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25、派玖斗とのランチ

「おい、昼飯に行くぞ」

「え?」


 午前の業務を滞りなくこなして、コンビニで買ってきたパンを食べようとしていた摩夜は、突然派玖斗に命じられて呆然とした。


「隣のビルに美味しい中華の店がある」

「わ、私は電話番がありますのでここで……。どうぞ藤堂さんと一緒に行ってきて下さい」

「電話番なら藤堂にさせるからいい」

「え?」


 派玖斗の後ろには、仏頂面の藤堂が立っていた。明らかに不満そうだ。


「い、いえ。私が電話番をしますので……」

「こいつと昼飯を食うのは、もう飽きた。それに仕事がたまってるらしい」

「仕事なら派玖斗さんもたまってますからね」

 藤堂がむっとした声でつけ足した。


「わ、私と昼食を食べても何も面白いことなどありませんよ」

「面白いか面白くないかは俺が決めることだ」

「そ、それは命令ですか?」

「部下との親交を深めるための会食だ。これは業務命令だ」

「……」


 こういう所は二年前と少しも変わっていない。

 こうと決めたら何を言っても譲らない。

 摩夜は仕方なく立ち上がった。


「わ、分かりました」


 派玖斗の後ろについてエレベーターに乗ると、昼時のため途中の階で大勢の社員が乗り込んできた。そして一様に、派玖斗と摩夜を見て目を丸くしている。


 摩夜は派玖斗の連れだと思われないように、少しずつ距離を開いて俯いた。

 みんなの視線が派玖斗と摩夜を行ったり来たりしている。


 エレベーターを降りても注目が集まっていた。

「おいっ! なにをしている! 早く来い!」

「す、すみません」


 なるべく距離を開けて歩こうとしていたのに怒鳴られて、仕方なく小走りで派玖斗の後ろに駆け寄った。


「あれ? 摩夜?」

 そこで当然の事だが、受付の真昼に見つかってしまった。

「真昼……」


(だから嫌だったのに……)

 やっぱり断固として断れば良かったと後悔した。


「あ、鷹柳本部長、お疲れ様です」

 真昼は派玖斗に親しみを込めた笑顔で頭を下げた。


「ああ、真昼か」

「今から昼食ですか? 二人で? わあ、いいなあ、摩夜」

 真昼が羨ましそうに派玖斗と摩夜を交互に見た。


「あの……本部長、真昼と食べに行かれたらどうですか? 私はやっぱり電話番に……」


「何度も同じことを言わせるな。これは部下との会食だ。デートに誘ってる訳ではない」


「は、はい。すみません」


「……という訳で食事に行ってくる。一時間ほど留守にするからよろしくな」

「は、はい。行ってらっしゃいませ」


 真昼が少し淋しそうに見送っている。


 良かったのだろうかと摩夜は派玖斗の後ろ姿を見ながら悩んだ。

 だが考えてみれば、派玖斗にとっては摩夜は女の分類に入ってないのだろう。

 自分が勝手に意識しているだけで、派玖斗の言う通り、ただの部下との会食なのだ。


 ビルのガラスに映る派玖斗と摩夜は、どう見ても恋人同士などではなかった。

 颯爽とブランドのスーツを着こなすエリート商社マンと、地味なスーツに黒縁メガネをかけた冴えないOL。

 勘違いされるはずもなかった。


 そして……。

 隣のビルに中華の店などあっただろうかと考えている間に、エレベーターは最上階についた。

ドアが開いた瞬間からVIPな店だと分かる。


 庶民が入れない店だった。


「いらっしゃいませ、鷹柳様。お待ちしておりました」

 中国の民族衣装を着たスタッフが、両手を前で組んで中国風の挨拶で頭を下げた。


「コースで二名な」

「はい。畏まりました。奥の個室を用意しております」

 そして摩夜を見て首を傾げた。

「今日は藤堂様はご一緒ではなかったのですね」

「あいつは口うるさいから置いてきた」

「はは。左様でございましたか。持ち帰りの弁当も用意出来ますが」

「ああ、じゃあそれを一人分頼む。それで機嫌を直すだろう」


 すっかり常連で気心が知れているようだ。


 店の中は、中国の高そうな調度品が各所に置かれ、格子で区切られ、唐草模様のような壁紙が上品な色合いで張り巡らされている。


 摩夜はそもそもほとんど外食をしたことがなかった。

 友達とランチに行くこともなかったし、先日真昼と行ったお洒落なイタリアンでさえ久しぶりのことでドキドキした。

 ましてこんな高級店など、想像すらしたこともなかった。


「おい、キョロキョロするな! 貧乏くさい!」

 派玖斗に耳のそばで怒鳴られて「ひゃっ!」と飛び上がった。


 その様子が可笑しかったのか、派玖斗が「ぷっ」と吹き出した。


「お前は……、確か藤堂の話では鷹城製菓の重役の娘なんだろ? こういう店に来たこともないのか?」


「か、家族ではあまり外食は……」

 というか摩夜の記憶にある限りは、一度もない。


「そうなのか? 真昼はまあまあ慣れてる感じだったけどな」


「真昼は……」

 摩夜が祖父の家にいる時などは、母と二人で外食しているみたいだった。

 それに、歴代の彼氏とのデートでそれなりの場所には行ってるはずだ。

 だがもちろんそんな話をする訳にもいかない。


「友達付き合いも広いので……」


「ふーん」

 派玖斗は少し考えてから、案内の店員が開いたドアに入って行った。


 そこは大きな窓から外の風景がよく見える、こじんまりしてるが居心地のいい部屋だった。


「わあ……」

 天気のいい空が気持ちよく目に飛び込んでくる。

 この空をハクが飛んだら喜ぶだろうなと思った。


「鷹が飛びたくなるような空だな」

 そして隣に立つ派玖斗の呟きに、はっとした。


 同じことを思ったのだと思うと、心の中がほっこりと温まる気がする。

(ああ……。やっぱり好きだな……)


 決して顔には出せないけれど、しみじみとそう思った。


 やっぱりハクの化身ではないかと思う。

 時々人間の姿になって、気まぐれに摩夜を夢の世界に連れて行ってくれるのだ。


「ほら、座れ。もう料理が来るぞ」

 部屋の真ん中には小ぶりな円卓があって、中の円が回るようになっていた。


 そして座るとすぐに料理が運ばれてきた。

 一時間の昼休みに食べ終わるように心得ているようだった。


「いただきます」

 目の前には見た事もない食べ物が湯気をたてて並んでいる。

 色合い豊かな蒸し餃子、具のたっぷり入ったふかひれのスープ、大ぶりのエビチリ。


 摩夜は特に食いしん坊でもなく、食に対してさほど欲があるとは思ってなかったが、素直に美味しそうな匂いと見た目に心が躍った。


 そして一口頬張ると……。


「美味しい!」

 こんなに美味しい物は食べた事がなかった。

 母の料理は確かに美味しいけれど、やはりプロの作る物は違う。

 しかもこのVIPな店で出す料理は格別だ。


「うまいだろう。ここの料理は俺も藤堂も気に入ってるんだ」

「はいっ! こんな美味しい物、初めて食べました」


 美味しい食べ物というのは危険だ。

 いつの間にか素の笑顔がこぼれてしまっていた。


「ようやく笑ったな。どんなに取り繕っても美味しい物の前では仮面も剥がれる」

「仮面……?」


「まあ誰でも少しぐらいは仮面をつけて生きてるもんだ。別にはずせとは言わない。だが、上司として、仮面の奥の素の部分もある程度は知っておきたい。そして今確信した」


「確信?」


 派玖斗は摩夜と視線を合わせ、にやりと勝ち気に微笑んだ。


「いい笑顔だ。お前が気に入った」


「!」


 摩夜は派玖斗の一言に涙がこぼれそうになった。

 なぜ気に入ったのか、それはさっぱり分からないけれど、誰かにこんな風にストレートに気に入ったと言われた事なんてほとんどない。

 いつも選ばれない方で、残念な方だった。

 もちろん真昼と並んだなら、やはり自分は選ばれない方になるのだろうが、少なくとも仕事というジャンルでは選んでもらえた事が嬉しい。


「あ、ありがとうございます」


 溢れそうな涙をこらえて、摩夜は黙々と料理を頬張った。



次話タイトルは「派玖斗の武器」です

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