34、似鳥との食事
「さっきから何を笑ってるんですか?」
藤堂は、書類を見ながら時々笑みを浮かべる派玖斗に不審な顔で尋ねた。
「はは。摩夜の議事録だ」
「推進部の会議ですか? 彼女はちゃんと補佐できたんですか?」
藤堂は摩夜の議事録を覗き込んだ。そして、目を見開く。
「なんですか、これは?」
議事録というよりは、落書きといった感じだ。
会議の並び順に名前と下手くそな似顔絵が書いてある。
「添木企画部長、推定年齢55才、鼻息荒い、唇ぶ厚い、陰険、偉そう。
神田マーケティング部長、推定年齢42才、女性、細目、生真面目そう」
派玖斗が似顔絵の横に走り書きしてある文字を読み上げた。
「一体なんの議事録ですか? こんなもんを書くために会議に出席したんですか」
藤堂は呆れかえった。
「いや、摩夜はレポート形式にするからと言ったんだが、俺がこのままがいいと言って奪い取ったんだ。似顔絵付きの方が絶対面白いだろ?」
「だからって、私の代わりに会議に出て、こんな小学生みたいな議事録を……」
「だが結構、的を射てるぞ。ほら、井手口エネルギー部門長のところを見てみろ」
『井手口エネルギー部門長、推定年齢50才、特に発言なし、でも周りから一目置かれてる感じ、影の実力者?』
と書かれていた。
「井手口部門長は、確かに部下からも信頼されてますね。元は営業部の第一線で海外も飛び回っていました。誰もがいずれ営業本部長に昇進するものと思っていた人物です」
「ああ。摩夜は初見で、その雰囲気を見抜いたのかもな。女性には出来る男を見抜く本能のようなものが備わってるのかもしれない」
「買いかぶり過ぎでしょう。ただの偶然ですよ」
「では、この走り書きはどうだ?」
派玖斗はメモ書きの下の余白を示した。
『前の方に座る年配の部門長達は、添木企画部長の発言に深く頷き賛同するものが多い。本部長に反抗的? でも末席に座る比較的若い部門長達の中には、本部長の発言を熱心に聞いている者もいる。派閥がある? 添木企画部長派と、もう一つは……井手口エネルギー部門長派?』
それは事実だった。
派玖斗と藤堂は、二年前の井手口部門長の左遷に近い異動から、水面下の動きを知っていたが、何も知らない摩夜が感覚的にそれに気付いた事は大きい。
雰囲気だけでそれを感じるほど、みんなの感情が煮詰まっているということだ。
『井手口派が本部長支持というわけでもない? 食い入るように本部長の話を聞いていたのは、若い世代が多い。本部長が鷹城グループを実質的に率いていく時代に会社に残っている世代? 45才ぐらいが、その分かれ目?』
確かにもうすぐ定年を迎える高齢層は、若い御曹司が未来どれほど権力を持とうとも、自分たちには関係ないと思っている。派玖斗に従う気持ちは薄い。
そんなことは藤堂も漠然と感じていたが、男というものはそういう細かな個人の思惑や感情を取り出して語ることは少ない。特に仕事の出来る男ほど、不確かな感情の行方よりも、確かな仕事の実績でねじ伏せようとする。
だが実際には、人とは不確かな感情に左右されて最後の決断をする方が多いのではないだろうか。
派玖斗は、そんな気がした。
「45才のラインというのは、今後の根回しで重要な意味を持つかもしれない。摩夜の分析から推測すると、45才以下で井手口派の者は、取り込みやすいということだ」
「若い層から徐々に井手口派を味方につけていくという事ですか」
「45才以下で人望の厚い者をリストアップしてみよう」
「分かりました」
◆
「お待たせ、摩夜ちゃん」
摩夜は金曜の夜、会社近くのこじゃれた居酒屋で似鳥と待ち合わせていた。
居酒屋などに一人で入ったこともなかった摩夜は、ウーロン茶だけを頼んで落ち着きなく似鳥を待っていた。
「あれ、飲んでないの? もしかしてお酒弱い?」
「いえ、あまり飲んだことがないので」
「えー、女子大だって友達と飲みにいくぐらいあるでしょ?」
「友達というか……ゼミの打ち上げぐらいなら……」
実際、それぐらいしか居酒屋に入ったことがない。
「もっと普通のレストランにすれば良かったかな。でもあんまり畏まった所だと摩夜ちゃんが警戒するかなと思ってさ。最初のデートで失敗したなあ」
似鳥はポリポリと頭を掻いた。
「いえ、ここで充分です。それにデートではありませんので」
摩夜は、くいっと黒縁メガネを引き上げた。
「あれ? なんでメガネかけてんの? デートの時は外そうよ」
「ですからデートではないと……」
「なんか壁を作られてるみたいでヤダなあ。メガネ外してくれないと何も話さないよ」
「……」
摩夜は仕方なくメガネを鞄にしまった。
先日、派玖斗の会議に列席してみて、自分が会社の何も知らなかった事に気付いた。
さっぱり役立たずで、せめて会議に列席する面々だけでも覚えようと、似顔絵付きで特徴をメモ書きしていたら、それごと派玖斗に取り上げられてしまった。
蒼白になった摩夜だったが、しばらくしてメモを返してきた派玖斗はとても役に立ったと言ってくれた。
本当かどうかは分からないが、自分が少しでも役に立てたなら嬉しい。
だから、もっと情報を集められたらと思った。
そして偶然会った似鳥に推進部の人間について聞いてみると、どうやら多くの情報を持っているらしいことが分かった。さすが似鳥だ。人事部だけはある。
もっと詳しい話を聞きたければ、夕ご飯を一緒にどうかと言われて、今ここにいるのだ。
「それで誰のことを知りたいの?」
似鳥は慣れた様子で、ビール二つとお薦めの料理をいくつか注文してから摩夜に尋ねた。
「えっと……じゃあ井手口部門長のことを……」
会議に出てみて、キーマンになるのは井手口部門長だと感じた。
「ふふ、さすが摩夜ちゃん。目の付けどころがいいね。井手口部門長は営業部にいた時から第一エネルギー部で世界を飛び回ってた人だよ。その世界では顔が広いし、一目置かれている」
「どうしてそれなのに推進部に異動になったんですか?」
「うーん、二年前のことだから詳しくは知らないけど、今の営業部の第一エネルギー部長との勢力争いに負けたって聞いてる」
「勢力争い?」
「うん。今の営業部の第一エネルギー部長は、柿本って人だけどさ、営業本部長の海老沢さんの腰巾着みたいな人でさ、その海老沢派と井手口派で部内が別れてたんだよな」
営業推進部の中でも派閥があると感じていたが、問題はもっと複雑みたいだ。
「海老沢さんは裏取引みたいなのが得意な人だからさ、公明正大な井手口さんは足を引っ張られたんだろうな。仕事は確実に井手口さんの方が出来ると思うんだけど」
「それで推進部に異動になったんですか?」
「うん。井手口派の主要メンバーも繊維やフルーツなんかの赤字部門に追いやられた」
確か縮小すると言ってた部門だ。
「第一エネルギー部にも、かつての井手口派の部下が残ってるけど、海老沢本部長の手前、柿本さんに大人しく従ってるみたいだ」
「でも推進部になっても、井手口部門長はエネルギー部門にしてもらえたんですね」
「結局、井手口さんの人脈がなければ仕事が前に進まないんだよ。二年間マーケティング部門に追いやられてたけど、この春からエネルギー部門に戻された。ただし営業推進部のね」
営業部のエネルギー部は第一から第三まであって、第一エネルギー部が一番花形の部署だった。推進部ではそれらすべてのデータを集める部署としてエネルギー部門という一つの部門が担っている。
そのため、推進部では企画部以外は、部門と呼ばれている。
「そうだったんですか……」
どうやら黒幕は海老沢営業本部長のようだ。
「それにここだけの話だけどね……」
似鳥は周りを窺うようにして、こっそり摩夜に耳打ちした。
「第一エネルギー部の新規プロジェクト。あれも本当は井手口さんが立ち上げたものらしい」
「新規プロジェクト?」
そういえば会議でも、エネルギー部門の新規事業に一番力を入れると言っていた。
「太陽光発電を使ったリゾート施設のモデル化プロジェクトだよ」
「モデル化?」
「そう。太陽光発電はコストの高さと蓄電池の性能と寿命が課題だったんだけどさ、井手口さんの長年の人脈で一長一短の二つの蓄電池メーカーを結びつけて低コストで耐用年数の長いハイブリッド蓄電池を開発したんだ。ただ個人の住宅用には、少しばかり蓄電池のサイズが大き過ぎてさ、今のところ産業用しか実用化されていない。でも広い敷地に設置可能な産業用としてなら、充分採算のとれるシステムだ」
「そ、そうなんですか……」
流暢に説明する似鳥の話は、摩夜にはいまいちピンとこない。
「これは大きいプロジェクトだよ。グループ会社の鷹城不動産とも連携してモデル化できるリゾート施設を作る計画が進んでいる。その運営がうまくいけば、日本全国、世界各国のリゾート開発者を招待してデータを示し、販売する。まさに太陽光発電のモデルハウスなんだ。成功すれば未曾有に収益が出る巨大プロジェクトだよ」
「その発案者が井手口部門長?」
「うん。発案したのも、蓄電池メーカーを結びつけたのも、モデルハウス化を提案したのも井手口さんだって言われてる」
「じゃあ……」
「海老沢営業本部長と柿本第一エネルギー部長が手柄を横取りしたんだよ」
「そんな、ひどい……」
営業部に手柄を横取りされると言ってたのは、まさにこの事だったんだ。
「まあ、商社なんて裏を覗けばそういうドロドロがつきもんなんだよ。井手口さんのように真っ直ぐな人には向いてない世界だよ。本来、営業推進部は営業部の人間が異動してくると、目障りに思うものだったんだけど、井手口さんだけはみんな同情的でさ。むしろアンチ営業部の連中なんかすっかり井手口派になりつつある」
井手口部門長というのは、人を惹きつけるカリスマ性がある人なのかもしれない。
「どう? 僕の情報は役に立つでしょ?」
似鳥は得意げに摩夜を見つめた。
「はい。とっても勉強になりました」
素直に認める。やっぱり似鳥はただ者ではない。
「じゃあ、仕事の話はここまでにして、今度は摩夜ちゃんの話を聞かせてよ」
「私の? 話すほどのことは何も……」
「摩夜ちゃんの好きなヤツってどんな人? そいつを忘れて僕を好きになる可能性はどれぐらいある?」
「な!」
こういう軽口さえなければ、出来る男なのに……。
本当はあまり詳しい事を話したくはなかったが、いろんな情報をくれる似鳥には嘘はつきたくなかった。
だから言える範囲で本当の事だけを告げる。
「か、彼には素敵な彼女が出来たみたいです。私がとてもかなわないような……」
「ふーん、じゃあ諦めるの?」
「諦めるというか……最初から勝手に想ってるだけのつもりだったので、私の気持ちは何も変わりません。これからもきっと……」
「なんでそいつにそこまでこだわるのさ。ダメなら両思いになれる相手を探せばいいじゃん。例えば僕とかさ」
「そ、そういう冗談はやめて下さい」
「なんで冗談だと思うかな。僕は摩夜ちゃんが思ってるほど軽い男じゃないよ。会社の中で二人きりの食事に誘ったのだって摩夜ちゃんが初めてだよ。好きでもない女と会社の外でまで会おうなんて思わない」
いつものへらへらした顔でなく、やけに真剣な顔で言われて、摩夜はどう答えていいか分からなくなった。
次話タイトルは「偶然のはちあわせ」です




