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31、変身

「お、おはようございます、鷹柳たかやなぎ本部長、藤堂とうどうさん」

 受付ブースでぴしりと頭をさげて挨拶する摩夜まやに、二人は目を丸くした。


「え? 真昼まひる? いや、真昼は受付にいたから摩夜か」

「へえ、メガネを外しただけでずいぶん印象が変わりましたね」


 摩夜は昨日買ったスーツを着て、黒縁メガネをはずしていた。

 買ったと言っても受付の真昼ほど華やかなスーツではない。

 濃紺の無難なパンツスーツだ。


 Aラインの可愛いスーツやワンピースを着る勇気はまだ無かったが、パンツスーツなら結構最新の型でも勇気を出せば着れるような気がした。

 それにいつも柔らかいフォルムのワンピースが多い真昼とは区別出来る。


 髪型も低い位置でひっつめていた後ろ髪を、少しだけ高い位置に上げ、前髪はななめに流してピンで留めるのはやめた。

 スーツを買ったお店で髪型についてもアドバイスをもらった。

 これなら時代遅れとは言われないだろうと太鼓判を押してもらった。


 化粧もナチュラルメイクではあるが、それなりに努力した。

 そして家を出る時はかけていたメガネも会社の手前で外した。


 朝は早めに出社する摩夜だったので、とりあえず人に気付かれる事なくここまで来た。

 社内でこの姿を見せるのは、二人が初めてだった。


(変じゃないだろうか。気持ち悪いから元に戻せと言われないだろうか)

 ドキドキして前で重ねた手が震えた。


「へえ、やっぱり双子なんだな。ここまでそっくりとは気付かなかった」

「ホントですね。馬子にも衣装といいますか、いや、驚いた」

 藤堂が後ろに周り込んでジロジロと上から下まで眺め回した。


「おい、お前のその視線はセクハラだぞ。一ヶ月の謹慎処分だ」

「な! 自分だってジロジロ見てるじゃないですか!」


「俺はお前のような下心はないからいいんだ」

「わ、私だって下心なんかありませんよ!」


 緊張する摩夜を置いて、いつもの言い合いが始まった。

 いつも通りの二人に、ほっと緊張が弛んだ。


「無理してないか、摩夜?」

 派玖斗は突然尋ねた。


「い、いえ。大丈夫です。へ、変じゃないですか?」

「よく似合っている。ありがとう」

 

 派玖斗は摩夜の肩をポンと叩いて部長室に入って行った。


「何お礼を言ってんですか? まるで自分のために彼女が変身したみたいに。自意識過剰過ぎですよ、派玖斗さん」

 藤堂も続いて部屋に入って行った。


 二人が立ち去った後で、摩夜は脱力するように受付の椅子に座り込んだ。


(よ、良かった。変じゃなかったんだ。しかもありがとうって……)


 派玖斗は自分のために摩夜がメガネを外したのだと気付いてくれた。

 それが、ささやかに嬉しかった。



「え? 摩夜ちゃん?」

 午後からの本部長会議で、今度は似鳥にとりに会った。


 似鳥は人事部の小金井こがねい本部長の補佐として会議に列席するらしい。


 大会議室の大きな円卓には、肘掛のついた重厚な椅子が並び、それぞれの斜め後ろにパイプ椅子が置いてある。この本部長会議では補佐を一人つける事が多かった。


 派玖斗はもちろん藤堂だが、人事本部長は秘書を差し置いて似鳥らしい。

 なにげに似鳥は重要どころに気に入られている。

 結構出世するタイプなのかもしれない。


 摩夜達、女性の第二秘書は資料の準備と飲み物などを用意して、電話番に戻る。

 その準備のため会議室に入ってきて見つかってしまった。


「うわ、見違えたよ。いいじゃん。全然いいよ」

 似鳥が大声で賞賛するものだから、他の本部長秘書もチラリと摩夜を見て目を丸くした。


「え? 嘘、あれって行方さん?」

「以前と全然違うじゃない」

「受付のあの子と双子っていうのは本当だったのね。驚いた」


 今年本部長秘書に配属になった同期は、一様に驚いていた。

 中でも営業本部長の秘書に指名されていた沢木さわき聖羅せいらが一番驚いた表情で摩夜を見ていた。


 ちょうど営業本部長の資料をセッティングしてから、すでに一人だけ席についていた派玖斗に話しかけている所だった。


 聖羅は「鷹柳本部長、今度食事に連れて行って下さい」と、顔を合わせるたびに言っているらしいと聞いていた。

 今もまさにそんな会話をしている雰囲気だった。


 派玖斗が摩夜を見たので、こちらに気付いたらしい。

 なんだか聖羅とは、ドラフト以降気まずかった。


 似鳥は少しだけ声を落として摩夜に尋ねた。

「なんで急にメガネを外す気になったの? あれほど嫌がってたのに。もしかして御曹司のため?」


「いえ、業務上必要だと思っただけです」

 摩夜はくいっとメガネを上げようとして、無かった事に気付いた。


「ははっ。中身は変わってないね」

 似鳥が可笑しそうに笑った。


「おい、摩夜。早く資料を持って来い」

 似鳥と話し込んでいる摩夜に派玖斗が怒鳴った。


「は、はいっ! すみません」

 慌てて派玖斗の元に駆け寄る摩夜と、一礼して立ち去る聖羅がすれ違う。

 すれ違いざまに、ひどく睨まれた気がする。

 きっと気のせいではないだろう。

 そんな二人の様子を似鳥が目で追っていた。


「おい、誰だあいつは?」

 資料を持って来た摩夜に、派玖斗が小声で尋ねた。

 派玖斗は、聖羅よりも似鳥の方が気になったようで、視線で摩夜に尋ねた。


「あ、人事部の同期です。似鳥くんです」

「似鳥?」


 怪しんで見る派玖斗に、似鳥は人懐っこい笑顔で会釈した。

 この物怖じしない心臓の強さが似鳥が気に入られるところなのだろう。


「そういえばエレベーターで一度挨拶されたか? あの時一緒にいたのは思い返してみれば摩夜だったな……」

 今頃思い出したらしい。


「は、はい。そうです」

「ふーん、似鳥か。覚えておこう」

 似鳥はこうやって人脈を広げていくのだ。

 人事部が適任の男だった。




 準備を終え会議室から出ると、聖羅と同期の秘書数人が廊下で待っていた。

 摩夜はぎょっとして足早に立ち去ろうとしたが、やはり呼び止められてしまった。


「どういうつもり? 行方ゆきがたさん」

「え?」


 聖羅が腕を組んで尋ねた。


「今さらお洒落して御曹司の気を引こうとか思ってるの?」

「見え見え過ぎて却って興ざめだと思うわよ」

「御曹司の秘書になったからって調子にのってるんじゃないの?」


 他の同期秘書も続いた。

 みんな胸糞が悪いという顔で摩夜を一瞥している。


「そういうつもりでは……」

 もちろんなかったのだが、派玖斗に似合ってると言われて嬉しい気持ちになったのは事実だった。完全に否定することは出来ないような気もした。


「なにを勘違いしてるのか知らないけど、あなたごときが御曹司を射止められるとでも思ってるの?」


「いくら服装や化粧を変えたところで、付け焼刃なのがバレバレなのよね」


「確かに受付の真昼さんと顔は似ているけど、洗練度合いが雲泥うんでいの差なのよ」


「だいたい御曹司は真昼さんと付き合ってるんでしょ? そっくりなのをアピールして真昼さんから御曹司を奪うつもり?」


 同期秘書は容赦がなかった。

 きっとドラフト会議から、摩夜に対する不満を募らせていたのだろう。

 悪意を持つ人がいるだろうとは思ったが、面と向かって言われるとさすがにショックだった。


「普段モテない人が調子に乗るとこれだから嫌なのよね」

「『摩夜』なんて名前で呼ばれていい気になってるんじゃないの?」

「御曹司があなたに親切にするのは真昼さんの姉妹だからでしょ?」

「少しは真昼さんの気持ちも考えてあげなさいよ」

「私だったらこんな姉妹がいたら絶対嫌だわ」



 覚悟していたとはいえ、改めて世界は真昼を中心に回っているのだと感じた。

 そして、そんな世界は摩夜にはいつも冷たかった。


 派玖斗のためになると思ってやったことだったが、本当にそうだろうかと不安になった。

 でも、もう後戻りはできない。


 結局なんの反論もできないままに、摩夜は逃げるように本部長室に戻るしかなかった。



 そして、その日のうちに摩夜の変身の噂は、尾ひれをつけて社内を駆け巡った。


 会議の資料を返しに営業推進部へ行くと、わざわざ摩夜を見に人だかりが出来るほどだった。


「ええっ? あれが鷹柳本部長の秘書?」

「すげえブスの地味女って聞いてたけど」

「地味ではあるが、美人だよな」

「てか受付の真昼ちゃんと双子ってデマじゃなかったんだ」


 聞こえてくるみんなの噂話に、摩夜は動揺を見せないようにするだけで精一杯だった。

 これまでの摩夜なら、すぐにくじけて逃げ出していた。


 真昼にそっくりだという噂はやがて、厳密に見比べられ、摩夜に敗者のレッテルを貼る。

 そんなのは分かっているが、今回ばかりはそんなレッテルを気にする訳にいかなかった。


 自分が毅然と風評を受け止めなければ、派玖斗が軽んじられる。

 逃げ出せば派玖斗に傷がつく。


 その思いだけが、摩夜を強くしていた。

 初めて、真昼だけが愛される世界に毅然と抗おうとしていた。


 それは派玖斗という存在に出会うことによって、初めて摩夜が持った不条理な世界への反抗心だった。


次話タイトルは「嘘の上塗り」です

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