55、寝起きの派玖斗
「あの、本部長は?」
大谷農園の社長の家で村の有志が集まって説明会を開く手はずになっていた。
しかし、朝、祖父とハクの巣箱を持ってやってきた摩夜は、派玖斗の姿がないことに気付いて籐堂に尋ねた。
今日の集会を中心で進めていくだろう籐堂は、忙しく資料を読みこんでいた。
そしてチラリと摩夜を見ると、ちょうど良かったという顔で答えた。
「まだ寝てるんでしょう。ゆうべ遅くまでくだらない事を悩んでいたようですから」
「くだらない事?」
「いや、まあ、そういうわけだから部屋に行って起こしてきてもらえますか? 摩夜さんにも責任の一端はあるんですから」
「責任の一端?」
「とにかく先に始めておきますから、とっとと来るように言って下さい」
「わ、分かりました」
摩夜はお手伝いの女性に聞いて、渡り廊下でつながった別棟になっている部屋に向かった。
襖の前に立って「本部長」と呼びかけても返事がない。
もしかして体調でも悪くなっているのでは、と胸騒ぎがした。
「本部長。大丈夫ですか? 開けますよ」
恐る恐る襖を開けると、布団を被って横たわる派玖斗がいた。
……と言っても、背中を向けているらしく、布団から出た黒髪しか見えない。
「本部長……」
息をしていなかったらどうしようと思いつつ、そっと顔を覗きこむと、穏やかな寝息を立てていた。
摩夜はほっと安心すると共に、普段は決して見ることの出来ない派玖斗の姿にちょっとトキめいてしまった。
「かわいい……」
いつもきちんと整髪料で整えられている黒髪が寝ぐせで跳ねている。
それは水浴びをするハクが、遊びすぎて頭から水をかぶり後頭部の羽を乱れさせていた日を思い出させた。いつも隙一つ見せないハクのやんちゃぶりが可愛くてトキめいた。
摩夜が笑いながら羽を撫ぜて直してあげると、ハクは照れたように「ふんっ!」といつものオレ様に戻ってしまった。
その日のことを思い出して、思わず派玖斗の髪に手を伸ばした。
そして寝ぐせを直すようにそっと撫ぜてみる。
でも水で乱れていたハクの羽と違って、何度撫ぜても直らない。
ぴょんと元に戻ってしまう髪が、聞かん坊の派玖斗そのもので可笑しくなった。
そしていつも大それた肩書きを背負って戦っている派玖斗の無防備な姿が、孤高のハクに重なって、たまらなく愛おしい。
「ふふ……」
うっかり洩れた笑い声に、突然パチリと派玖斗が目を開いた。
そして自分の髪に他人の温もりがあるのに気付くと、バッと忍者のように飛び起きた。
「な! なにをしている!」
あまりに素早い動きで、摩夜は撫ぜたままの手の形で固まっていた。
そして派玖斗は借りた浴衣がはだけて、ほぼ下着姿だった。
「す、すみませんっ!」
摩夜はあわてて正座姿で後ろ向きになった。
「な、な、なんでここにいる! 今なにをしてたんだっ!」
派玖斗はあわてて浴衣を直しながら問い詰めた。
「あの、もう皆さん集まっておられます。籐堂さんが呼んでくるようにおっしゃったので」
「籐堂が?」
派玖斗は枕元のスマホで時間を確認した。
「くそっ! なんで起こさないんだよ、あのバカ」
「あの、たぶんもう少し寝かせてあげたかったのだと……」
「余計なお世話を……。しかもなんでよりによって摩夜を寄越すんだ」
その呟きが摩夜には自分を迷惑がっているように思えた。
「すみません……」
「いや、そういう意味じゃなくて。……というよりさっき何をしてたんだ?」
派玖斗の頭には、まだ触れられた感触が残っていた。
「あの寝ぐせを直そうと……」
摩夜は寝ぐせは直っただろうかと、そっと振り向いた。
しかし起き上がった重力にも逆らって、ぴょんと跳ねている。
思わずクスリと笑うと、派玖斗はかあっと真っ赤になって両手で髪を押さえている。
それもまた意外な姿でかわいい。
「か、顔を洗ってくる。すぐに行くと伝えてくれ」
派玖斗は憮然と言うと、来客室に備え付けられた洗面室に入っていった。
「あの、お布団を畳んでいきましょうか? それから少しだけでも朝食を食べられた方がいいです。ここにおむすびが置いてあるので、お茶を淹れていきましょうか?」
籐堂が朝受け取ったのか、三角おむすびが二つ乗った皿が丸い座卓にラップをかけて置いてあった。
「ああ、うん。そうだな」
派玖斗は洗面室の中から素直に応じた。
摩夜は派玖斗の布団を畳んで、籐堂の布団と一緒に隅にやると、座卓を部屋の真ん中に運んで電気ポットの電源を入れた。
お湯が沸くまで待っていると、派玖斗が寝ぐせをすっかり直して服まで着替えて出て来た。
いつものオレ様派玖斗になっていて、摩夜は少し残念な気持ちがした。
無防備な派玖斗をもう少し見ていたかったような気もする。
「すぐにお湯が沸きますので、待って下さい」
急須にお茶っ葉を入れて待つ。
怒ったような顔でどっかりと座布団に座ると、派玖斗は不機嫌に摩夜を見た。
最近は顔を合わせると、いっつも不機嫌な表情をしている。
寝顔は可愛いのに、と摩夜は湯飲みにコポコポとお湯を注いだ。
「お前、ゆうべは……」
「え?」
派玖斗はしばらく思案してから続けた。
「ゆうべは、あれだ。昴のヤツにちゃんと送ってもらったのか?」
「えっ!?」
唐突に聞かれた内容に、摩夜はみるみる真っ赤になった。
なぜそんな話を聞くのか?
まるでゆうべ昴に告白されたのを知ってるかのような派玖斗に動揺した。
「な、なんだ、その反応は? まさかあの野郎、お前に何かしたのかっ!?」
真っ赤になる摩夜に、派玖斗は声を荒げて乗り出してきた。
「い、いえ……怒るようなことでは……」
むしろゆうべは自分にも明るい未来が見えたような気がして幸せを感じた。
「怒るようなことじゃないなら何をしたんだ! 言ってみろ!!」
なぜ派玖斗がこんなに喧嘩ごしに怒鳴るのか分からない。
「ほ、本部長にお話するようなことは何も……」
誰でもホイホイ話す内容ではない。
「俺には話せないというのかっ!! 俺はお前の上司だぞっ!」
「いえ、仕事とは関係のないことですので」
「俺は部下のプライベートも把握したい上司なんだ!」
「わ、私は上司にプライベートは話したくありません」
「なんだと!」
いつも横暴でオレ様気質だとは思っていたが、今日の派玖斗はさらにオレ様だった。
ハクの気難しさを、まさに体現している。
「もしかして……好きだと言われたのか?」
「えっ!?」
見上げた顔がゆでだこのように真っ赤になってしまった。
その通りですと答えたようなものだった。
「まさか……受け入れるつもりなのか?」
「そ、そ、そんなこと、本部長に答える必要は……」
本人にもまだ返事してないというのに。
「ダメだっっ!!」
「え?」
仏頂面で断ずる派玖斗が駄々っ子みたいだった。
気に入らないことがあると、しばらく食事もしないハクと同じだった。
「な、なに言ってるんですか。そんなこと本部長に命令される筋合いはないです」
摩夜が幸せになろうとすると、必ずどこかから邪魔が入る。
味方だと思っていた派玖斗までその一人なのかと悲しかった。
「ダメだと言ったらダメだ!」
派玖斗は派玖斗で、ゆうべ籐堂に幼稚園児並みの愛情表現をなんとかしろと言われたことは忘れていた。それどころではなかった。ここで止めなければ、自分の入り込む余地などどこにもなくなってしまうのだ。
「ほ、本部長には関係ないじゃないですか」
「そうやってお前は俺に嘘や隠し事ばかり持つつもりかっ!!」
「!!」
摩夜は蒼白な顔で派玖斗を見つめた。
その嘘とは二年前のことを言っているのだと分かった。
そうやって嘘をつき続けている自分に腹を立てているのだと思った。
だから……。
「すみません……」
消え入るような声で呟いて立ち上がった。
こんな理不尽に怒りたくなるほど二年前の事を怒っているのだと思った。
お前など信じられないと言われたような気がする。
慌てて部屋を出ようとする摩夜の腕を、派玖斗は慌てて掴んだ。
「待て! 違う!!」
次話タイトルは「キス」です




