62、救世主
ハクは摩夜に気付いたと思うと、一直線に舞い降りてきた。
そして条件反射のように袖を伸ばしてハクを迎える摩夜の腕を迷いなく目指す。
その姿は、絶体絶命の危機に颯爽と現れる救世主。
ヒロインを救う孤高の騎士。
白馬ではなく翼を広げた無口な王子様。
登場シーンを心得た最高にカッコいいヒーローだった。
そして、当然のようにひゅんと飛び込んで摩夜の腕に止まった。
「ハク!! 私の声が聞こえたの? 巣箱からどうやって……」
『お前の危機に気付かない俺だと思ったのか! 巣箱で一暴れしたらじいさんが異変に気付いて出してくれた。俺が来たからにはもう大丈夫だ』
そう言ってるような気がした。
そして、ハクがそばにいるだけで、本当にもう大丈夫な気がした。
「ハクう……。来てくれてありがとう……うう……」
摩夜は張り詰めていた気持ちが弛んで、再び涙が溢れた。
『もう泣くな。しょうがないヤツだな』
ハクは摩夜の涙を拭うように頬をすりよせる。
しかし自分そっちのけでイチャつく摩夜とハクに、派玖斗はすっかり不機嫌になっていた。
「おいっ! お前は主役を食い過ぎだろう! いい雰囲気になってたのに邪魔するな! ここはお前の出番じゃないだろうが!」
ハクは初めて派玖斗の存在に気付いたようにチラリと一瞥して答える。
『フン! お前もいたのか。怪我してやがるな、間抜けめ』
「てめえ、今絶対、俺の事バカにしただろう! ……いてて」
起き上がろうとして、傷口が痛んだのか派玖斗が頭を押さえた。
「派玖斗さん! まだ動かない方がいいわ」
摩夜は慌ててハクを手に乗せたまま、派玖斗の体を押さえて寝かせる。
「くそっ。さすがにこれだけ出血したら頭がくらくらするな」
ようやく止血して落ち着いてみると、自力で歩ける状態ではないことが分かった。
かと言って摩夜が支えて山を降りるのは負担が大きい。
「そうだわ。ハクに助けを呼んでもらいましょう」
「ハクに?」
「はい。手紙を足につけておじいちゃんに渡してもらうの」
「手紙? でも紙もペンもないだろう?」
「大丈夫です! 前にも一度ハクに手紙を託したことがあるんです」
ハクと山道で迷子になったことがあった。
あの時も……。
摩夜は頭に手をやると、髪を束ねているピンを引き抜いた。
斜面を落ちてぐしゃぐしゃに乱れていた髪は、その一本ではらりと全体がほどけた。
流すように頭を一振りすると、長い黒髪がサラサラと肩に落ちる。
派玖斗はドキリと仰向けのまま、初めて髪をおろした摩夜を見つめていた。
ちょうど派玖斗の位置からは、太陽の光が逆光になって摩夜の姿を映し出す。
「ピンで木の皮に彫るように書いて、ハンカチでハクの足に巻きつければ、きっとおじいちゃんに届けてくれます。裏山の斜面の中腹。派玖斗さん、頭の出血。これだけ書けば気付いて来てくれるはずです」
摩夜は書き終えると、血まみれのハンカチにくるんでハクの足に結び付けた。
「ハク、お願い。これをおじいちゃんに渡して」
ハクはツンと顔を上げた。
『仕方がないな。届けてやる。ここで待っていろ』
そう言ってるようだった。
「じゃあ行くわね」
摩夜はハクに合図すると、左手を後ろに引く。
そして大きく一歩を踏み出しながらザッと前に振りぬいた。
いつも束ねられていた黒髪が、動きに合わせてしなやかに流れる。
逆光の中で鷹を飛ばす摩夜の一連の動きの美しさに、派玖斗は見惚れていた。
それは鳥の王に選ばれた聖なる女神のように見えた。
今まで感じたことがないほどの感動だった。
「美しいな……」
そう呟いて気付いた。
二年前。
初めて出会った時から、自分は鷹ではなく、この鷹匠に惹かれていたのだと。
鷹はもちろんカッコいいと思ったが、それ以上にその鷹を飛ばす摩夜が美しいと魅了されたのだと。
女性不信から認めたくなくて、鷹にこじつけてみたけれど、ハクにこだわったのも摩夜が飛ばす鷹だったからだ。
最初から、派玖斗には摩夜しか見えていなかった。
今さらながら、そう気付いた。
「摩夜」
ハクの飛び去った空をまだ見上げている摩夜に呼びかけた。
逆光の中で振り向く摩夜の動作一つ一つに心が震える。
運命であったとしてもなくても。
赤い糸でつながっていたとしてもなくても。
そんなものはどうでもいい。
たとえ世界中の人間が非難したとしても。
彼女の言う神が罠に落としたのだとしても。
もう他の選択肢など残っていないのだ。
そう確信する自分が今のすべてだ。
「お前が何に苦しんで、何に怯えているのか知らないが、俺の気持ちはもう変わらない」
「派玖斗さん……」
摩夜は地面に横たわる派玖斗のそばに膝をついて寄り添う。
「お前は自分が断れば俺が真昼とうまくいくと思ってるのかもしれないが、それは無いからな。
お前の返事がどうであれ、俺が真昼と付き合うことはない。俺はお前がいいんだ。お前が断るなら、もう当分誰とも付き合わないだろう。当然結婚もしない。籐堂はショックで寝込むぞ。じいさんにも愛想を尽かされて、俺は鷹城グループの後継者からはじかれるな」
「そんな……」
「俺の幸せを望むなら、俺の気持ちを受け取れ!」
「派玖斗さん……」
「お前が囚われてる檻から自分の意志で出て来い」
「私の囚われてる檻?」
「お前を悪人だと指差すヤツがいるなら、俺が全力で守ってやる。お前が間違ってると言うヤツがいるなら、俺が代わりに反論してやる。絶対守るから、お前は勇気を出して俺のそばに出て来い」
「でも私は……いつも……望むものを手に入れようとすれば……周りの人を傷つけて不幸にしてきたんです。もしかしたら派玖斗さんも……」
「いつもというのは何回だ! 十回か、百回か、千回か? だったら千一回目で幸せを手に入れる人生なんだ。そう信じろ! お前が自分を信じなくて誰が信じるんだ。たとえお前が信じなくとも俺は信じるぞ。だからお前も信じて出て来い!」
「派玖斗さん……」
「ああ……くそっ……。しゃべり過ぎて気が遠くなってきたぞ。気を失う前に答えてくれ」
派玖斗は疲れたように目を閉じた。
いつもと変わらない俺様な態度で気付かなかったが、これほどの出血をしたのだ。
今にも遠のきそうな意識を気力で保っていたのだ。
まるで初期のハクが自尊心のためにやせ我慢してエサを拒否したように。
カッコ悪い自分を見せまいと最後の気力で意識を保っている。
そんな派玖斗が愛おしい。
摩夜はこの気持ちをどう表現していいか分からなかった。
だからハクに頬ずりするように、そっと派玖斗の胸に頬をうずめた。
そしてハクに甘えるように頬を胸にすりすりする。
こんな方法しか知らないけれど……。
これが今の摩夜に出来る精一杯の愛情表現だった。
「好きです。派玖斗さん……」
派玖斗は最後の力を振り絞って右手で摩夜の頭を優しく撫ぜた。
そして安心したように意識を手放した。
次話タイトルは「相思相愛」です




