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6、ハク


 待ちに待った土曜日。

 摩夜まやは朝一番に起きて、家族が寝静まる中こっそり家を出た。


 行き先は祖父の住んでいる田舎町だった。

 幼い頃から真昼まひるの体調が悪くなると、そのたび預けられてきた馴染み深い町だ。


 祖父母は娘二人を嫁にやり、定年を迎えた後、都心から電車とバスで四時間かかる田舎町に引っ越した。

都会の喧騒を離れ、田舎で家庭菜園をしながら静かに暮らすのが夢だったらしい。


 退職金を元手に田畑の広がる田舎町に、こじんまりとした洋館を建てて年金暮らしをしている。生活ぶりはとても質素だったが、摩夜にとっては心休まる場所だった。


 ただ高校生の時に祖母が亡くなり、それからは心が痛む場所でもあった。

 祖父は、祖母のいなくなった寂しさを背負ったまま、淡々と生きているような人だった。

 どこにいても祖母のいない淋しさを感じるような、そんな家だった。


 働き始めてからの土日は、毎週、始発の高速バスに乗り込んで祖父の家に泊まるのが決まり事のようになっていた。お給料のほとんどはこの往復の旅費や諸経費で消えていく。


 それでも毎週行く理由があった。


「ハク……」


 摩夜はバスのシートにもたれながら手帳に挟んだ写真を取り出した。

 別に祖父孝行をするとか、そんな立派な理由じゃない。


 ただハクに会いたいのだ。

 だから毎週通っている。


 高速バスを降りて、今度は路線バスに乗り換えて人里離れた道をゆく。

 主要道路だけは舗装されているが、見える景色はどんどん田んぼと畑ばかりになっていく。

 民家もまばらになって、何十年も変わらない田舎町が現れる。


 摩夜は、いつもの儀式のように黒縁メガネをはずして、鮮やかに微笑んだ。

 ここでだけは本当の自分でいられる。その境界線だった。

 最寄のバス停で降りると、待ちきれないように祖父の家に駆け出す。


 古い日本家屋がまばらに建つ田舎に、ポツンと茶色の洋館が建っている。

 洋館といっても周りの景観を損なわないように、しっくりとなじんだ外観だ。


 少しだけ高台に建った洋館に駆け込み、慣れたように玄関を開ける。


「おじいちゃん、ただいま!」


「……」

 ちょうど出かけようとしていたのか、玄関口にいた祖父は無言で摩夜を見た。

 いつも寡黙な祖父なので帰った時の反応はこんなものだ。


「その恰好は! もしかして今から仕事?」


 祖父はハンチング帽を被って、和装の上衣に膝下のすぼまった下穿き姿だった。


「私も行く! 待って、すぐに着替えるから」


「……。先に小屋に行ってる」


 摩夜は大急ぎで二階の自分用の部屋へ着替えに行った。

 黒の動きやすいスポーツウェアの上に、黒のポンチョのようなマントを羽織る。

 あとは後ろで束ねた髪の上に黒のベレー帽。

 これが摩夜の正装だ。


 そして、ほぼすっぴんで都心から出て来た顔にあわてて化粧をする。

 薄く口紅を塗って目元を整えるだけだが、やはり彼にすっぴんで会うのは恥ずかしい。

 この田舎町でだけの、ささやかな女心だ。


 そしてエガケという革製の手袋を左手につけてから階段を駆け下りる。

 そのまま玄関を出ると、家の裏手に建つ小さな小屋にそっと入った。


 そこにいたのは……。


「ハク!」


 小屋の真ん中に渡してある止まり木から、黄色い眼光が摩夜を見つめる。

 とがったくちばしにグレーのスマートな頭。

 王者の風格で引き締まった体をゆったりとこちらに向けたと思うと……。


 バサッ!


 一気に羽を広げて摩夜の左拳に飛んできた。


 それは鳥の中のまさに王様。


 たかだった。


「ハク! 元気だった? 会いたかった」


 手袋の左拳の上にスッと止まった鷹は、嬉しそうな摩夜ではなく前方を見ている。

 摩夜がその白斑しろぶちの入った横顔に頬ずりしても、しらんぷりで前を向く。

 でも決してけたりしないで、無表情に摩夜の頬ずりを受け止めていた。


 言葉で表すなら、

『そんなに俺に会いたかったのか。しょうがないな。少しだけなら俺に触れるのを許してやってもいい』という顔だ。


 そう。


 ハクは、摩夜にとって超ツンデレで気難しい俺様男の恋人のような存在だった。


「摩夜、車に乗せるから巣箱に入れてくれ」


 祖父はもう一羽の鷹、リュウを巣箱に入れて、ワゴン車の後ろに固定して乗せながら命じた。


 祖父母がこの田舎町に引っ越したのには、もう一つ訳があった。

 それが、この鷹を飼うためだ。

 鷹の魅力に囚われた祖父は、鷹匠たかじょうの資格をとって、この町で鷹と共に暮らしている。家庭菜園をしたい祖母と鷹を飼いたい祖父の意見の一致で、この田舎町で老後を過ごすことにしたのだ。


「もう少しハクと再会のスキンシップをしたかったけど……。

 ごめんね、ハク。箱に入ってくれる? これから仕事みたいなの」


 摩夜が頼んでワゴン車の中の巣箱を開けると、ハクは少し考えてから、くいっとアゴを上げて素直に巣箱に入っていった。


 それはまるで……。

『おまえのスキンシップなど、俺様は全然楽しみになどしてなかったが……。

 仕事なら仕方があるまい。入ってやろう』

 ……と言ってるようだった。


 そして二人で出発の準備を整えていると、左拳に鷹を乗せた青年が現れた。


「ごめん、じっちゃん、遅くなった。

 あれ? 摩夜まやも一緒に行くのか?」

 短く切り揃えたツンツンの髪に、深い二重のちょっと甘めのイケメンだ。

 そして祖父と同じく鷹匠の正装をしている。

 奉行所の岡っ引きのような和装だが、昴は精悍な感じで似合っている。


すばる。あなたも行くって事は、今日は大きい仕事なの?」


 昴は摩夜と同級生だった。

 子供の頃、祖父の鷹を見てからすっかり魅了されてしまい、大人になってから実家の果樹園の仕事を継ぎながら鷹を飼っている。


 高校を卒業した後、摩夜と一緒に鷹匠の資格も取った。

 資格と言っているが、国家資格のような正規のものではなく、あくまで各流派が出している形だけのものだが、とりあえず鷹の育て方、鷹を使った狩りの手法などを一通り学び、一定基準の鷹狩りの能力を認められた者という事になる。


「アリス、ちょっとしばらく我慢してくれよ」


 昴はワゴン車に三つ並んだ巣箱の一番端に自分の鷹を入れた。


「今日は大谷農園の依頼だよ。前に追い払ったカラスが、また戻ってきてるらしい。巣作りされると厄介だから追い払って欲しいって事だけど、数が多い。正直、リュウとアリスだけだと心配だったんだ。ハクが出てくれて助かった」


 巣作りしてしまったカラスは、なかなかそこを離れたがらない。

 そして農園で育った作物を荒らし、子育て中には凶暴になって人間に襲い掛かる事もある。

 だから巣作り前のこの時期に鷹によって威嚇して追い払うのだ。


 カラスがここはヤバいと完全に退散するまで、数週間鷹を飛ばす必要がある。


 祖父は数年前からそれらの依頼を受けて仕事をするようになった。

 鷹を飼うためには、エサ代やら小屋の整備やら、結構お金がかかる。

 それらを補う程度の謝礼をもらいつつ、仕事を請け負っていた。


 そして昴も時々その仕事に便乗して、アリスのエサ代を稼いでいるのだ。


「大谷農園か……」

 摩夜には、前回そこで鷹を飛ばした時に、忘れられない思い出があった。


次話タイトルは「ハクに似た人①」です

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