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26、派玖斗の武器

「では明日は午前中に営業推進部の会議、午後からは営業部との合同会議を傍聴されるという事で資料をまとめておきました」

「おお。ありがとう」

 派玖斗は摩夜の差し出す束の資料を受け取った。

 案外順調に仕事をこなして、三日が過ぎていた。


「他に何かご用がなければ、私はこれで退社致しますがよろしいでしょうか?」

「ああ。ご苦労さん。この後、藤堂と一緒に接待の席があるからな。俺ももう出る」


「ではお見送りをして、戸締りをしましょうか?」

「いや、また戻ってくるからいい」

「また戻って……?」


 派玖斗の仕事は、本部長の中では窓際職と呼ばれていて、人任せにしようと思えばどこまでも人任せに出来るし、掘り込んでやろうと思えばどこまでも深く入り込める役職だった。


 前本部長は人任せにする典型で、三年の在任期間にこれといって何もしていない。

 定年までの三年間を最後のご褒美とばかり、交際接待に費やした日々だったらしい。

 引き継ぐ仕事などほとんどなかった。

 会議に出ても頷くばかりで何も発言せず、営業をサポートする部署でありながら、営業との合同会議に顔を出す事もなかった。

 ただ時々、懇意の部長と飲みに行って、会社の接待費でおとすだけだ。


 だから合同会議に派玖斗が参加すると言っただけで煙たがられた。

 部長同士でやりとりはあっても、本部長は蚊帳かやの外だった。


 営業部は鷹城物産では花形エリート部署で、営業本部長はまさにエリート中のエリート、一番仕事で結果を残した人間が就く役職だった。この先、経営企画室、常務、専務、もしかしたら社長の椅子に向かって行く人物だ。


 対して営業推進本部長は、この会社ではいつの間にか定年間際の閑職に成り下がってしまった。

 それは歴代の本部長達が前本部長と同じく無意味に過ごしたからだろう。


 次第に営業推進部自体が、営業の雑用をこなすだけの部署になってしまった。

 表立って口には出さないが、営業部の社員は営業推進部を下に見ている。

 データの下調べや細かな資料の作成など、面倒な事を全部押し付けてくる。

 そして営業推進部は、言われるままに頼まれた業務をこなすだけだった。


 更に言うと、営業本部長も営業推進本部長を小バカにしているふしがあった。

 どうせもうすぐ退職だし、こんな小難しいことを言っても分からないでしょ、という顔で適当にあしらわれる。


 だから営業本部長と営業推進本部長は代々、仲が悪かった。


 前任の本部長達も最初は意欲に燃えていた者もいたかもしれないが、周りのそういう態度にやがて自分の限界を知って、自ら窓際に寄っていってしまったのかもしれない。


 やはり生え抜きのエリートとして各地を飛び回ってきた営業本部長とは頭のキレが違う。

 どうあがいても口でも仕事でも負かされてしまうのだ。


 そんな状況で、今回の派玖斗の着任だった。


 定年間際の閑職とみくびられる事はないが、御曹司という立場にあぐらをかいた若造とは思われているだろう。だが間違いなくいずれは自分より立場が上になっていくだろう派玖斗には、今までのようにあしらう事もできず、目障りな存在に違いなかった。


「営業推進部を立て直すために、やることが山のようにある」


 派玖斗は連日遅くまで藤堂と残って、戦略を練っているらしい。


「私もなにかお手伝い致しましょうか?」

「いや、お前はこれで充分だ。資料をまとめてくれるだけでもずいぶん助かっている」


 第二秘書の摩夜ができる事は限られていた。

 何もできない自分が歯がゆかった。



「あれ、摩夜ちゃん。今帰り?」

 今日はエレベーターで似鳥に会ってしまった。

 本部長秘書に配属されてから初めて会った。


「いやあ、この間のドラフトには驚いたよね。まさか御曹司が摩夜ちゃんを指名するとは、人事部でも誰も想像してなかったよ」


「似鳥くんが高い評価をしたからですよ。評価で決めたと言ってました」


「え? そうなの? みんなは真昼ちゃんと双子だから選んだんだって言ってたけど」


「それも少しはあるのかもしれませんが……」

 人に聞かれた時は無難にこう答えている。


「で、どう? 御曹司にひどい扱いを受けてない?」

「いえ、本部長は強引なところはありますが、とても尊敬できる上司です」

「ふーん。そうなんだ。女グセの方は? セクハラされてない?」

「誰に聞いているのですか? 私がセクハラの被害を受けると?」

 摩夜はくいっと黒縁メガネを人差し指で上げながら似鳥を睨んだ。


「分かんないよ? タイプの違う双子両方と付き合ってみたいって酔狂な男だっている」

「他の双子ではそういう事もあるかもしれませんが、私達にはありえません」


「まあ、そっか。真昼ちゃんを好きな男は摩夜ちゃんを好きにならないか」

 あっさり納得されると、少しはむっとしたくなる。

 しかし似鳥は、不機嫌な摩夜に少し笑ってから続けて告げた。


「同じように、摩夜ちゃんを好きな男は真昼ちゃんは好きにならないからね」

「え?」


「摩夜ちゃんて伸びしろがたっぷりあって、マイフェアレディ女子なんだよね」

「マイフェアレディ女子? 何ですか、それは」

「自分の魅力に気付いてない女性を、輝く女性に育ててみたいってね。男なら誰でもそういう願望はあると思うよ」


 摩夜はくいっと黒縁メガネを引き上げた。

「それはつまり……」

「うん?」


「このままの私のことを好きではないでしょう? 輝く女性に育たなければ、がっかりして去って行くのでしょう?」


「あー、なるほど。それはあるかもしれない」

 正直な似鳥に、摩夜はため息を一つついた。


「結局、似鳥くんは真昼が好きなんですよ。真昼では手が届かないから、磨けば真昼のようになるかもしれない私に興味があるだけなんです」

「うわあ、はっきり言うねえ。確かに真昼ちゃんはもう御曹司の手前、誰も手出しできなくなちゃったもんね。前から高嶺の花だったけど、さらに株が上がっちゃったからね」

 あっさり認める似鳥が小憎たらしい。


「残念ながら、私が真昼のようになる事はありませんから」

 摩夜は言い捨てて、到着したエレベーターからさっさと出ていった。


「えー、なんでさあ。じゃあせめてその黒縁メガネだけでも取ろうよ。それだけでも随分印象変わると思うよ」

 似鳥はさっさと歩き出した摩夜を追いかけ、しつこく言い募る。


「これは外しません」


「どうしてだよ。摩夜ちゃんはそれでいいかもしれないけど、これから鷹柳本部長について外部のお偉いさんとの接触もあるんだろ? だっさい秘書を連れてたら、それだけで本部長まで見くびられるんだよ。それでもいいの?」


 似鳥の言葉に、摩夜は足を止めた。


「私のせいで本部長が……?」


「そりゃそうだよ。パーティーに付き添うことだってあるだろ? その時もその恰好で行くつもり?」


「パーティーには藤堂さんが……」


「そりゃあ藤堂さんがいれば充分だろうけど、やっぱり華やかな女性がいると場が和む。

 セクハラだ、男女平等だって言ってみたところで、最後はプラスアルファの部分で勝負することになるんだ。男の秘書は根回しを、女の秘書は華やかさを武器に。

 摩夜ちゃんは本部長の武器になるのを放棄するのか? それとも、それに代わる他の武器があるのか?」


「それに代わる武器……」


 そんなものはなにも無かった。



次話タイトルは「摩夜のメガネ」です

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