46、中学時代②
話はついたようで、おばさんと直樹さんは来週迎えに来ると言って帰って行った。
母は案の定、二人が帰った後、悪口を言い募った。
「まるで私が二人も育てられないような言い方して! あの子はいっつもそう! 妹のくせに自分の方が偉いみたいに。でもスポーツも勉強も私の方がずっと出来たのよ。あの子はなんでも中途半端で、そのくせ友達だけはバカみたいに多くて」
夕食の席でも、ひたすら一人で悪口を言い続けていた。
「要領だけは良くて、テストなんかもいっつも私の前年のテストを参考にして楽に点をとってたわ。私が必死で勉強してとった点なのに。あの子はずるいのよ。いっつもずるいの」
私と真昼は、どうしていいか分からず、黙々とご飯を食べた。
「結婚だって……」
言いかけた母は、そこで言葉を途切れさせた。
そして、真っ直ぐ私を見ていた。
「あなたはどうなの? 羽奈子の家に行きたいの?」
それは裏切り者を断罪するような冷たい口調だった。
「あ、あの……、おばさん一人じゃ心配だって直樹さんも言ってるし、うちには真昼もいるから私だけなら行ってもいいかなって。その方がお母さんも助かるでしょ?」
私は上ずった声で答えた。
「そうね。あなたがいなければ私の心配事も少なくなるわ。真昼がいつか食べられるんじゃないかと心配しなくてすむ……」
「食べられる……?」
母の調子が悪くなると、時々出てくるフレーズだった。
「あなたはすでに一人食べているのだもの。次は真昼の番だものね。いつかそんな日がくるだろうと思ってたの。だから出て行けばいいわ。いない方がいいの……」
母は訳の分からないことを言いながらブツブツとしゃべり続けた。
日ごとに独り言が増えていき、突然大声を上げることもあった。
私と真昼は、その声にビクリとしては、不安を募らせていた。
でも、きっと私が出て行ってしまえば落ち着くだろう。そう思った。
そう思いたかった。
だから、真昼が部屋にきて泣きながら懇願しても耳をかさなかった。
「お願い摩夜、行かないで。私を一人にしないで」
何を今さら。
あなたはいつもお母さんに愛されてきたじゃないの。
いつもすべての愛を受け取ってきたじゃないの。
でも私は違うわ。
全部全部、幸せを独り占めしてきたんだからいいじゃないの。
私だって幸せになってもいいはずよ。
羽奈子おばさんと直樹さんがそう言ってるの。
私は悪役なんかじゃなかったのよ。
神様はちゃんと私にも幸せの道を用意してくれていたの。
私は母も真昼も捨てる覚悟だった。
そして翌日、羽奈子おばさんが迎えにくるという日の夜中……。
母は私を殺しに来たのだ。
私は母がつぶやいていた言葉を思いだしていた。
『いつかそんな日がくるだろうと思っていた』
それはまさにこの日のことだと思った。
神様は逃げ道など用意していなかったのだと悟った。
お前に幸せな道などあるわけがないだろう。
結末は最初から決まっているのだ。
運命がそう囁きかける。
だから……。
運命を受け入れる事にした。
私はベッドに起き上がって母がくだす審判を待った。
ゆっくりと母が近付いてくる。
手に持ったしめ縄が長く垂れてゆれている。
静かに見上げる私の首に母はゆっくりと縄を巻いた。
今から殺されるのだなと思うのに、不思議に心は落ち着いていた。
私はほっとしていたのだ。
ひどい悪役を用意されていたこの人生を、演じきれずに終われることに。
自分の役割を果たせずに終われることに。
生きていれば、きっともっと嫌な人間になっていったはずだ。
そしていつか見事な悪役を演じきり、断罪されて死んでいく。
そんな私を救うために、母は殺すのだ。
自分が代わりに悪役を演じて。
だから最後に呟いた。
「ありがとうお母さん……」
しかし母は、その言葉で我に返ったように目を見開いた。
そしてみるみる両目に涙をためて、その場にうずくまった。
「うう……うう……」
声を殺すように泣いている。
母は悪い人なんかじゃない。
生きることが下手なだけなんだ。
弱いくせに強がって。
助けて欲しいくせに誰にも縋れなくて。
傷ついているくせに弱音も吐けない。
なぜだろう。
いつも冷たい母が、なぜこんな時に私に弱さを見せるんだろう。
そしてこんな事を言うんだろう。
「あなたが……必要なのよ、摩夜……ごめんね……」
なぜ今頃になって、私が必要だなんて言うのだろう。
なぜこんな時に謝ったりするんだろう。
その言葉を切望していた時には決して言ってくれなかったのに。
こんな言葉がなければ、見捨てられたのに。
明日には直樹さんの腕に逃げ込んで「殺されそうになったの。もう二度と戻らない」と訴えることだって出来たのに。
世界で一番愛されたかった人にそんな事を言われたら、もうできないじゃない。
ああ、どうしてこんな時に。
どうでもいい事を思い出すの?
いつだったか食べた桃が瑞々しくて、思わず「美味しい……」と漏らしてしまった。
それを聞いていた母が、翌日また買っておいてくれたのがたまらなく嬉しかった。
ほんの気まぐれかもしれないあの日が、私に一年分の元気をくれた。
外で転んで膝小僧をすりむいて泣いていた私に、丁寧に消毒してガーゼをあててくれた。
淡々とした表情だったけれど、手当ては優しくて。
やっぱり大事にされてるんだと母を信じた。
いつもいつも冷たかったわけじゃない。
時々、気まぐれに愛のようなものを感じた。
ああ、どうしてこんな時に、そんなことばかり思い出すの?
私は翌日迎えに来た直樹さんに「やっぱり行かない」と答えた。
私はきっとこの時、自分を諦めたのだ。
母から逃げるのを諦めたのだ。
運命に逆らうことを諦めたのだ。
神が定めた悪役の道からは逃れられないのだと……諦めたのだ。
次話タイトルは「陰謀発覚」です




