24、鷹柳本部長、第二秘書
「ほら、あの人よ」
「えっ! 嘘! なんで?」
「御曹司ってブス専?」
藤堂から大まかな仕事を教わって二時間ほど残業した。
仕事を終えエレベーターに乗っていると、後ろから囁く声が聞こえてきた。
今日はトイレに行っても、雑用で総務に行ってもジロジロと見られた。
たった一日……いや半日ですっかり有名人になってしまった。
昨日まで空気のように気配を消して淡々と仕事をこなせてきたのに、嘘のように気配を消せなくなってしまった。
社内のどこにいても、いろんなところから視線を感じる。
そして家に帰り着くと、待っていたように真昼が出迎えた。
「摩夜! ドラフト見てたわよ! 派玖斗さんの秘書なんて凄いじゃない!」
「うん。いつクビになるか分からないけど……」
「大丈夫よ。私が派玖斗さんに頼んでおいてあげるから」
「え?」
「秘書名簿を見て、私と双子だってバレちゃったみたいね。みんなに私と間違えて指名したんだろうって聞かれたわ」
「そ、それは……」
一応派玖斗からは違うと言われたが……。
「それが本当だったら嬉しいなあ。だって、私にそっくりな人を選びたいって思ってくれたってことでしょ? それって私を気に入ってくれてるってことよね? なんだか自信が湧いてきたわ。それに摩夜が私のおかげで指名されたんなら本当に良かったなって思うの。本当は誰にも指名されなかったら可哀想だなって心配してたのよ」
「それは……」
派玖斗に言われた通りに評価で決めたのだと言おうか迷った。
こんなに喜んでいる真昼に水を差すようで躊躇う。
しかし答える前に、母が珍しく出迎えに来た。
「摩夜、あなたは真昼のおかげで秘書に選ばれただけなんだから、勘違いして調子に乗らないでね。あなたっていつも自意識過剰で、結局周りに迷惑ばかりかけるんだから。くれぐれも失態を晒して、真昼の縁談に響くことがないようにしてよ」
どうやら摩夜に釘を刺すためにで出てきたらしい。
「う、うん。真昼には迷惑かけないようにする」
「もう、お母さんったら、縁談なんてまだ決まった訳でもないのに。それに摩夜なら大丈夫よ。ね? 摩夜」
「ど、どうかな……。仕事ができなかったらクビだとは言われたけど……」
「え? 嘘! あの優しい派玖斗さんがそんなこと言ったの?」
「優しい?」
「ええ。私にはとっても気を遣ってくれて優しかったわ」
「そうなんだ……」
またチリと心が痛んだ。
摩夜には二年前の鷹匠の時から辛口発言がほとんどだったけれど、真昼には優しいらしい。
やっぱり根本的に、真昼という女性に男性は優しいのだ。
自分とは扱いが違うのだと改めて実感した。
派玖斗にとって、真昼は恋人にして守ってあげたい相手。
そして摩夜は即戦力として仕事ができなければ、さっさと切り捨てる相手。
それが現実なのだ。
でもハクに似た派玖斗のそばで仕事ができるのは素直に嬉しかった。
平日は派玖斗で土日はハク。
まるで毎日ハクといるような気分だ。
摩夜は、とにかくクビにならないように頑張ろうと心に誓った。
◆
「おはようございます、鷹柳本部長。藤堂さん」
就業は九時からだったが、摩夜は八時に出社して朝の清掃を済ませた。
そして今日一日の派玖斗と藤堂のスケジュールを頭に叩き込んだ。
「おお、早いな。おはよう」
「おはよう、行方さん」
朝はいつも藤堂が運転手付きの車で迎えに行って出社するらしい。
二人そろって八時半に来た。
「今日は九時から来客の予定だったが……」
「はい。必要な資料はここにまとめています」
摩夜はクリアファイルにまとめた資料を差し出した。
「おお。気がきくな」
摩夜は派玖斗の脱ぐコートを受け取り、エチケットブラシで軽く埃をはらってハンガーかけに丁寧にかけた。
「何か飲まれますか? いつも朝は決まった飲み物がありますか?」
「ああ。コーヒーを頼む」
「ミルクと砂糖は?」
「ブラックでいい」
「藤堂さんは何か飲まれますか?」
「ああ、じゃあ私もコーヒー、砂糖たっぷりで」
注文を聞いて部屋を辞した摩夜を見送ってから、派玖斗と藤堂は顔を見合わせた。
「さすが一番評価の高い秘書だな。流れるように仕事に入れる」
「部屋もすでに清掃済みみたいですね。やっぱり女性秘書がいると助かります」
「ああ。これでお前の淹れたまずいコーヒーを飲まなくてすむ」
「まずいと思って飲んでたんですか! これでも努力して雑用をこなしてたのに」
「お前は仕事の面ではとびきり有能な秘書だが、家事や身の回りの世話には向かないな」
「まあ私も否定はしませんけどね」
「やっぱり評価の高い秘書を選んで良かったな」
「ええ。ただ、もう少し見た目が癒される感じだと、もっと良かったんですけどね」
摩夜は相変わらず地味なスーツにヒールの低いパンプス姿だった。
そしてひっつめた髪に、黒縁メガネも健在だった。
「失礼します」
摩夜がコーヒーをお盆に乗せて戻ってきた。
デスクにコーヒーカップを置く摩夜に派玖斗が呼びかけた。
「摩夜」
「えっ!!」
突然名前を呼ばれて、摩夜は危うくお盆の藤堂のコーヒーをこぼしそうになった。
「な、な、なぜいきなり名前を……」
「なぜって行方は二人いるだろう。妹の真昼と紛らわしくなる」
「だからって……。そ、それに真昼は私の姉です」
「姉? お前の方が妹なのか?」
「向こうが妹に見えますね。言われない?」
藤堂が摩夜のお盆からカップを受け取って続けた。
「そ、それはいつも間違われますけど、そもそも双子ですから数秒の差なんです」
「確かにそうだな」
「私が思うに、その地味な服装が姉に見えるんだと思うよ」
「もう少し、可愛げのある服はないのか?」
派玖斗はコーヒーを飲みながら尋ねた。
「そ、それは命令ですか? このスーツでは業務に支障があるという事ですか?」
摩夜はくいっと黒縁メガネを上げて聞き返した。
「命令ってほどじゃないが、できれば目の保養になる方が嬉しいだろ。真昼と双子なら、結構似合うと思うぞ」
「い、今の発言は社則の第八章、四十三条、懲戒の事由の項目にあります『セクハラ』に抵触するものと思われます。今後気を付けて頂きますようお願い致します」
「……」
派玖斗と藤堂は唖然と顔を見合わせた。
「お前が会社に訴えるってことか?」
「い、いえ。他でそういう発言をなさったら訴えられる事もあると忠告しております」
「君ねえ、派玖斗さんに失礼だろう。だいたい君ごときを相手に派玖斗さんがセクハラなんかすると思ったのか? 自惚れるな」
藤堂は、派玖斗の事になると言い過ぎる所がある。
それは二年前からあまり変わってないようだった。
「今の発言も非常に危険な言葉です。昨今の社会情勢では、万一ボイスレコーダーで録音されて、訴えられたら確実に敗訴です」
「な! 録音してたのか!?」
藤堂は青ざめた。
「いえ、例えばの話です。私は鷹柳本部長の秘書に配属されたからには、何があっても本部長の不利になる事は致しませんが、忠告はさせて頂きます」
「……」
しばし二人は言葉を失った。
しかし、すぐに派玖斗が笑い出した。
「はは……ははは……。なるほど。確かにお前の言う通りだな。面白い」
「派玖斗さん……。こんな暴言を許すんですか! たかが女性秘書の分際で御曹司に忠告なんて!」
「はは。今のもアウトだな、藤堂。お前は女性蔑視発言で三日間の謹慎だ」
「な!」
「……と言いたいところだが、今お前に休まれたら俺が困る。今回は大目に見てくれるか、摩夜」
「はい。先程も申しましたように私は本部長の困るような事は致しません」
「……だって。良かったな、藤堂」
「……」
藤堂は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。
「それで俺が摩夜と呼ぶのは許してくれるか? 行方が二人いては誤解が生じて業務に支障をきたすかもしれない」
派玖斗はわざと難しい顔で摩夜に尋ねた。
「そ、そういう事なら仕方ありません」
摩夜はくいっと黒縁メガネを上げて応じた。
「じゃあ、私も……」
言いかけた藤堂を派玖斗が遮った。
「お前は摩夜さんと呼べ。俺と同じ呼び方ではなんかむかつく」
「……」
藤堂は不満気に派玖斗を睨んだが「分かりました」と仕方なく応じた。
◇
「なにを嬉しそうな顔をしてるんですか!」
受付ブースに戻った摩夜を見送ってから、藤堂が派玖斗にいらいらと怒鳴った。
「いや、面白い女が来たもんだと思ってな。女が面白いと思ったのは久しぶりだ」
「趣味が悪過ぎでしょう。知ってますか? 昨日のドラフト会議の指名を見て、御曹司はブス専らしいって、すっかり社内中の噂になってますからね」
「ははは。ブス専か。いいんじゃないか? 男達の好感度はぐっと上がっただろう」
「笑い事じゃありませんよ。あの手の女性は気をつけて下さいよ。おそらく恋愛経験ゼロですからね。ああいうタイプが勘違いすると、一番厄介なんです。くれぐれも気があるような素振りはしないで下さい」
「はは。じいさん達が送り込んでくる女達と気をつける事は同じだな。まあ、ずいぶんタイプは違うがな」
一方の摩夜は、受付ブースに座って、飛び出しそうな心臓を必死でおさめていた。
(ビ、ビックリした。いきなり名前を呼ぶし、真昼のようなスーツを着ろと言うし)
秘書として、なにがあっても冷静に対処するつもりでいたけれど、やはり派玖斗を前にすると些細なことに動揺してしまう。
(なんとか真昼のようなスーツを着ることだけは回避できたけれど……)
動揺して、思いつくままに変なことを言ってしまった。
セクハラに関する項目は、秘書室に配属されると最初に教え込まれる。
摩夜には関係ないと思っていたが、女性秘書という仕事はセクハラに遭遇する機会が多い。
大事になる前に、普段から毅然と対処するように、言われていた。
それでも年に何件か、セクハラ問題は起きている。
たいがいは上司と部下が恋愛関係になって、手酷い別れ方をするとセクハラ問題として浮上してくる。社内の恋愛を禁止にしない限り、セクハラは無くならないだろう。
正直言うと、派玖斗のどんな言葉も摩夜にとってはセクハラではなかったが、都合の悪いことを命じられた時の、唯一の逃げ道だった。
(もしかして、もうクビになったりして……)
配属初日でクビなんて、笑い話にもならない。
とにかく秘書の業務だけは完璧にこなそうと、摩夜は気を引き締めた。
次話タイトルは「派玖斗とのランチ」です




