72、告白
摩夜はゆっくりとベッドに体を起こした。
母は暗闇の中でドアを閉め、ベッドに向かって歩いてくる。
その手には……。
中学の頃のようなしめ縄はなかった。
どうやって殺すつもりなのだろうと、ぼんやりと考える。
なぜ逃げようともしないのか、自分でも分からない。
ただ、自分のこの命は、母の自由にしていい命のような気がしていた。
母の最後の希望であった男の子の命を、自分が奪ってしまったのだと聞いたあの日から。
生まれた最初から、この命の絶対的な権利を持つのは、自分ではなく母だったのだと。
摩夜はずっとずっと感じて生きてきた。
でも中学の頃と違うのは……。
この命に未練がある。
きっと悲しんでくれるだろう人の顔が浮かぶ。
昴に似鳥くん。
それから籐堂さんや井手口部門長も悲しんでくれるかもしれない。
祖父と……秘書室の室長と副室長も、なんだかんだと可愛がってくれた。
羽那子おばさんと直樹さんだって……。
いつの間にこんなに大勢の人と繋がっていたのだろう。
ずっとずっとひとりぼっちだと思っていたのに。
気付けば、大勢の人に助けられていた。
そして派玖斗さんとハク……。
考えることまでそっくりな二人はきっと……。
なぜ抵抗しなかったのかと怒るだろう。
またあっさり諦めるのかと怒るだろう。
俺を置いていくのかと詰るだろう。
でもね。
ごめんなさい。
私はやはり……。
母がこの命を望むなら。
差し出す以外の選択肢を持ってないの。
ごめんね、派玖斗さん。
ごめんね、ハク。
一歩ずつ近付く母が、私の前で立ち止まった。
「お父様から聞いたわ。派玖斗さんが結婚したいと思っているのはあなたの方だって」
母の顔が苦痛に歪む。
「やはり最後にすべてを手にするのはあなたなのね、摩夜。私はいつかこんな日がくるだろうと、ずっとずっと怯えていたの」
「……」
私はなんと答えていいのか分からないまま、無言で母を見つめた。
「本当はね、あなたたちは三つ子だったの。でも、もう一人いた男の子は途中で死んでしまったの」
「死んだ……」
母は、高校時代のあの日、私が聞いていたのを知らない。
「そう、死んだの。あなたが食べたの」
「私が食べた……」
身に覚えはないが、産んだ母が言うのだからそうなのだろう。
「そればかりか、今度は真昼の栄養まで独り占めして、死の危険にさらしたの」
「私が……?」
その話は初耳だった。
でも真昼が未熟児で生まれて、長く保育器に入っていたことは知っている。
その後も真昼は体が弱く、何度も命の危険にさらされた。
それも私のせいだったなんて……。
「少しずつ心が離れてしまった私とお父様だったけど、男の子が生まれればやり直せると思っていた。それですべてが解決して、正しく真面目に生きてきた私は、今度こそ報われるのだと」
「その男の子を私が食べたのね」
「そう。あなたが食べたの。少なくとも、私はそう信じたの。かつての私と羽那子のように、あなたはいずれ真昼からすべてを奪う悪魔になるのだと……」
「だから……私を憎んでいるのね、お母さん」
いつの間に溢れていたのか、ポロリと涙がこぼれた。
生まれた最初から、私は母にとって忌むべき存在だった。
憎しみと恐怖だけを与える存在だった。
ずっとずっと愛されたいと思ってきたけれど……。
私は母にとっての悪役を見事に演じきって、この命を終えるのだ。
愛する母の憎しみだけを受け止めて……。
生まれる前から人殺しの罪を背負った人間に、幸せになる資格などないと……。
母の両手がゆっくり私の首筋に向かってくる。
(首をしめるつもりなのね)
母の弱い力で首なんて絞められるんだろうか。
最後まで母を心配しながら、私はゆっくり目を閉じた。
しかし……。
母の両手は首筋をすり抜け、私の頭を抱え込んだ。
「?!」
そして気付けば、力一杯に私を抱き締めていた。
「お母さん……?」
何が起こったのか分からない。
あまりに予想外なことに、頭が真っ白になる。
「ごめんね、摩夜」
抱き締めたまま、耳元で母が呟く。
「お母さん……」
夢を見ているのかと思った。
きっと死の直前に、幸せな夢を見せてくれたのだと思った。
神様にも、ほんの少しの慈悲があったのだと……。
しかし母はさらに言葉を続けた。
「私は真昼があなたより幸せになる事で、自分の無念を晴らしたかったの。真昼があなたに勝つことで自分が羽那子に勝ったと思いたかった。あなたを悪役にして、自分と真昼の正しさを確認したかったの」
「お母さん……」
「そのためにあなたが必要だと思ってしまった……」
それは派玖斗の言葉に目覚めてから、摩夜が推測していたものに近かった。
でも納得したと同時に、とても淋しかった。
自分を必要だと言ってくれたのは、そんな理由からだった。
母は無念を晴らす対象としてだけ、摩夜を必要としたのだ。
でもそれを自覚しているということは……。
「今の私には、もう、そんなあなたは必要ではないのよ」
「え?」
そして母は、信じられない言葉を告げた。
「今の私に必要なのは、愛おしい我が子であるあなただけなの」
次話タイトルは「父と母の真実」です




