3、記憶の始まり
「やめなさいっ! 摩夜!!」
一番、一番、昔の記憶。
それはお母さんに怒鳴られて、目の前の景色が回転した記憶。
おそらく叩かれて、椅子から落ちたのだ。
手が真っ赤だった。
ぐしゃぐしゃになったイチゴが目の前を転がる。
その赤と衝撃があまりに強烈で、忘れられない。
私はどうやら自分のイチゴだけじゃ物足らず、真昼のイチゴまで奪おうとして髪を引っ掴んでイチゴを略奪したらしい。
イチゴは大嫌いになった。
今でもイチゴだけは食べられない。
生まれた時から正常体重だった私に比べて、双子の真昼はずっと小さかった。
三ヶ月間保育器で育てられ、ようやく退院できたものの病弱だった。
しょっちゅう救急病院に駆け込み、入退院を繰り返していた。
母親の真理子は産後うつと真昼の看護で手一杯で、私は祖父母の元に預けられた。
半年後にようやく母の元に帰ってきたが、私はひどく自分勝手なヤツだったらしい。
ある時は、病弱な真昼が息も絶え絶えにようやく母乳を飲んで眠りにつくと、それを妨げるようにぎゃあぎゃあ泣いて起こしたらしい。
ある時は、あまり出ない母乳を真昼の分まで根こそぎ飲んで、一人満足げに眠る。
寝返りをうてるようになると、弱々しい真昼の上にかぶさり危うく窒息させるところだったそうだ。
はいはいが出来るようになると、まだ寝返りもうてない真昼の上を這い回り、真昼が苦しそうにしていると、きゃっきゃっと喜んでいたこともあったようだ。
「なにごとも最初の印象って大切ね……」
摩夜は自室のベッドに座り、黒縁のメガネをはずした。
ひっつめた髪をおろし、頭を振って、ほっと一息つく。
そして手帳の中に入れている写真を取り出した。
「ハク……」
愛しさが心の中に溢れる。
「あなただけがすべて……」
ぴりぴりしていた表情が柔らかくほころぶ。
「早く週末にならないかな……。待っててね、ハク」
今の摩夜を支えているのはハクだけだった。
人生がやり直せるならと人は言うけれど、摩夜の場合は胎児からやり直さねばならないらしい。
生まれる前から嫌なヤツなんて自分ぐらいだろうと摩夜は思った。
「よほど前世で悪い事しちゃったのかな……」
メガネをはずすと、つい弱気になって本当の自分が出てしまう。
「摩夜、起きてる?」
感傷的になる摩夜は、ドアの外の声に慌てて黒縁メガネをかけ直した。
「あ、うん。どうぞ」
ドアからひょっこり顔を出したのは、真昼だった。
髪を二つ結びにして、モコモコのパジャマを着ている。
双子の摩夜から見ても、すべてが愛くるしい姉だった。
「あのね、今日、会社でとても美味しいシュークリームを頂いたの。良かったら摩夜も食べないかなと思って」
真昼は毎日のように何かもらって帰ってくる。
受付嬢の真昼は人気者で、社内、社外を問わず、みんな手土産を渡していく。
真昼のキュートな笑顔に癒される男性で溢れかえっていた。
それは今に始まったことではない。
幼稚園から同じ女子校だったが、校門の前に他校の男子が行列を作るほどだった。
それを鼻にかけるでもなく、真面目で気さくで女子からも好かれていた。
「紅茶も淹れてきたのよ。あ、でも太っちゃうね、ごめんね摩夜」
てへっと舌を出す仕草も抱き締めたいほど可愛い。
「ありがとう」
無表情に受取り、丸い座卓に置いて黙々と食べる。
「美味しい?」
真昼はもう食べた後なのか、にこにことその様子を見つめて尋ねた。
「うん。美味しい」
「良かったあ。美味しいから絶対摩夜にも食べさせたいと思ってたの」
本当に真昼は生まれる前からいつも健気でいじらしくて優しい。
私とは正反対だった。
だって私は、こんなに愛らしい真昼に、時々黒い感情を持ってしまうのだもの。
妬んで、少しは嫌なところもないかしらと探してしまう。
でも、結局真昼のどこにも嫌な部分はなくて、自分がやっぱり嫌なヤツだったと再確認するだけだった。
私は生まれる前から嫌なヤツで、生まれた後も嫌なヤツだった。
神様はきっと私達双子を作る時、本来なら善と悪を半分づつ平等に分けるつもりが、間違えて真昼には善だけを、そして私には悪だけを与えてしまったのだ。
それとも、前世でよほど悪いことをしたのかもしれない。
だから私は悪人となってみんなに嫌われて生きなければならない。
でも……。
でもね、神様。
悪人になんてなりたくないの。
嫌われながら生きるのは辛いの。
だからどうか……。
多くを望みませんから……。
私にも少しだけ幸せのおすそ分けを下さい。
決して、決して、真昼が手にすべき幸せを奪ったりしないから……。
真昼が取りこぼした……。
ほんの少しの幸せを……。
私に分けて下さい。
次話タイトルは「御曹司、帰国」です