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75、壊れた真昼

「嘘? 何を言ってるの、摩夜?」

 真昼は無表情に尋ねた。


「よく思い出して、真昼。派玖斗さんはメールなんか送った事がないと言ってるわ。それに婚約もしてないって。それは真昼が作り上げた妄想なの」


「妄想? 嫌だ、何言ってるのよ摩夜。そんな事言って私をおとしいれたいのね」

「陥れるなんて……。なぜ私がそんなこと……」


「なぜですって? 決まってるじゃない。あなたが私を不幸にするために生まれた『人殺し』だからよ」


「人殺し……?」


 その話は高校生の時、両親の会話を盗み聞きした自分だけが知ってると思っていた。

「どうしてそれを……?」


「お母さんの体調が悪くなると、いつも聞かされてたのよ」


『摩夜はお腹にいる時に、もう一人いた男の子を食べた人殺しなの。そして次は真昼を食べようとしたのよ。そのせいであなたは病弱で、何度も死の危険と戦ってきたの。摩夜は生まれる前から最悪な罪を犯してきた悪人なの。真昼、あなたは何も悪くないのに、摩夜のせいで死の危険にさらされ続けた。こんな事はあってはいけないのよ。正しい者が幸せになって、間違った者は報いを受ける世界にならなければいけない。あなたがそれを証明してちょうだい』


「夏休みも冬休みも春休みも、摩夜が祖父母の家で自由にのびのびと暮らしている間、私はずっとずっと、お母さんの愚痴を聞かされて暮らしてきたわ。私が体調を崩して入院している間も、看病疲れで不安定なお母さんの闇を、延々と耳元で囁かれて……」


「そんな……」

 摩夜は、悪者の自分がいないことで、二人が幸せな時間を過ごしていると思っていた。


「摩夜はいいわよね。田舎に行っては息抜きが出来て。でも私はその間も心を病んだお母さんと二人きりで逃げることも出来なかった。自分だけずるいと思わなかったの?」


「ご、ごめんなさい。真昼がそんな思いでいたなんて全然知らなくて」

 むしろ摩夜は、母の愛を独り占め出来る真昼こそをずるいと思ってきたのだ。


「自分だけ新しい居場所を作って、自分だけお母さんから逃れようとするなんてずるいじゃない。だってお母さんを不安定にさせたのはあなたなのに。あなたこそがみんなを不幸にした悪人なのに。私より幸せになるなんておかしいじゃない」


「真昼……」


「おじいちゃんもおばあちゃんも、差別なく接しているように見えてたけれど、私には分かってたわ。しょっちゅう来る摩夜は家族だけれど、私は滅多に来ないお客さんだった。いろいろ気は遣ってくれたけど、無理して平等にしようとしてただけ。本当はあなたの方が愛されていた」


「そんなはずは……」

 祖父母の態度はとても平等に見えたけれど、それは『愛された側』だったからかもしれない。


「田舎の小学校で私の知らない友人を作って、好きな男の子までいて幸せな場所があるなんて、そんなの許せると思う? 私はあなたのせいで病んだお母さんと二人きりで過ごしているのに。罪を犯した人が罰を受けるべきじゃないの? 神様が罰を与えないというなら、私が与えるしかないじゃない。そうじゃなきゃ、お母さんが納得出来ないでしょ?」


「じゃあ……それで昴に嘘をついたの?」


「仕方がないじゃない。私しかあなたに罰を与える人がいなかったんだもの」


「一体いつからそんなことを……」


「あなたがきちんと悪役になれば、すべてはうまく行ったのよ。私は正しい者と認められたし、お母さんも心が安定した。ああ、でも一度だけ私に嘘をつくなと問い詰めた人がいたわね」


「問い詰めた人?」


「祖父母の田舎に小学校の冬休みに三日ほど行った時、たまたま直樹さん親子も来たのよね。私は摩夜に意地悪されて、大切にしていたぬいぐるみを田んぼに捨てられる予定だったの。そしてみんなに同情されて、可愛がってもらえるはずだったの。それなのに……直樹さん……あの人は本当に邪魔な人だった」


「直樹さん?」

 そういえば真昼はいつも直樹さんを避けていた。

 それはお母さんを気遣って仲良くしないようにしてたんだと思ってたけれど。


「こういう嘘はついちゃダメだよって、偉そうに注意して、ずっとずっと私の行動を見張ってて、お蔭であの時はあなたを悪役に出来なかった。まるで私が悪役みたいになってしまったわ。そんなことあってはならないのに。私はいつも正しくて勝たなければならないのに」


「真昼……なんてことを……。ずっとずっとそんな事を考えて生きてきたの?」


 お母さんの無念を晴らそうと、一人で全部背負ってきたんだ。

 お母さんの無念を晴らすことこそが最重要課題で、そのためになら嘘をつくことも、人をおとしいれることも許されることだと信じて……。



 ああ。


 なぜ私はもっと早くに気付いてあげなかったの。


 もっと早くに真昼の嘘に気付いて、きちんと糾弾していれば。

 真昼は恥ずかしい思いをして、その時は辛いかもしれない。

 でもその経験で、嘘をついてはいけないと、人を陥れてはいけないのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さない真昼を育てることが出来た。


 私が真昼を正義と思い込んで気付かなかったせいで、反省する機会を失い続けてきたのだ。

 そしてやがて、バレなければ嘘も陥れる事も正義だと信じさせてしまった。

 真昼が改心するチャンスを、私が踏み潰してきたのだ。



『それは神の罰ではなく、神の愛だ』


 派玖斗の言葉を思い出した。


 真昼は、直樹さん以外にはバレずに、ここまでの人生を歩んできた。

 一見いっけん、評判も良くて成功した人生に見えるかもしれない。


 でもそれは嘘と虚飾に塗り固められた土台の上に成り立っている。

 そして遅かれ早かれ、そんな土台は崩れる運命にある。


 そうであるならば……。


 嘘がバレない人は神様に愛されてなんかいない。


 すぐにバレて、手痛いしっぺ返しにあう人こそが愛されているのだ。


 ああ。


 ――神様に愛されてきたのは私の方だった――



 真昼ばかりがすべてに愛されていると思っていた。

 世界は真昼のためにあるのだと思っていた。


 でもそうじゃなかった。

 本当に愛されて、見守られていたのは私の方だった。


「真昼……。ごめん。ごめんね、気付いてあげれなくて」


 摩夜は無表情に立ち尽くす真昼を抱き締めた。


「私がもっと真昼を疑う気持ちを持っていたなら。あなたの本音を聞きだせる機会を持てていたなら。ここまで追い詰めることはなかったはずなのに……」


 摩夜は、いつも輝かしくで幸せそうな真昼に気後れして、正面から見ようとしなかったのだ。

 どうせ自分は悪役なのだと、真昼の本心を知ろうとしなかった。


 中学の時、直樹さんの家に行こうとした摩夜に「私を一人にしないで」と泣きながらすがった真昼こそが、僅かに見せた本当の真昼だったのかもしれない。


 あの時気付いていれば。

 あの時、真昼の孤独を分かってあげていれば。


 ああ。

 でも、あの時は自分のことで手一杯で。

中学生の私には抱えきれない問題だらけで。

真昼を思いやる余裕なんてなかった。


真昼を救えたのは私だけだったのに……。

 


「ごめん。真昼。ごめんね」


 しかし真昼は、抱き締める摩夜の腕をほどいて微笑んだ。


「嫌だわ、摩夜ったら。何を謝ってるの?」


「真昼……」


「勝ったのは私なの。今までも、これからも。生まれる前から罪を背負ったあなたは、永遠に私に負ける運命なの。そうでなければおかしいでしょ? あなたもそう思うでしょ?」


「真昼……」


「ああ、いけない。もうこんな時間。明日は仕事の後、派玖斗さんとデートなのよ。式場とかドレスとか、いろいろ決めることがあるものね。お邪魔したわね、摩夜」


「真昼……」


 真昼は摩夜が呼び止める声も無視して、部屋を出て行った。


 真昼のいなくなった部屋で……。


 摩夜は膝をついて泣き崩れた。


「真昼……。ごめんなさい、真昼。……うう……ううう」



次話タイトルは「マイフェアレディ」です

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