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50、辞表

 翌日、朝一番に現れた井手口部門長を本部長室に通してコーヒーを持っていくと、ソファテーブルに辞表が置かれていた。


 摩夜は、はっとしてコーヒーを持ったまま立ち尽くした。

 やはり似鳥の言ったように辞表という結論に至ったらしい。


 派玖斗は辞表を睨んだまま、井手口部門長に問いかけた。

「これが井手口さんの出した結論ですか?」


「はい。ですが残務処理が済むまでは働かせて頂きます。なるべく損害の少ないように、残せる事業は別の形で残すように最大限の努力をさせて頂きます。その代わり、営業部や推進部の部下達の経歴には傷をつけないで頂きたい」


「もっと骨のある人かと思ってました。買いかぶりでしたね」

 派玖斗が挑発するように言ったが、井手口は動じなかった。


「買いかぶりです。私ごときに出来ることなど、この辺りが限界です」


「……」

 派玖斗は黙ったまま、立ち尽くす摩夜を見上げた。


 摩夜はあわてて手に持ったままのコーヒーをそれぞれに出した。


「先日の本部長会議で、海老沢さんの秘書にこの摩夜が陥れられそうになりました」

 派玖斗の言葉に、摩夜はコーヒーを置いたまま動きを止めた。


 なにを言い出すのだろうと恐る恐る派玖斗を見る。


「井手口さんは、あの時何を思いましたか? 摩夜を気の毒に思って助けたんですか?」

「……」

 井手口は黙ったまま派玖斗の真意を探るように見つめていた。


「俺は猛烈に腹を立てました。だからこの部屋に戻ってから、こいつを怒鳴りました」

「……」


「自分を諦めるなと怒鳴りました。お前の真実をお前が叫ばなくて誰が叫ぶのだと言いました。そして今、あなたに言いたい。正しい者が声高に叫ばなくて、誰が真実に気付くのかと」


 派玖斗の言葉に、井手口はふっと微笑んだ。


「二年前……、私は叫びました。私は不正などしていない、賄賂をもらったりなどしていないと。ですが関連会社から私の口座に大金が振り込まれたのは事実なんです。間違えて振り込んだのだと後から釈明されて刑事事件にはなりませんでしたが、限りなく黒に近い汚点は、もうどうやっても拭えなかった。彼女とは問題の次元が違います。彼らはもっと周到に相手を陥れるのです。パズルにはめ込むように、とても計画的に」


「だがそれは本当のパズルではない。ならばどこかに必ず綻びがあるはずだ。そしてきっと正しいパズルが完成を待っているはずです」


「本部長はまだ若い。あなたの揺るがない正義感が好きですよ。だが私はもう疲れた。そろそろ自分を諦めさせて下さい」


「俺はこいつに言ったんだ。お前が自分を諦めたら、お前を信じている俺も傷つくのだと。だから絶対諦めるなと。俺は諦めない。あなたが自分を諦めても俺は諦めない!」


「本部長……」

 

 派玖斗の持つカリスマ性は不思議だ。

 駄々っ子の少年のように無茶な話でも、心揺さぶられるものがある。

 井手口の諦めきった瞳の中に、新たな火が灯るような揺らぎが見えた。


「あの……少し発言してもよろしいでしょうか……」

 摩夜は思案しながらも、夕べ思いついたことを言ってみることにした。


「なんだ?」


 派玖斗と井手口がお盆を持って立つ摩夜を見上げた。

 藤堂も、自分の秘書室からなにか紙を持って出て来た。


「私の祖父母の住む田舎は大谷農園などの高級フルーツ栽培でこれまで発展してきましたが、この二年は台風の被害などで経営難に陥っています。村は過疎が進み、なんとか村おこしが出来ないものかと連日話し合いをしているようです。そこにリゾートモデル施設を作ることは出来ませんか?」


 派玖斗は思いもかけない話に少し驚いた顔をしたが、すぐに目まぐるしく考えを巡らせた。

 自分のように秘書の仕事しかしてこなかった者の話など聞いてくれるか不安だったが、きちんと受け止めてくれるのが嬉しい。


「大谷農園か……。たしかにこの二年の出荷量不足で、フルーツ部門も赤字が続いているが」

「リゾート地になるような何かがありますか? たとえば有名観光地が近いとか」

 井手口もバカにするわけでもなく、問いかけた。


「フルーツ狩りは結構人気がありますけど……」


「うーん、それだけでリゾート地にするのはリスクが高すぎるな」

「フルーツ狩りは日帰りのイメージですね」


「じ、じゃあ温泉は?」


「温泉?」

「あんなところに温泉なんかあったか?」

 二人は首を傾げた。話に加わってきた藤堂も怪訝な顔をしている。


「あの、昴の……あ、いえ、私の知り合いの土地にある池で、鯉が全滅したんです」


「鯉が?」

「それが温泉と関係あるのか?」


「原因を調べてみると、池の底から温泉が吹き出してたみたいなんです」


「池の底から?」


 派玖斗と井手口は顔を見合わせた。


「あの……池が温まるほどではないみたいなんですけど。でもお金があれば掘りおこせるかもしれないって言ってたなと思って」


 考え込む派玖斗と井手口に、今度は藤堂が話しかけた。


「実は推進部の投書箱に面白いメールが届いていたんです。まさにタイムリーな企画なので報告してもよいでしょうか?」

 メールをプリントアウトした紙を手に持っていた。


「なんだ? 言ってみろ」


「先日リゾート事業部を作りたいと送ってきたフルーツ部門の亀梨という社員からです。もっとリアリティのある企画書を書くように返信したと思うのですが、まさに今話題に上がっている大谷農園のリゾート化を提案してきました」


「大谷農園の?」


「昨今のフルーツ狩りブームをリサーチして、集客数まで計算しています。大谷農園の高級フルーツは海外でも人気のブランド品ですから、もっとお洒落で高級感のあるフルーツ狩りが出来るリゾート施設を作ってみてはどうかと。これは面白いかもしれませんよ」


「そこに温泉も付随したなら、有りかもしれませんね」

 井手口は頷いてから、さらに続けた。

「それに我々の開発した蓄電池は容量が大きいことが最大の長所です。余った電力をビニールハウスの温熱にも使えるでしょう。むしろ伊豆の旅館より太陽光発電のメリットを強く推し出せるかもしれない」


「その蓄電池の技術は盗まれてないんだろうな」


「大丈夫です。それぞれの子会社が特許を持っていますし、伊豆の旅館は蓄電池の軽量化にこだわってました。我々の蓄電池は容量は大きくとも、場所もとるのが難点だと。だからおそらくあちらは太陽光パネルと一体型の今話題になってる軽量システムかと。ですが正直、蓄電容量と耐久年数とコストを考えたなら、我々のシステムの方が数段上です」


 派玖斗と井手口はにやりと微笑んだ。


「正しいパズルのピースがそろってきたようだな、井手口さん」

「まるで我々が正しいパズルの存在に気付くために、海老沢さんたちがまがいもののパズルを必死で作り上げてきたような気がしてきました」


 二人の瞳の中に共通の炎がメラメラと燃え上がった。


「この辞表は返すぞ。やめてる場合か! これから忙しくなる」

「はい。もう少し、本部長と夢を追いかけたくなりました」

 井手口は頷いて、机の上の辞表を握りつぶした。


「あの……」


「なんだ、摩夜。この事業が成功すれば、お前は一番の功労者だぞ。他になにか思いついたなら、全部言ってみろ!」


「鷹を……」

「鷹?」


「友人が鷹を飛ばせるバードランを作りたいと……。もしできるなら……カラスの被害も防げますし」

「!」


 派玖斗はとっておきのイタズラを思いついた少年のように目を輝かせた。


「よしっ! 作ろう! 今から大谷農園に行くぞ! すぐ準備しろ!」



次話タイトルは「オレ様派玖斗」です

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