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73、父と母の真実

 しばらく摩夜を抱き締めていた母は、ようやく腕を離すと摩夜と並ぶようにベッドに腰掛けた。そして一つ一つ丁寧に思い出すように話し始めた。


「二年ほど前だったわ。しばらく連絡もなかったお父様が突然話があると帰ってきたの。そして不倫相手に会って欲しいと言い出したの」


 高校の頃、話しているのを聞いたあの相手だ。


「あちらには私が欲しくて仕方なかった男の子がいたの。私は冗談じゃない。ふざけないでと叫んだわ」


 こういう場合、普通は男の人は両者を会わせたくないものじゃないのだろうか。


「でもね、お父様の話を聞いて会うことにしたの」

「なぜ……?」


「彼女は病気におかされていて、余命半年の宣告をされていたの」

「余命……半年……?」

 摩夜は驚いて隣に座る母を見つめた。


「私はざまあみろと思ったわ。やっぱり神様はいるのだと。悪いことをした人は報いを受けるのだと。やっと勝ったのだと。その惨めな敗者の姿を見てやろうと思ったの」


 そう言っているわりに母の顔は苦しそうだった。


「会ってみると、まだ見た目は元気そうだったけれど、顔はひどく憔悴していたわね。そして私に土下座をして頼むの」


――どうか自分が死んだ後、息子を育ててもらえないか――


「息子……」


「冗談じゃないと思ったわ。どうして憎い愛人の子供をって……。私が大事に育てると思うの? って……」


――あなたを苦しめてすみませんでした。バチが当たったのだと思っています。私を憎んで下さって構いません。でも息子を預けられるのは、あなたしかいないんです――


「どんなに突っぱねても何度も何度も、見苦しいほどに頼んでくる、そのなりふり構わない姿を見た時、ふと私のこだわっていた勝ち負けって何だったのかしらと思ったの」


 私は本当にこの人に勝ったの?

 たしかに惨めに土下座しているかもしれない。

 愛する我が子を他人に託さなければならない。

 未練だらけで死んでいかなければならない。


 でも……。


 自分のプライドのすべてを投げ打ってまで守りたい子供がいる。

 そこまで我が子に愛を注いだ、その人生に……。




 私は本当に勝ったのだろうか……。




「そう気付くと、今まで意固地になって見えていなかったものが急に見えてくる気がしたわ。そして少しずつ少しずつ、いろんな事が許せるようになってきたの」


 摩夜は、その瞬間、母の無念が晴れたのだと思った。

 祖母と羽那子おばさんが言っていた、無念が。


「その不倫相手の人は?」


「今、入院してるわ。余命半年と言われて二年持ちこたえたけれど、もう、あと一ヶ月も持たないだろうって言われてるの」


「じゃあ……」

 父がもう少し時間が欲しいと言っていたのは……。


「お父様には最後まできっちり世話して差し上げて欲しいと言ったの。そしてその後は……彼女の望み通り男の子を養子に迎えて育てようと思っているの」


「男の子を……?」


「こんな風に思えるようになったのは最近のことなのよ。お父様とも最近になってようやく心が通じ合うような気がしてきたの。そして……次は……あなたに謝らなければと思っていたの。私はきっとあなたをたくさん傷つけてきたわね。本当にごめんなさい」


 母は摩夜に向かって深く深く頭を下げた。


「お母さん……」


「でもこんな事を言っても言い訳にしかならないだろうけれど、二十三年間も一緒に暮らして育ててきたのよ。時には可愛いと思うこともあったし、愛情を感じることもあった。心が安定している時は、ちゃんと愛していたの」


「……」

 それは摩夜を傷つけないための、母の『愛ある嘘』かもしれない。

 でも、愛ある嘘であるならば、それを信じようと思えた。 


「だから……あなたの幸せを願っているわ、摩夜。派玖斗さんと幸せになっていいのよ」


 母はもう一度摩夜を抱き締めた。


「でも……真昼は……?」

 摩夜の言葉に母は苦しそうに頷いた。


「心配なのは真昼の方なの。あなたはたくさんの愛に囲まれているけれど、真昼は……」


「え? 派玖斗さんのことは申し訳ないと思うけど、それ以外は……」


「真昼は表面を取り繕うのは上手だけれど、深く付き合うようになると、そのほつれが見えてくるようになるの。前の彼氏もその前の彼氏も、相手の浮気が原因だと言ってるけれど、真昼のついた嘘がバレたのだと思うわ」


「そうなの?」


「あの子は以前の私と同じようになってる。私がそうさせてしまったの。だから納得の出来る『勝ち』を手に入れれば自信を持って生きられるんじゃないかと思って……。出来ることなら派玖斗さんとうまくいって欲しかったの。少しでも真昼に自信を持たせるために贔屓ひいきするようなことばかり言ってしまってごめんね、摩夜。今私までがあの子の味方をやめてしまったら、壊れてしまうんじゃないかと心配で……」


 思い返してみれば、母は派玖斗さんのことに関しては真昼の味方になるようなことを言ってたが、それ以外はこの数ヶ月、とても普通の母親だった。

 心を込めた食事も、その他のことも、なんの差別もせずに。


 眉間にシワを寄せた言葉も、摩夜に対する嫌悪というよりは、理不尽に真昼の味方をする自分に対する嫌悪だったのかもしれない。


「そして、真昼を少しの疑いもなく信じきっているあなたも心配だったの。少しずつ真昼の嘘に気付くようになってくると、もしかして長い間そうやってあなたをおとしいれてたんじゃないかって。考え出すとすべてがそんな気がしてきて」


「長い間……?」


「あなたを悪役に仕立てるために、もしかして真昼はずっと嘘をついてきたのかもしれない」


「私を悪役に仕立てる? どうしてそんなことを?」


「私のためよ。真昼はあなたを悪役に仕立てれば私が喜ぶと思って生きてきたのよ」


「そんな……」


「私のかたくなな思いが、あなた達二人を歪めてしまった。私は真昼がまたあなたを陥れようとしてるんじゃないかと、いつも注意して見守っていた。でも二人で食事したり、ダブルデートに行くと聞いた時は、摩夜、あなたが心配で……」


「じゃあ大丈夫って聞いたのは?」


「あなたがなにか酷い目に合わされないか心配だったの」


 摩夜はてっきり自分が真昼に酷い事をしないか心配してるのだと思っていた。


「でもまさか、派玖斗さんのメールを偽装したり、婚約指輪まで買ってあんな大それた嘘までつくとは思ってなかった。私が思う以上に真昼の心はすでに壊れていたの」


 母は苦しそうに呟いた。


「真昼は……。どうしてるの?」


 この二・三日は、長く顔を合わせないように気をつけていた。


「うきうきと結納の日を楽しみにしてるわ。一見するととても普通で……、私もお父様の電話を受けるまで、本当だと疑わなかった。きっと自分で自分の嘘を信じ込んでしまってるの」


「そんな……」


「摩夜、あなたはこの家を出なさい。あなたは優しいから、もし事実を理解した真昼があなたに憎しみをぶつけてきたら全部受け止めようとするわ。あなたにはきっと耐えられない」


「でも真昼が……」


「真昼が派玖斗さんにこだわるのは、それが完全な『勝ち』になると信じているからよ。あの子はまだ本当に人を愛するということを知らない。派玖斗さんを本当に愛しているわけではないのよ。だから引け目を感じる必要はないわ」


「でも……」


「真昼のことは私とお父様に任せていいから。今までの償いも含めて、二人で真昼の無念を受け止めていくから。あなたは自分の幸せだけを考えればいいの」


「でも……」


「摩夜。あなたに、幸せになってもらいたいの」


 摩夜の手を取り、心からの願いのように告げる母の言葉は、まぎれもない真実だと思えた。



次話タイトルは「期待はずれの派玖斗」です

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