65、転落の足音
二日後、派玖斗の退院と共に慌ただしく会社に戻ることになった。
ちょうど土日に入院していて月曜日になっていた。
昴に会う暇もないまま電話で少し話したが、告白の返事はしないままになってしまった。
摩夜自身がいろんな事に混乱していて、どう返事をしていいかも分からなかったし、電話で返事をするのも失礼な気がして、来週帰った時に返事するとだけ伝えていた。
「真昼と今夜会う約束をした」
帰りの車の中で派玖斗は隣に座る摩夜に告げた。
「え? 今夜?」
本当に派玖斗は、こうと思ったら即行動しないと気が済まないタチだった。
真昼には先に二年前の鷹匠が自分だとバレたのだと話しておきたかったのだが、その後どう話したらいいだろうかと思うと結局何も言えないまま、仕事で祖父の家に泊まってるという連絡だけをしていた。
「心配するな。ちゃんと誠意を持って謝るつもりだ」
「本部長は何も悪くありません。すべては私が最初に嘘なんかついたから……」
「そうだな。俺は被害者だな」
「!」
蒼白になって派玖斗を見ると、ふっと笑われた。
「お前が最初から正直に言ってれば、俺は迷うこともなかった。そうだろう?」
「す、すみません……」
「悪いと思うなら揺れるなよ。母親が何を言おうが、真昼がどういう反応であろうが、お前は迷うな。罵声も糾弾も、一緒に受け止めよう。時間がかかってもいつか許してもらえる日を信じて一緒に乗り越えよう」
「……はい」
派玖斗の言葉はどれも力強くて、この人が言うならそんな日が来るかもしれないと信じられそうな気がした。
だが……やはり、心の奥は不安でかき乱されていた。
派玖斗にこの二日間で多くの話をしたけれど、全部を話したわけではない。
母に殺されそうになった話も、自分が母の離婚の原因になってるだろう話も。
派玖斗が考えるよりも、もっと傷は根深く歪んでいるような気がする。
摩夜にはすべてが終焉に向かっているような気がしていた。
でも……。
そこに地獄が待っていたとしても、もう派玖斗にだけは嘘をつきたくないと思っていた。
だから真昼からすべてを奪う悪魔と罵られようが、母と真昼に対峙しなければと心に決めた。
「俺は自分の出来る全力でお前を守る。だからもう俺から逃げるなよ」
「……はい」
◇
「ちょっと、摩夜ちゃん。どういうことだよ」
会社に戻ると、噂を聞きつけた似鳥がすぐに本部長室に駆け込んできた。
帰社した時、受付も通ったが真昼は休憩中だったのかいなくてホッとした。
しかし似鳥からは逃げられそうにない。
似鳥には行きの車の中で、派玖斗に命じられるままに偽装交際の解除を申し入れていた。
もちろん派玖斗の言うような失礼なメールではなく、今回のいきさつを説明して、もう付き合うフリなどしなくていいのだと伝えた。
何度かメールでやりとりはしたものの、納得できないようだった。
「だからメールで伝えた通り、井手口部門長の問題はほぼ解決したので……」
「いやだからって、そんなすぐ解消しなくても。もう少し付き合ってみてさ……」
「別に私を挟まなくても、本部長は似鳥くんを高く買ってますから、直接連絡しても受けて下さると思いますよ」
「いや、ホントに僕が利用するためだけに摩夜ちゃんと付き合ってたと思ってるの?」
「違うんですか?」
「……」
似鳥は唖然としてから、天を仰いだ。
「そうだったあ~。摩夜ちゃんは驚くほど鈍感なんだったあ~」
しかし思い直したように、似鳥はもう一度摩夜を見つめた。
「じゃあさ、ここからもう一度始めよう。今度はそういう裏取引なしで……」
「おい、俺の秘書を勝手に口説かないでくれるか」
似鳥の言葉は、本部長室から出て来た派玖斗の言葉でかき消された。
「鷹柳本部長……」
「摩夜を口説きたいなら、まずは俺を通してもらわないと困る」
「な! どういう権力ですか! じゃあ本部長を通したら口説いてもいいんですか?」
「もちろん却下だ!」
「そんな横暴ありますか?」
「ある! お前はとっとと人事部に戻って自分の仕事をしてこい! 添木とつながりがあった連中を全部洗い出してこい! こんな所で油を売ってる場合か!」
「う……。それは今、全力で探ってますよ」
仕事のことを突っ込まれると似鳥も勢いを無くした。
派玖斗としては、摩夜は自分の恋人だと宣言したいところだったが、さすがに社内で公言するには時期尚早だった。
その前に解決しなければならない多くのことがあった。
御曹司という立場も考えると、当分表沙汰にできる話ではなかった。
「わ、分かりましたよ。じゃあきちんと調べたら許可して下さいよ」
「知らん!」
「……」
似鳥は不満そうに部屋を出て行った。
「……ったく。油断も隙もない。お前も二度と見たくないぐらいに言ってやれ!」
「で、できませんよ。別にひどい事されたわけでもないのに」
……というか、いつも助けてもらっている。
「五時半になったら真昼と出掛ける」
摩夜は、ハッと派玖斗を見た。
「お前は先に家に帰ってろ。真昼と話がついたらお前の両親にもいずれ会うつもりだ」
「私の両親と……」
失念していたが、結婚を視野に入れて付き合うなら、いずれは両親に会うことになる。
でも……。
摩夜にはどうしても派玖斗と自分の両親が円満に話し合う場が想像出来なかった。
◆
「わあ! 素敵なお店ですね」
真昼は一番お気に入りの濃いピンクのワンピースを着て、高級イタリア料理の店に入った。
瀟洒なお城のような店は、会員でないと入れない所だった。
「鷹柳様、奥の個室を用意しております」
「ああ。腹が減ってる。すぐに料理を出してくれ」
「かしこまりました」
派玖斗としては、これから話す内容のせめてものお詫びのつもりで自分の知っている最高級の店の最高級のコースを予約しておいた。
「今日は個室なんですね」
真昼は今まで見た中で一番ウキウキしているようだった。
その表情を見ただけで罪悪感がつのった。
「とにかく腹が減った。食べよう」
席につくなりそう言って、しばらく食べることに集中した。
空腹で嫌な話を聞かせるよりは、まずはせっかくの料理にだけでも満足させたかった。
「怪我をしたと聞きました。もう大丈夫なんですか?」
「ああ。表面を切っただけだ。出血はひどかったが、それ以外は大したことはなかった」
「良かったああ。摩夜から聞いた時は心配で食事も喉を通らなかったんですよ」
「心配させてすまなかった」
「電話しても出ないから心配しました」
「ああ。最初の一日は眠り続けてたし、翌日はいろいろ忙しくて済まなかった」
昨日ようやく電話して、今日の約束を取り付けた。
メールでやりとりする仲にはなっていなかった。
派玖斗としては、そこに線引きをしていたつもりだった。
だが……。
「大事な話ってなんですか?」
期待に溢れた目で派玖斗を見上げる真昼を見た瞬間、読みが甘かったと気づいた。
大事な話なのは確かだが、とんでもない誤解をさせている事に初めて気付いた。
まだ数回会っただけで、甘い話の一つもした事がないのに、そんな期待をするとは思ってなかった。だが思い返せばいつもそんな自分の読みの甘さに失敗してきた。
自分の肩書きが、女性たちの妄想を突っ走らせてしまうのを。
自分の想いのはるか先まで妄想させてしまうのを。
最初は二年前に自分をあっさり捨て去った鷹匠だと思っていたから、そんな類の女だと警戒もしなかった。
そして、どこかで摩夜と双子だから、その手のタイプではないと信じてしまっていた。
摩夜の話す真昼が、あまりに誠実で清らかだったから、その言葉を盲信してしまった。
だが、目の前にいるのは……。
今まで散々痛い目に合ってきた、まさにその典型ではないのか……。
派玖斗はそんな疑いを、すっかり失念してしまっていたのだ。
次話タイトルは「最後の晩餐」です




