80、ハクの示す未来
「ハク――――!! ハク――――!!」
摩夜は丘の上から必死でハクを呼んでいた。
きっと何かの間違いだ。
何か気に入らない事があって、ちょっとヘソを曲げただけだ。
少し空を飛んだら『冗談だ。驚いただろう』と言ってすました顔で戻ってくるに違いない。
そう思うのに、一向にハクの姿は見えない。
こんなに呼んでも戻って来ないことなど今までなかった。
「まさか……本当に行ってしまったの? そんな……」
何がいけなかったのだろうか……。
ハクは私と放浪の旅などしたくなかった?
ううん。
逃げるのか、と言っていた。
私は逃げたの?
真昼に恨まれるのが辛くて、誰かに恨まれる自分になりたくなくて。
じゃあ私は真昼に派玖斗さんと幸せになる姿を見せ付ければ良かったの?
もっともっと壊れていく真昼を横目で見ながら、自分だけ幸せになれば良かったの?
それが正しい選択肢だとはどうしても思えなかった。
「ハク――――! お願い戻ってきて!」
声の限り叫んでも、ハクの姿は見えない。
「どうしよう。ハクがいない毎日を、私はどうやって生きればいいの?」
いつもいつも離れていても、心の中にハクがいた。
ハクがいるからどんな悲しみにも孤独にも耐えてこられた。
それなのに……。
「うう……どうしよう……ハクに置いていかれるなんて……考えてなかった」
摩夜は両手で顔を覆って、その場にくずおれた。
固い決心をして、すべてに決別してきたつもりだったのに、ハクがいなくなった途端そんな決意すらも地盤から崩れてしまったような気がする。
自分が甘かったのだと初めて気付いた。
ハクさえいれば、どんな風にしてでも生きていけると思っていたけれど。
裏を返せば、ハクがいなければ摩夜には生きる意味さえ分からない。
いい気になって、真昼にすべてを譲るかのように、自分の方が多くを持った勝者であるかのように出て来たけれど。
ハクのいない摩夜には何もなかった。
差し出されたものを断れるような立場ではなかった。
「何を勝ったつもりでいたんだろう……」
みんな、みんな幸せになるために死に物狂いで、希望を掴もうともがき苦しんでいるのに。
時にズルい事をしたり、時に人を貶めたり。
人を陥れても、自分だけは幸せになろうとする人だっている。
それだけみんな幸せを掴むために必死なのに……。
自分は高みの見物をするように、せっかくの希望の道をあっさり捨ててしまった。
私は自分が非難される事を怖がって、逃げてきたのだ。
真昼からすべてを奪う悪役になってしまうのが怖くて。
両親を悲しませても、派玖斗さんを不幸にしても、自分が悪役になりたくないから。
「私は自分を幸せにするための努力を一つもしてこなかった?」
人を思いやり、人のために身を引くことは美学と讃えられるかもしれない。
でも、もしそれが心から望むものを諦めた結果であるのなら……。
自分を諦めて選んだものであるのなら……。
私は何のために生きているのだろう。
人の顔色を窺い、嫌われないように、非難されないように、自分の感情を押し殺して、無難な自分像を作り上げて……。
それで平穏な人生を生きたとして、その人生に意味はあるのだろうか?
たとえ人を陥れても、自分の望むものを貪欲に掴もうとする聖羅のような人の方が、まだ意味ある人生を生きているような気がする。
「私は間違えたの? ハク……」
でも、もう遅い。
会社には退職願を置いてきたし、派玖斗にも別れの言葉を残してきた。
昴にも結婚を断ってきた。
もう摩夜の居場所などどこにもなかった。
「ハク……。私はいつの間にかあなたに依存し過ぎて、がむしゃらに自分の人生を生きることを忘れてしまってたのね……」
ああ。
せっかく派玖斗さんに再会できたのに。
心から愛する人に出会えたのに。
心が通じ合う奇跡を手に入れたのに。
自分から手放してしまった。
人を傷つけたり、恨まれるようなことは誰でもしたくないけれど……。
誰も傷つけず、誰にも恨まれずに生きることなんて不可能だった。
誰かを選べば選ばれない人が必ず出てくる。
誰かを特別に好きになれば、特別じゃない人が必ずいる。
全部を選んで、全部を特別にすることなんて出来ないのだから。
選ぶことなくして生きることなんて出来ないのだから。
誰かにとっての善は、他の誰かにとっては悪になるかもしれない。
それを恐れて何も選ばないのであれば、それは私の人生を生きたと言えるのだろうか。
時には誰かを切り捨て、誰かに恨まれることも必要なのだ。
みんながいい役と悪役の両方を演じることで世界はバランスをとっている。
「私はまた同じ過ちを繰り返そうとしていたんだ……」
真昼の嘘を摩夜がきちんと糾弾出来なかったせいで、反省する機会を失ったように。
今また中途半端に誤魔化してしまったら、真昼は元の闇に落ちていくだけだ。
きちんと傷つけて、存分に恨んだ先にしか出口はないのかもしれない。
そうであるなら。
私は真昼にきちんと敗北を与えなければならなかった。
その憎しみをきちんと受け止めねばならなかった。
今頃になって、やっと気付いた。
「ホントに私って救いようのないバカね……」
膝をついたまま、ポツリと呟いた。
しかし、そんな摩夜に背後から声が降りかかる。
「やっと気付いたか! この大バカがっ!!」
次話タイトルは最終話「エピローグ」です




