68、白昼夢
「おめでとう!! 真昼!」
母は真昼に駆け寄り、その体を抱き締めた。
「おめでとう、真昼」
父も立ち上がり、真昼の肩に手を置いた。
摩夜一人が取り残されたように、呆然と突っ立っていた。
「鷹柳さんは? 車で送ってもらったんでしょ?」
「あ、ううん。また戻って仕事があるらしいから、今日は電車で帰ってきたの」
「まあ、そうなの? 一度家にも上がって頂かないとね」
「そうね。今度ご挨拶に来て頂くわ」
「日にちが決まったら知らせてくれ。私も挨拶しておきたい」
「うん。お父さん、ありがとう」
親子三人の幸せそうな会話が続く。
摩夜だけが事態の急変についていけなかった。
真昼は、その摩夜に視線を向けて近付いてきた。
そして目の前まで来ると、少し困ったように微笑んだ。
「摩夜は祝福してくれないの?」
「……」
少し淋しげに小首を傾げる真昼に言葉が出て来なかった。
「心配しなくとも、摩夜もそのうちいい人が現れるわよ」
「そうだとも。なんなら私の会社の部下とお見合いでもしてみるか?」
両親は無言の摩夜が、真昼の結婚に嫉妬しているのだと思ったらしい。
「真昼……。今日は本部長と何の話を……」
「ああ。私と摩夜が入れ替わっていたことに、気付いてたみたいね」
「それで本部長は……」
「うん。それでも私と結婚したいって言ってくれたの。全部知った上で、やっぱり私が好きだって言って二人で指輪を買いに行ったの」
「うそ……」
摩夜は思わず呟いていた。
「いやだ、摩夜ったら。疑ってるの? じゃあ、さっき派玖斗さんから送られてきたメールを見せてあげるわ。でも派玖斗さんは照れ屋さんだから私が見せたって言わないでよ」
真昼は自分のスマホを取り出して、軽く操作してから摩夜に見せた。
そこには……。
『真昼、今日は家まで送れなくてすまなかった。
でも今日はお互いにすべてを包み隠さず話せて良かった。
俺にはやはりお前しかいない。
愛してるよ、真昼。
慌てて買った指輪ですまないが、今度正式に婚約指輪を渡すよ。
これから二人で幸せな家庭を築こう。 派玖斗』
「……」
摩夜はその文面に目を通して、自分が分からなくなった。
もしかして、自分は長い長い夢を見ていたんだろうか?
道理でなにもかもが摩夜びいきに進むと思った。
自分でもおかしいぐらい順調に物事が進みすぎた。
きっとしっぺ返しがあるだろうと思っていたが、まさか最初から自分に都合のいい妄想を見ていただけだとは思わなかった。
「ねえ、摩夜。祝福してくれるでしょ?」
真昼は鮮やかな笑顔で摩夜に尋ねた。
「……」
摩夜は呆然と視線を合わせ、静かに答えた。
「……うん。おめでとう……真昼……」
辛うじてそれだけを言った。
「ごめん。ちょっと疲れたから部屋に戻るね」
フラフラと部屋を出て行く摩夜の後ろ姿を、真昼は満足気に見送った。
◇
「ハク……あなたに会いたい……」
ベッドに重い体を横たえ、摩夜はポツリと呟いた。
やはり摩夜にはハクしかいなかった。
ハクだけが裏切らず、自分のすべてを受け止めてくれる。
一体どこから自分は夢を見ていたのだろう。
あまりに孤独で、あまりに淋しくて、自分に都合のいい夢を見ていたのだ。
「ハクだけでいいと思っていたはずなのに、またいつの間にか欲張りになってたのね」
今もハッキリと記憶に残る派玖斗のキスも、山から転げ落ちながらも抱き締められた強い腕も、何があってもお前を守ると言ってくれた言葉も……すべて幻だった。
「ハク……。あなたが孤独な私を不憫に思って白昼夢を見せてくれたの?」
すべては祖父の田舎の出来事だった。
ハクが数日だけ派玖斗の体を借りて見せてくれた夢だったのだ。
「でもね……ハク。どうせ醒める夢なら、見せて欲しくなかった……」
醒めた後に、何倍もの孤独に襲われるから……。
心が凍りついて、絶望しか見えなくなるから……。
「派玖斗さんの温もりを知らなければ良かった」
知ってしまったが最後、また届かない夢を見たくなるから。
そして二度と手に入らないものだと思い知るから……。
「うう……ハク……。もう派玖斗さんのそばにはいられない……。以前のように少しずつ忘れていけるなんて思えない。無理なの……ハク……」
摩夜は一晩中泣き明かした後、一つの結論に達していた。
◆
翌朝、摩夜はいつもより三十分早く出社して、熱心に資料を作っていた。
パソコンで打ち込み、プリントアウトしたものに手書きでメモをつける。
朝の準備を手際よく済ませ、また資料を作る。
メールも電話もない朝は、仕事がはかどった。
そして八時三十分になると、派玖斗と籐堂がいつものように出社してきた。
摩夜は、なるべくいつも通りの態度で「おはようございます」と立ち上がって挨拶した。
「おはよう」
普通に挨拶を返す籐堂と違い、派玖斗は深刻な顔で摩夜を見つめた。
そして。
「摩夜、話がある。来てくれ」
とだけ言って、本部長室に入っていった。
「はい」
摩夜は覚悟を決めて後に続いた。
籐堂は自分の秘書室に入ってしまい、摩夜だけが派玖斗の後について執務机の横に立った。
そして派玖斗は椅子に座るなり、執務机で頭を抱えるようにして「はあっ!」と大きなため息をついた。
その様子から何かにひどく落胆しているのが分かる。
摩夜はいまだにどこまでが本当で、どこまでが白昼夢だったのか分からなかった。
ただ分かるのは……。
これから話す内容が、決して楽しい話ではないということだ。
そして派玖斗はようやく決心したように口を開いた。
「お前の言葉をすべて信じてしまった俺が甘かった……」
次話タイトルは「嘘」です




