からこぼれるはずの体液はついていない。恐る恐るのぞき込んだ鏡の中では、一見、異状がないように見えたが、白目の部分に、今まではなかった小さい黒点がいくつかのぞいているのが分かったよ。
あのホイッスルの主も、潮干狩りをしたかったのかもしれない。
水気がすっかり引いてしまった、俺の眼球の上でな。