69、嘘
「お前の言葉をすべて信じてしまった俺が甘かった」
その派玖斗の言葉に、摩夜は大きな失望と拒絶を感じた。
そしてこれが現実だったのだと、改めて覚悟を決めた。
「すみません。私は何か大きな勘違いをして、本部長にご迷惑をかけてしまったようです」
「ようやく気付いたのか?」
派玖斗は確認するように尋ねた。
「はい。いえ、実は少し混乱していまして、どこから勘違いしていたのか分からなくなっているのですが……」
「おそらくずいぶん前からだ」
「ずいぶん前?」
それは二年前の出会った時からということなのか。
じゃあ派玖斗との出会いもハクが見せた白昼夢?
え? じゃあ本当に派玖斗と出会ったのは真昼で、自分はその話を聞いて勝手に妄想の世界に入り込んでいたのだろうか?
ますます分からなくなってきた。
ただ、これから何をすべきなのかは分かっている。
「まずは本部長。ご婚約おめでとうございます」
なるべくどんな感情も乗せないように淡々と告げた。
「……」
「そして急なことではございますが、私は今週いっぱいで退職させて頂きたいと思っています」
「……」
「私はどうも孤独のあまり精神不安定になっているようでございまして、なぜか本部長と両想いになれたかのような妄想を抱いてしまいまして、このままお傍にいるとどのような妄想を突っ走らせ、ご迷惑をかけるかもしれません。ですので……」
「お前……何を言っている」
「あ、妄想などと気持ちが悪かったですね。ですが、後任の秘書の方にスムーズに引き継げるよう、私の仕事を細かくマニュアルにして作っています。退職までには仕上げるつもりですので、業務に支障はないと……」
「お前はさっきから何を言ってるんだっっ!!」
摩夜の言葉を遮って、派玖斗が怒鳴った。
「え? ですので今後の身の処し方を……」
「だいたい婚約ってなんだ?
誰と誰の話をしてるんだっ!!」
「で、ですので、本部長と真昼の……」
「お前……いいかげんにしろよ」
「え?」
「なんで俺が真昼と婚約するんだっ!!
そんな訳ないだろうがっ!!」
「え? で、でも婚約指輪を……」
「アホかああっ! 買うわけないだろうが!!」
「で、でも昨日、真昼と一緒に買いにいったんじゃ……」
「ふざけんなよ! なんで昨日の今日でそんな話になるんだ!」
「で、でもメールで真昼に『愛してる、これから二人で幸せな家庭を築こう』って……」
「ぐあああ! 気色悪い! この俺がそんな甘ったるいメールを打つと思うのかっ!!」
「でも派玖斗って……」
「そんなもん成りすましで誰でも打てるだろうが! 少しは考えろっ!!」
「じゃあ……」
「だいたい俺は真昼にアドレスなんか教えてない。メールなんか一度も送ったこともない」
「え? そんなわけ……」
確かもっと前にも、毎日熱烈なメールが来ると言ってたはずだ。
「真昼の嘘だ」
「嘘?」
摩夜は『真昼』と『嘘』という言葉が結びつかなくて、しばらく思考が止まってしまった。
でも我に返ってみるとすぐに反論の言葉が溢れてきた。
「まさか! 真昼は嘘なんかつく子じゃありません。子供の頃から素直で誠実で優しくて」
「ああ。俺もお前のその言葉を信じ込んでしまった」
「信じ込む?」
「お前が自分を悪だと信じ込んでいる事で気付くべきだった。自分を悪だと信じ込むように、真昼は善だとなんの疑いもなく信じ込んでいたと……」
「な、なにを言ってるんですか、本部長。真昼は善です。生まれた時から、一度だって悪い感情を持ったこともない、私とは真反対の……」
「お互いにそう思い込まされてきたんだろう。お前の母親がそう思いたかったがために、お前達二人はそう思い込んで育てられた」
「で、でも真昼は……幼いころから嘘なんて一度も……」
「それはお前がそんなはずはないと自分の中で打ち消してきたからだろう。母親の偏った判断基準にお前自身も感化されてしまったんだ」
「私が?」
「正しいのはいつも真昼で悪いのはいつもお前だと信じてたんだろう?」
「で、でも本当に悪いのはいつも私で……」
「その考えを一旦横に置いて、もう一度思い返してみろ。真昼の態度に不審感を抱いたことはなかったか?」
「そ、そんな事は一度も……」
「真昼は俺にこう言ったんだぞ。『摩夜はいつも勝手に自分に成り代わって友人も恋人も仲を裂こうとする』と」
「わ、私が仲を裂く?」
驚いたものの、真昼が言うのだからそんな事をしたのだろうかと思い返してみる。
「ま、まったく身に覚えはありませんが、真昼が羨ましいばかりに、二重人格になってそんなことをしてたのでしょうか?」
自信なげに答える摩夜に、派玖斗はため息をついた。
「この期に及んで、まだ自分よりも真昼を信じるのか! じゃあこれはどうだ! ダブルデートはお前が俺とデートしたいがために真昼と入れ替わったんだと言っていた。あの時の摩夜は、本当は真昼だったと……」
「ええっっ!!?」
考えたこともなかったが、つまり似鳥くんに優しくしてもらってたのは真昼で、派玖斗と一緒にいたのが自分ということになる。
(どう考えても、あの時の摩夜の記憶しかないけど……)
「なんだか分からなくなってきました。双子だから共鳴し合って相手の意識と混同してしまうんでしょうか……」
まだ真昼を信じようとする摩夜に派玖斗は頭を抱えた。
「じゃあ聞くが、ゆうべ真昼は何と言ってたんだ?」
「真昼は……派玖斗さんと婚約したと……指輪を見せて……」
「俺は婚約などしていない。当然指輪なんか買っていない。俺はこう言ったんだ」
――お前が何を言おうが、俺は摩夜を信じてる――
ハッと摩夜は派玖斗を見つめた。
「お前はどうなんだ? 俺の言葉と真昼の言葉のどちらを信じるんだっっ!」
そう派玖斗に告げられた途端、摩夜の心に幼い頃から根付いていた、黒く歪んだ幕のようなものがストンと落ちて、視界が広がった気がした。
母と真昼が絶対だった世界を派玖斗がこじ開ける。
そして、もっと広い世界を見ろと、摩夜の手を掴んで引っ張り出した。
そこは……。
摩夜が悪役と決定している世界ではなかった。
自分で成りたい役を選ぶ自由が許されていた。
自分がどう生きて、どう有りたいのか。
すべての選択肢が自分の手の中にあった。
お前はこの役だと決め付けられることのない世界。
すべての判断が自分に委ねられた世界。
そして……。
摩夜は初めて……真昼の言葉を疑ってみた。
「真昼が……嘘を……?」
次話タイトルは「目覚めた摩夜」です




