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67、婚約

 摩夜は母と二人きりの時間が気詰まりで、駅前の本屋で時間をつぶしてから帰宅した。

 今頃、派玖斗と真昼はどんな話をしているのだろうかと不安でたまらない。


 なにか良からぬことが起こってそうな予感がしてならない。


 そして「ただいま」と玄関に入った摩夜は、ここにも異変が起こっていることに気付いた。


 玄関に靴がある。


 玄関だから靴があるのは当然なのだが……。


 男物の革靴だった。


(え? まさか派玖斗さんが真昼を送って家に来てるの?)


 急いでパンプスを脱いで明かりの洩れるリビングを開けた。


 そしてそこにいたのは……。


「お父さん……」


 食卓で母と共に夕食を食べていた。

 そんな姿を見るのはずいぶん久しぶりだ。

 

 確か前回は、摩夜と真昼の就職が決まった時に、祝いの夕食にゲストのようにやってきた。

 食卓に並んだ料理は、あの日と同じく何かの祝いのように豪華だった。


「摩夜、遅かったのね。夕食はまだでしょ? すぐ温め直すわね。座って」

 母は上機嫌で摩夜を迎え入れた。


「う、うん。ありがとう」

 摩夜は仕方なく席についた。

 真昼の席は母の前だから、必然的に摩夜は父の前に座ることになる。


「久しぶりだな、摩夜」

「う、うん」

 チラリとうかがい見た父は、心なしか少しやつれたように見える。


「会社の方はどうだ? 御曹司の秘書になったらしいじゃないか」

「え?」

 摩夜は不思議なものでも見るように父を見つめた。

 こんな風に自分の近況をフランクに聞かれたことなどなかった。


「ご迷惑をかけないように出来てるか?」

「う、うん。まあ……」

 迷惑はいっぱいかけてるかもしれないが……。


「あ、あの……今日はどうして……」

 言いかけて口ごもった。

 父親に「今日はどうして来てるのですか?」と聞くのもどうかと思ったのだ。

 しかし、父は分かってるように、ふっと笑った。


「今まで疎遠になっていて悪かった。これからはなるべくこの家に帰ってこようと思ってる」

「え?」

 摩夜は驚いて、父をもう一度見つめた。


「ただ……もう少しだけ……時間が欲しいがな……」

 そう言って、父は少しだけ苦しそうに顔を歪めた。


「お父様はね、これからは心を入れ替えて私とあなた達と一緒に暮らしたいと言って下さったのよ。それから……ううん。この話は今度にしましょう」

 母がキッチンで温め直した料理を摩夜に出しながらにこやかに続けた。

 珍しいぐらいに上機嫌だ。


 もしかして父は愛人と別れたのかもしれない。

 そして母の元に戻ってくることにしたのだろうか?


 だが、高三のあの日の言葉からは考えられない。

 やり直すことなどないと言い切った、あの父がどうして……。


「それよりも今日は素敵な記念日だからね」

 母は、トクトクとワインをグラスに注いで摩夜に手渡した。


「記念日?」

 もしかして結婚記念日だったのだろうか?

 今まではそんなお祝いが出来る状態ではなかったから、よく知らないが。


「真昼が御曹司と付き合ってるそうじゃないか」

 父もワイングラスを持って、もう一度乾杯とばかりに傾けた。


「今日は大事な話があるって、VIPしか入れない高級レストランに誘って頂いたらしいわ。きっとプロポーズだろうってお父様に連絡したら、お祝いをしようってことになってね」


「……プロポーズ……?」

 摩夜は蒼白になってワイングラスを置いた。


「ま、待って、お母さん。まだどんな用事なのかも聞かないでお祝いなんて……」


 派玖斗は、もう二人では会わないと伝えると言っていた。

 それだけでもショックなはずなのに、こんな状態で待ち構えていられたら……。

 真昼がどれほど辛い思いをするか分からない。


「なにを慌ててるのよ、摩夜。もちろんプロポーズまではされなかったとしても、正式なお付き合いの申し込みに違いないわよ」


「私もまさか御曹司が息子になるとは思わなかった。最初聞いた時は驚いたよ」


 父も上機嫌でワインをぐいっと飲み干した。


「花嫁の父親として真昼が恥をかかないよう、私も心を入れ替えて努力するつもりだ」


 まさか……。

 それで家に戻ることにしたの?


 でも……。

 真昼は今日……。


 摩夜はこの二人にどこから話していいか分からなかった。

 でも真昼が帰るまでに、せめてこの二人のお祝いモードを解除したかった。

 それでなくとも申し訳ないと思っていたのに、これでは真昼が辛すぎる。


「待って、お母さんも、お父さんも。こんな数回会っただけでプロポーズなんて、考え過ぎよ。本部長はこのところ仕事で忙しかったし……」


「お義父さんの田舎に泊まってたんだってなあ。怪我をしたと聞いたが、男というのは怪我や病気で気弱になると結婚を考えるものだ」


「だ、だからって……」


「なにを心配してるの、摩夜? 真昼の結婚に反対なの?」

 母が怪しむように摩夜を見つめた。


「反対とかではなくて……、こんなに期待して、もし違ったら……」


 しかし、母は摩夜の心配をよそに、信じられないことを言った。


「心配ないわ。私は少しだけど鷹柳さんからのメールを見せてもらったの」


「メール?」


「ええ。大谷農園に行っている間も、頻繁に連絡を取り合ってたみたいね。それはもう『真昼に早く会いたい』とか『愛してる』とか、一日に数十件も送ってきてるみたいよ」


「まさか……」


「私は真昼に見せてもらったのよ。間違いないわ」


 摩夜はすっかり混乱していた。


 入院中に派玖斗さんが?


 でもほとんどつきっきりで傍にいたけど、そんなに頻繁にメールを打っていた様子はなかったはずだ。


 なにがなんだか分からなくなっていた時、玄関が開く音がして「ただいま」と真昼の声が響いた。


(ど、どうしよう……)


 さっぱり訳が分からないが、両親はお祝いモードで真昼が食卓に来るのを待っている。


 そして……。


「ただいま! お母さん!」


 晴れやかな笑顔の真昼が入ってきた。


 そして告げたのだ。


「派玖斗さんにプロポーズされたの!」


 真昼のかざす左手薬指には、ダイヤの指輪が光っていた。



次話タイトルは「白昼夢」です

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