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74、期待はずれの派玖斗

「昨日は家で何事もなかったか?」


 翌朝出社すると同時に摩夜を部屋に呼んだ派玖斗は、開口一番に尋ねた。


「はい。いえ、母とたくさん話が出来ました」


「お母さんと? ちゃんと話は出来たのか?」


「はい。父の言う通り、母はいつの間にかずいぶん考え方を変えていたようで、幸せになって欲しいと……、言ってくれました」

 今も母の言葉を思いだすと涙が溢れそうになる。


 まさか母から、そんな言葉を聞ける日が来るなんて思わなかった。


「そうか。行方ゆきがたさんの言った通りだったんだな。良かった」

 派玖斗は心底ホッとしたように息を吐いた。


「心配して下さったんですか? 本部長」


「当たり前だろう! 行方さんが大丈夫とは言っても、人なんてどう転ぶか分からない。何か過激なことをしてお前を傷つけないかと、ずっとハラハラしてるんだ」


 派玖斗も父の言葉を半信半疑でいたらしい。

 そして母がもし反対に転んでいたなら……。


 摩夜は今頃、この世にいなかったかもしれなかった。


 そんな事を白状したら、派玖斗は猛烈に怒り出すだろう。


「なあ、荷物の整理が出来たなら、今日にでも家に来ないか?」


「え?」


「い、いや。別に下心があって言ってるわけじゃないぞ。俺は純粋にお前が心配で……。そ、そのお前が心の準備が出来てないというなら、一切手出しはしないから。いや、でももちろん心の準備が出来てるなら、俺はいつでも全身全霊……」


「全身全霊何をするつもりですか!」


 籐堂が秘書室から出てきて、代わりに答えた。


「……」

 派玖斗は不機嫌に籐堂を睨んだ。


「……ったく、朝っぱらから会社で何の話をしてるんですか」


「俺は今、摩夜と話してるんだ。勝手に話に入ってくるな」


「私だって派玖斗さんの破廉恥トークに参加したいわけではありませんよ。明日の晩のパーティーについて早急にお伝えすることがあるだけです」


「明日のパーティー? 鷹城不動産の創立四十周年パーティーのことか?」


「今年常務に就任された国定くにさだという人物ですが、非常に人望に厚く、柔軟な考えの人物だと聞きました。新規プロジェクトは、鷹城不動産との連係が重要な決め手となります。

 彼と繋がりをつけておくのが、このパーティーに参加する一番の目的です」


「ああ。そうだな」


 鷹城不動産の実権がありそうな人物とコネクションを築くために参加予定にしていた。


「私は国定という名前を見た時に、聞いたことのある名だと思ったのですが……」

 そこで籐堂は言葉を途切れさせて、摩夜を見た。


 派玖斗がその視線を追って摩夜を見ると、驚いた顔をしている。


「あの……叔父さんです。直樹さんのお父さんです」

 つまり羽那子おばさんの夫だ。


「そうなのか?」

 派玖斗も驚いた。


「以前に真昼さんの素行調査をした時に見た名前でした」


「素行調査……」

 摩夜は、御曹司だから仕方がないとはいえ、デートするだけでそこまで調べられるのだと驚いた。


「国定常務には息子がいて、ずっと海外勤務でしたが、この春から本社に戻っているようです。しかもリゾート開発部に配属になってる事まで調べがつきました」


「そうなのか?」

 派玖斗に尋ねられても、摩夜はよく知らなかった。


「ずっと海外に行っているとは聞いてましたが、最近は祖父の家で会うこともなくて、よく知らないんです」

 祖父は寡黙で、人の噂話をする人間でもなかったし、祖母が亡くなってからは、羽那子おばさんも滅多に田舎に来なくなっていた。


「ただ……」


「ただ?」


「ちょうどゆうべ母と話していて、羽那子おばさんたちが日本に戻ってきていると聞きました。そして……、家を出て、結婚するまで羽那子おばさんの家で暮らしてはどうかと」


 両親としては、いくら派玖斗を信頼していたとしても、結婚前の娘を同棲させる事に抵抗があったらしく、羽那子おばさんに預けようと思ったらしい。


「それはいいですね! 摩夜さんが太いパイプとなって、鷹城不動産との連係がうまくいくじゃないですか! ねえ、派玖斗さん」

 籐堂が大喜びで食いついた。


「……」

 しかし派玖斗は渋い顔をして無言だった。


「なに黙り込んでるんですか。なにか問題でも?」


「俺は昨日徹夜で荷物を片付けて、摩夜のための一部屋を空けたんだ」


「ああ、それはご苦労様でした。荷物が片付いて良かったじゃないですか」


「それだけじゃない。とりあえずすぐに暮らせるようにとソファベッドと、ちょっと小洒落こじゃれた丸テーブルのセットもネット注文した」


「気が早いですね。この忙しい中でよくそんなヒマがありましたね。浮かれ過ぎじゃないですか?」


 青ざめる摩夜をよそに、籐堂が容赦なく斬り捨てる。


「うるさい!! 俺はそれほど楽しみにしてたんだ! それなのに、なんだ! その常務の家には直樹とかいうヤツもいるんだろう! 従兄弟は結婚出来るんだぞ! そんな危ないヤツがいる家に行ったら、今度は別の心配が増えるだろうが!」


「あ、あの、せっかくそこまで用意して下さったのにすみません。で、でも直樹さんはそんな心配をする相手ではありませんので、六才も年上ですし……」


「俺も六才年上だが?」


「あっ!」


 小学生や中学生の頃は六才年上といえば、すごく大人で恋愛対象などなるはずもないと思っていたが、この年になると充分恋愛対象なのだと改めて気付いた。


 そして、まさかの同じ年だったとは……。


「摩夜さんから見たら、どちらもおじさんという事ですね?」

 籐堂が可笑しそうに笑いをこらえながら結論づけた。


「お前の方が年上だろうが。お前など摩夜から見たら初老だぞ!」


「……」


 また二人で不機嫌ににらみ合っている。


「とにかく、急用というのは、摩夜さんにも明日のパーティーに参加して頂こうという話です。

 国定常務と息子の直樹さんもパーティーに参加予定です。是非にも摩夜さんをきっかけに太い繋がりをつけたいところです」


「わ、私がパーティーに?」


「そうです。明日は営業部からも海老沢本部長や柿本部長が参加予定です。彼らに突っ込み所を与えぬよう、完璧なレディとして参加して下さい」


「完璧なレディ? い、いえ、私はこのパンツスーツしか持ってないし……」


「いずれは派玖斗さんの婚約者として世間に紹介される立場です。もう少しドレスアップして誰もが反論できないぐらいの印象を残して頂かないと……」


「そ、そんなこと……」

 とても出来そうにない。


「そちらはおまかせ下さい。超一流のヘアメイクとスタイリストを準備致しましょう」

 籐堂が自信たっぷりに告げる。


 とんでもないことになった。



 その日は早めに帰って、母と二人の夕食も済ませて早くに寝ることにした。

 あれほど恐れていた母と二人の食卓は、心のこもった食事と憑き物が落ちたように穏やかな母の態度で、初めて味わう温かい時間だった。


 真昼は、買い物をして帰るから遅くなると言ってたので顔を合わさずにすんだ。


 明日のパーティーを済ませ、早ければ週末には直樹の家に引っ越す予定だった。

 スーツケースに身の回りの荷物を詰めて、すでに準備は整えていた。


 真昼と何も話せないまま出て行くのが不安だったが、母も派玖斗もまずは私達を引き離したいようなので、素直に従うことにした。


 でも寝ようとしていた摩夜の部屋が、突然ノックされる。


「摩夜、起きてる? ちょっといい?」


 ドキリとした。

 真昼の声だった。


「ど、どうぞ」


 真昼は今帰ってきた所なのか、ワンピース姿で紙袋を手に持っていた。


「摩夜! 今日ね、結納の時につける髪飾りを買いに行ったの。そしたらすごく可愛いのがあってね、色違いもあったから摩夜のも買ってきたのよ。私がピンクで摩夜が緑。見て、素敵でしょ?」


 真昼は嬉しそうに紙袋から、振袖に似合いそうな大振りの髪飾りを二つ出して見せた。


「結納……? で、でもまだ日取りも何も決まってないでしょ?」

「うん。でも一日も早く結納して結婚したいねって派玖斗さんがメールで言ってくるし」

「メール? あ、あのね、真昼。派玖斗さんはメールなんて知らないって……」


「ねえ、摩夜も結納に出てくれるでしょ? お揃いの振袖を着ようね。ホントは主役を引き立てるために姉妹は違う衣装の方がいいのかもしれないけど、私は気にしないから」


「ま、真昼。落ち着いて。冷静になって。そんなに急いで結婚することないでしょ? もっといろんな人と付き合ってみて……そしたら派玖斗さんより合う人がいるかもしれないし」


「嫌だわ、今さら何言ってるの? 私はもう派玖斗さん以外考えられないわ。運命の相手なの。こんなに人を好きになったことなんてないわ」


「そ、それはお母さんが喜ぶと思ったからでしょ? よく考えて。派玖斗さんがもし御曹司でもなくて、お母さんが納得できない人だったら? それでも真昼は派玖斗さんが好き?」

 摩夜はたとえ一文無しでも派玖斗を愛していると思えた。


「何を言うのよ、摩夜。派玖斗さんは御曹司だし、お母さんもお父さんもあんなに喜んでたじゃないの。この婚約があるからお父さんだって、家に戻る気になったんでしょ?」


 真昼はそんな風に思ってたのだと気付いた。

 確かに摩夜も真相を知るまで、父は会社の立場が有利になるから母とヨリを戻すのだと思っていた。真昼はまだ何も知らないのだ。


「そ、そうじゃないのよ、真昼」

 どこから話していいのか分からない。

 あまりに自分の作ったシナリオを信じすぎていて、真実を伝えられない。

 きっと母も話そうとして、まだ話せてないのだ。


「そっか。私に嫉妬してるのね、摩夜。同じ双子なのにずいぶん差がついちゃうものね。でも大丈夫よ。お父さんも言ってたじゃない。会社の部下を紹介してくれるって。あ、それとも似鳥くんもいいじゃない。家柄は派玖斗さんより数段落ちるけど、仕事は出来るし社内の評判もいいわ。派玖斗さんに頼んで目をかけてあげるように言っておくから」


「ち、違うのよっ! 真昼っ!!」


 摩夜は思わず声を荒げていた。

 腹を立てたんじゃない。

 これ以上真昼に闇を語らせたくなかったのだ。


「お願い、真昼。自分の嘘に気付いて……」



 祈るように呟く摩夜に、真昼の笑顔がすっと消えた。



次話タイトルは「壊れた真昼」です

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