8、ハクに似た人②
「派玖斗さん! 血が!」
隣りの部下らしき人が慌ててハンカチで血を拭っている。
そしてまだ潜んでいるカラスがいないか見回っていた祖父と大谷農園の社長が戻ってきて、思いがけない事態に青ざめた。
「鷹柳さん! こ、これは一体……。なんてことだ……」
大谷農園の社長のお客さんだったらしい。
しかもその様子から、上得意様っぽい雰囲気だ。
「と、とにかく家に行って手当てをしましょう。申し訳ありません」
「す、すみません! 私のハクがお怪我をさせてしまって……」
「謝るより先に、その凶暴な鷹をしまってくれ! また襲ってきたら危ないでしょう!」
部下の銀縁メガネの男性が、謝る摩夜に怒鳴りつけた。
◇◇
「なんだよ、あいつら! ハクを悪者みたいに言いやがって。自分達が鷹の習性も知らずに余計な事をするから悪いんじゃないか」
ワゴン車の巣箱に鷹をしまいながら、昴が愚痴った。
「でもだからと言って怪我をさせてしまったのは大変な事だわ」
摩夜はなるべくハクに動揺を見せないようにしようと思ったが、不安が出てしまう。
「まさか……怒って殺処分とか言わないわよね……」
「バ、バカ言うなよ! あっちが悪いんじゃないか!」
でもさっきの自分勝手な振る舞いを考えると、何を言い出すか分からない感じだ。
祖父は深刻な顔で巣箱の鷹達を落ち着かせながら言った。
「とにかく、ハクを置いてすぐに謝りに行きなさい。
ハクもまだ気が立ってるようだから、私がここで見ておくから」
摩夜は、農園から見えている社長の家を訪ねた。
すぐにリビングに通されたが、そこには大きなガーゼで手当てされた痛々しい派玖斗の姿があった。
ソファで不機嫌に座る派玖斗の前で、大谷社長が平謝りしている。
そしてソファの横に立つ部下の男性がひどく抗議していた。
お手伝いさんのような女性に案内されてリビングに入った摩夜は、険悪なムードの中で、派玖斗の前に正座して三つ指をついて深く頭を下げた。
「このたびは私の鷹が怪我をさせてしまってすみませんでした。気が済むようにどんなお詫びも致しますので……どうか許して下さい」
「……」
派玖斗からの返事はなかった。
その代わりに隣に立つ部下の男性が口を開いた。
「治療費はもちろん請求させてもらいますが、お金の問題では済みませんよ。あんな凶暴な動物が野放しにされてるなんて。わが社の社員が取引の話に来るたび襲われてたんじゃたまらない。今後の取引も考え直さなくてはなりませんね」
「そ、そこをなんとか……。二度とこのような事がないように致しますから……」
大谷社長が蒼白になって頭を下げている。
「二度とって言いますが、その一度目に誰を怪我させたのか分かってますか? 派玖斗さんですよ! これはただごとで済ませる話ではない」
やはり派玖斗という人は、相当偉い人らしい。
見たところ、二十代半ばぐらいに見えるが……。
「あの……大谷社長は悪くありません。これはハクの指導が甘かった私のせいです。よく言い聞かせて、こんな事のないようにしますので……」
「は? よく言い聞かせてってなに言ってるんですか?
人に襲い掛かったんですよ? もちろん殺処分でしょう?」
「!!!」
摩夜はその恐ろしい言葉に凍りついた。
そしてすぐに床に頭をすりつけた。
「お、お願いします! ハクを殺さないで!
その他の事なら何でもしますから! どうかお願いします」
ガクガクと体が震える。
まさかハクを殺すなんて……。
ハクがいない日々なんて、今の摩夜には考えられなかった。
「なにを甘ったれた事を! 猛禽類を飼うならそれぐらいの覚悟はあったでしょ? もちろんあなたにも償ってもらいますが、あの鷹は殺処分してもらいます。それでなければ納得出来ない!」
「どうか、どうか……それだけは……。ハクがいなくなるなんて……耐えられない……うう……。お願いします……ううう……どうか……」
気付けば肩を震わせて泣いていた。
派玖斗は仏頂面のままチラリと摩夜の震える指先を見ていた。
「泣いて済むと思ったら……」
そして更に問い詰めようとする銀縁メガネの部下に「待て!」と命じた。
「よさないか、藤堂。カッコ悪いからこれ以上騒ぎ立てるな!」
「し、しかし……」
「まさか本社に報告するなよ! そもそも俺が無理矢理鷹を腕に乗せようとしたんだ。それで突っつかれて怪我したとか、カッコ悪いだろうが! これはカラスの大群と戦った勝利の傷だ。そう報告しろ! 分かったな?」
「で、ですが……」
「命令だ!」
「は、はい。畏まりました」
摩夜は驚いて涙の筋がついたままの顔を上げた。
「そういうことだ。大谷農園との取引もこれまで通りだし、殺処分もしない。だからもう泣くな!」
そして「フン!」と言いたげにそっぽを向いた。
「あ、ありがとうございます!」
摩夜と大谷農園の社長は同時に頭をさげて感謝の言葉叫んだ。
「ただし……」
「え?」
「怪我の代償は払ってもらおう」
派玖斗はにやりと口端を上げて、ソファから摩夜を見下ろした。
「代償……?」
その時になって摩夜は初めて派玖斗の顔を正面からはっきり見た。
耳にかかる黒髪に、勝ち気そうな眉と目。
二重ぱっちりとかではないけれど、あらゆる闇を閉じ込めたような漆黒の瞳は、目が合うだけで支配されそうな強さを持っている。
そして、隙のない俺様感がモテ男の雰囲気をかもし出していた。
(誰かに似ている……)
摩夜は派玖斗に、ひどく既視感をおぼえたが、誰かは思い出せなかった。
「は、派玖斗さん、代償とはまさかっ!」
隣の藤堂と呼ばれていた部下が慌てて銀縁メガネを引き上げた。
「鷹柳さん、このお嬢さんは鷹匠の風見さんのお孫さんです。どうかそんな無体な事は……」
大谷社長も青ざめている。
「見損ないましたよ。権力を振りかざし、年端もいかない女性を言いなりにするなんて」
「そうです。いくら鷹柳さんとはいえ、それは法に抵触しますよ」
「ええっ?」
まさか代償を体で払えとか?
この時代にそんな理不尽な事を言い出すつもりなのか?
青ざめる三人に、派玖斗は「フンッ!」と鼻を鳴らした。
「なにを勘違いしている。俺はもう一度鷹を飛ばす所が見たいだけだ。来週もう一度来る予定だから、その時見せてみろ」
次話タイトルは「ハクに似た人③」です