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27、摩夜のメガネ

 小六のあの日。

 真昼のフリをして母の前に出てしまったあの日。

 今思えば、あの日が大きなターニングポイントだった。


 それまではいつも真昼の陰のようでも、子供特有のポジティヴさで希望を持っていた。


 でも、あの日の母の拒絶が、摩夜を大きく負に傾け、唯一の自分の居場所だった祖父母の家でも足元をすくわれるようにすべてが真昼に流れていき、この人生に希望はないのだと悟った。


 抗って幸せを掴もうとするのを諦めた。


 ハクに出会うまでの数年を、どんな風に生きていたのかよく思い出せない。

 ただ一つ覚えているのは……。

母の心が落ち着いて、家に戻ることになった時、帰り道のお店でメガネを買った。


 なるべく存在感があって、他の印象が消えてしまうぐらいインパクトのあるメガネ。

 伊達メガネだから子供の小遣いでも買える値段だった。


 もう二度と、母が間違わないように。

 真昼と双子だなんて、誰も見比べないように。

 しばらくは寝る時も、お風呂に入る時もつけていた。


 メガネは摩夜にとって、外部から自分を守る防御壁だった。

 真昼を愛する者で溢れた世界に、私は違う者ですよと示すマークだ。


 一度だけ大学生の時メガネが壊れて、仕方なく無しで学校へ行ったことがある。

 

「真昼、おっはよ! あれドすっぴん? どうしちゃったの?」

「真昼、こっち、こっち。一緒にお昼食べよう」

「真昼~。今日の合コン一緒に来て。どうしても向こうが真昼も連れて来いって言うの」


 みんな、うっかり声をかけてきて、すぐに変だと気付く。


「え? 嘘、真昼じゃないの? 道理でダサい恰好してると思った」

「うわっ! なんか変だと思ったのよ。ごめん人違いだから向こうで食べてくれる?」

「ぎゃああ、パス、パス。いくら同じ顔でもバレるって」


 がっかりして、拒絶される。

 一瞬差し込んだ明るい光は、以前より深い闇と引き換えに去っていく。

 真昼と間違われなければ知らなくて良かった闇を、摩夜の心に塗りつけて……。


 もう二度と人前でメガネをはずさないと誓った。

 ハクに会うまでは……。


「ハク……。早く会いたいな」


 この週末、いつものようにハクに会いに行く。

 同じ日に真昼は派玖斗さんと美術館デートだった。


「ハクがいなければ辛かったのかもな……」

 

 人が聞けばおかしな話だが、摩夜にとってハクは恋人と同じ存在だ。

 派玖斗が真昼に徐々に惹かれていく姿をそばで見るのは辛いけれど、ハクがいてくれるから耐えられそうだった。

 もともと派玖斗に惹かれたのだって、ハクに似ているからだ。

 大本おおもとのハクが摩夜のそばにいてくれるなら、いつか心から祝福出来ると思った。



「お前は休日は何をしてるんだ?」

 派玖斗に朝のコーヒーを出していると、唐突に聞かれた。


「え? 休日ですか?」


「明日は聞いてると思うが、真昼と美術館に行く」

「はい。聞いてます」

「お前は美術館へ行ったりするのか?」

「い、いえ。私は……」

「やっぱり双子でも違うもんだな。お前は休日はどこに行くんだ?」

「私は……」


 摩夜は困ったようにメガネをくいっと上げた。


 休日はハクのところに。

 趣味は鷹と過ごす事。

 好きなものはハク。

 それがすべて。


 プライベートを聞かれても答えられる事など何もなかった。


「それもメガネの奥か……」

「え?」


「お前は分かりやすい仮面をかぶっているな。

 そのメガネがまさに仮面の役割をしてるんだろう?」

「それは……」


「なんで真昼とそんなに違うんだ? 不思議で仕方がない」

「私は……」


 あまりにストレートな質問に何を答えていいのか分からない。

 それにこんな質問をする人は、みんな摩夜を気の毒そうに見るのに、派玖斗にはそういう同情心を感じなかった。

 適当に答えてはいけない人のように思えた。


「まあ、いいさ。答えたくなったら教えて欲しいがな」


「あの……このメガネをかけていると恥ずかしいですか?」

「恥ずかしい?」

「はい。その……自分の秘書がこんなにダサいと……」


 声を振り絞るように尋ねる摩夜に答えたのは藤堂だった。


「ダサいんだとは分かってたんですね。こんなことを言うと、またセクハラと言われそうですが、あまりに時代遅れの地味なスーツに変なメガネをかけた秘書を連れていると、派玖斗さんの株まで落ちますね。こんな秘書しかつけられない人なのかと軽く見られます」


「おい、藤堂。今の発言は一週間の謹慎だぞ」


「でもこれから営業部に戦いを挑もうって時に、戦力を落とす人間がいるのは足手まといです」

「いいかげんにしろよ、藤堂。言い過ぎだ!」


「言い過ぎなもんですか。秘書たるものは上司の利益のためなら、自分に出来るすべての努力をすべきです。その程度の心得なくして本当の秘書とは言えません」

「お前の心がけには感謝しているが、誰もがお前と同じ熱意で仕事をしてると思うなよ」


「ああ、なるほど。じゃあ摩夜さんは私ほど仕事に熱意がないと理解していいんですね?」

 藤堂は摩夜に確認するように銀縁メガネを向けた。


「それは……」

「そういう事なら仕方がありません。今頃の新人は与えられた業務だけを型通りにこなし、それ以上の熱意を求めるのはプライベートの侵害だと思ってるようですしね。私とは仕事への思い入れが違うのでしょう」


 藤堂は冷たく言い切った。


 摩夜は本当は(違う!)と反論したかった。

 確かに仕事は収入を得るものだと割り切っていたが、派玖斗は別だ。

 派玖斗のためなら、ハクと同じぐらい自分のすべてを賭けられる。

 自分にできる事ならなんでもしたいと思っていた。


 苦悩の表情を浮かべる摩夜を見て、派玖斗が藤堂に反論した。

「じゃあお前は俺のためなら、その銀縁メガネを外してホストのごとく愛想を振り撒けるのか? それで営業部の女性陣を味方につけてくれたら仕事もしやすいぞ」


 藤堂は摩夜のマネをするように、くいっと銀縁メガネを引き上げた。

「全然構いませんよ。派玖斗さんが望むならやってみせましょう。ですが、私が銀縁メガネを外したら、派玖斗さんよりいい男になってしまいますがよろしいですか? これでも上司よりモテてはいけないと遠慮してたのですが?」


 藤堂はしゃあしゃあと言ってのけた。


「ふん! 嘘つけ。確かに見た目はいいかもしれないが、その理屈っぽくて辛辣な口調で全然女なんか寄ってこないだろうが」


「ですが派玖斗さんの仕事に本当に必要なのであれば全力で努力しますよ」


「バカめ。お前にそんなくだらない事を頼むか! 同じように摩夜にもちゃらちゃら着飾って色目を使ってもらいたい訳じゃない。俺は摩夜に秘書としての事務能力を望んでるんだ」


「好感の持てるファッションも秘書に必要なスキルの一つだと思いますけどね。では、せいぜいそれをカバーできるだけの事務能力を発揮して頂きましょう」


 藤堂は言うだけ言って、ぷいっと自分の部屋に戻って行った。

 残された摩夜は、申し訳ない気持ちで派玖斗に頭を下げた。


「す、すみません。私のせいでいつも藤堂さんと喧嘩になってしまって」

 思えば、初日からこの二人はいつも言い合いになっている。


「藤堂との喧嘩はいつものことだ。今に始まったことではない。気にしなくていい」


 派玖斗はそう言ってくれたけれど、摩夜は追い詰められるような気持ちになっていた。




次話タイトルは「昴の想い」です

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