54、派玖斗の思い
夜遅くまで大谷農園の社長たちと飲んでいた派玖斗と藤堂は、用意された客用の和室で布団に寝転がっていた。
この部屋には二年前にも何度か泊めてもらったことがある。
大して用もないのに、鷹を見に来たと言っては宿屋代わりに泊めてもらっていた。
実際、仕事ではなく、ハクと……そして真昼に会いにきていたのだ。
いや、真昼だと思っていた摩夜に……。
「なあ、藤堂。摩夜はなんだって俺に真昼だなんて嘘をついたんだと思う?」
腕を枕にして天井を見つめながら、派玖斗は隣で背を向けて寝る体勢の藤堂に尋ねた。
「知りませんよ。だいたい、本当に二年前の鷹匠は摩夜さんなんですか?」
「たぶんそうだ。いや、間違いない」
最初からその疑いは持っていた。
だが、摩夜も真昼も二年前の鷹匠とあまりに別人で確信が持てなかった。
むしろ三つ子で、もう一人別の人間がいるのかと思ったこともある。
だが、ハトを手に乗せた摩夜を見た瞬間、間違いないと気付いた。
すぐに問い詰めたい気持ちでいっぱいだったが、ふと考えた。
なぜ嘘をついたのか。
嘘をつかなければならない、どんな事情があったのか。
「まあ普通は、女性が男に偽名を使うのは、これ以上付き纏われたくない時でしょうね」
藤堂は容赦なく、派玖斗が一番考えたくないことを言ってのけた。
「俺にもう会いたくなかったってことか?」
「まあ、大切に可愛がっていた鷹を殺処分にしようとした男ですからね」
「な! 殺処分にしろと言ったのはお前だろうが!」
「彼女にとったらどっちが言ったかなんて関係ないでしょう」
籐堂は悪ぶれもせずに答えた。
「く、くそっ! じゃあなんで秘書なんて引き受けたんだ」
「確か最初は辞退するつもりで来ましたよね」
「……そうだった……」
派玖斗は思い出してがっくりと落ち込んだ。
「なんですか、辛気臭い。派玖斗さんらしくないですよ! 聞きたいことがあるなら本人にハッキリ聞けばいいじゃないですか」
ガラにもなく落ち込む派玖斗に、藤堂は思わず振り向いて声を荒げた。
「それで問い詰めて秘書を辞めるって言ったらどうするんだ!」
「辞めるって言うものは仕方ないでしょう。別の秘書を探しましょう」
「お前はなんて冷たいヤツなんだ! 二ヶ月近く過ごした情みたいなものはないのか!」
「情があっても本人が辞めるって言うなら仕方ないでしょう」
「辞めるのは嫌だっっ!」
「……」
藤堂は天井を睨みつけたままの派玖斗に一瞬言葉を失ったがすぐに続けた。
「なに駄々っ子みたいなこと言ってんですか! いっつも私よりも女性に冷たかった人がどうしたんですか。付き合っても付き合っても『もう無理だ』の一言ですっぱり切り落としてきたあの冷血漢はどこに行ったんですか」
「追いかけてこられると逃げたくなる。これは男のサガみたいなもんだろう」
「逃げっぷりが尋常でなく悪魔でしたけどね」
「女達の追いかけっぷりも妖怪みたいだっただろうが。俺の肩書きを知った途端、初めて本当の恋を知りましたとか言って、あの手この手で繋がろうとする」
「まあ同情はしますけど、世の男性に言わせれば贅沢な悩みですね。いいじゃないですか。地位や財産が目当てでも誠実に生涯自分を愛してくれるなら」
「それは本当に愛なのか?」
「ははは。派玖斗さんが今、愛を語りましたか?」
藤堂は笑い飛ばした。
「俺だって愛ぐらい語ってもいいだろう」
「ふん! 本当の愛なんかを探してたら一生結婚なんて出来ませんよ。大事なのは家柄、そして跡継ぎを生んでくれる健康な体です」
「お前……最低な男だな」
「派玖斗さんに言われたくありません」
二人で話し合っても、さっぱり埒が明かなかった。
「なあ、あの昴って男、どう思う?」
「なにがですか!」
再び背中を向けて寝る体勢に入っていた藤堂は面倒そうに答えた。
「摩夜は、あいつが真昼のことをずっと好きだったって言ってたが、どう見ても摩夜を好いてるだろう。そう思わないか?」
「知りませんよ。彼が誰を好きでもどうでもいいです」
「いや、よくない。しかも摩夜を送って戻ってから様子が変じゃなかったか?」
「様子が変?」
「なんかウキウキしてるというか、勝ち誇ったような目で俺を見ていた」
「気のせいでしょう。考え過ぎですよ」
「いや、絶対なにかあったんだ。くそっ! やっぱり業務命令だとかなんとか言って俺の車で送らせれば良かった」
「……」
「寝てるのか?」
何も答えない藤堂の背に、派玖斗はもう一度問いかけた。
しかし藤堂は妙に深刻な顔で再び派玖斗の方に向き直った。
そしてもったいぶったように尋ねた。
「つかぬことをお聞きしますが……」
「なんだ? 言ってみろ」
「派玖斗さんはもしかして摩夜さんが好きなんですか?」
今さらな質問に、派玖斗は呆れたような顔で藤堂を見た。
「今頃気付いたのか? とっくに知ってると思ってたぞ」
「そういう事なら早く言って下さい。たんに秘書として気に入ってるだけかと思いましたよ。だいたい好きな女性に対する割りには最近扱いがひどくなかったですか? すぐに怒鳴ったり、くだらない用事ばかり言いつけて世話を焼かせたり、挙句のはてにセクハラまがいの横暴で似鳥と別れさせようとしたり」
「それが俺の愛情表現だ」
「幼稚園児並みですね」
派玖斗はさすがにムッとして無言になった。
しかしそうと分かれば、現実主義の藤堂にはやらねばならないことがある。
「真昼さんはどうするんですか?」
「どうすると言っても、もともと俺は二年前の鷹匠を真昼だと思って会ってたわけで、まだ付き合うとも結婚とも一言も言ってない」
「それが甘いんですよ。他の一般男性と違って美味しい肩書きを背負った派玖斗さんは、一度デートしただけでも女性は命懸けで成就させようとするのです。その辺の認識の違いで今までトラブルを起こしてたんじゃないですか」
他の男ならデートしてみて違うと思えば、そのまま連絡せずにうやむやにするというのもよくある話だが、派玖斗が同じことをすると次のデートはいつかと付き纏われることになる。
そして遊び人だの女癖が悪いだのと非難され続けてきた。
「だが俺は二年前に会ったのが真昼だと思い込まされてた被害者じゃないか」
「それでも世間的には双子の一方からもう一方に寝返ったろくでなしですね」
「なんでだ! 俺は最初からブレてないぞ。二年前に会った鷹匠をずっと好きだったんだ」
「今さら面倒なんで真昼さんを好きになることは出来ませんか? 同じ顔だし」
「怒るぞ、藤堂。人の恋愛をなんだと思ってる」
「もう気は変わらないんですか? 面倒事の処理は一回しかしたくないですよ。あとでやっぱり真昼さんの方がいいとか言い出さないで下さいよ」
「当たり前だ。俺の気持ちは二年前から変わってない」
「じゃあまずは二年前会ったのが本当に摩夜さんの方だか確かめるべきですね。そして真昼さんにきちんと誠意を持って話すことですね」
「反対しないのか?」
「さっきから言ってますように、同じ家柄、同じ顔、健康な体があるなら、私はどちらでも構いません。ただ評判その他を考え合わせると、真昼さんの方が問題はなかったのですが、派玖斗さんが摩夜さんがいいというなら仕方ありません。今回のプロジェクトにも貢献しましたし、結婚相手として悪くないでしょう」
「結婚するかどうかは分からんぞ」
「は? 結婚したくないんですか?」
「いや、俺はともかく、摩夜が受け入れてくれる気がまったくしない」
「……」
藤堂はしばらく考えてから、再び背を向けて布団をかぶった。
「真昼さんのことは考えておきますが、摩夜さんに関してはご自分でなんとかして下さい。まずは幼稚園児並みの愛情表現をなんとかすべきですね。恋愛マニュアル本でも買って勉強して下さい。では明日も早いので寝ます。もうくだらない事で起こさないで下さい」
藤堂に冷たく言われ、派玖斗は途方にくれた。
次話タイトルは「寝起きの派玖斗」です




