22、間違えた指名
「分かったわ!」
新人秘書の一人が叫んだ。
「ほら、受付の行方真昼と間違えたのよ」
「同じ苗字だし似たような名前だったから真昼さんだと思ったんだわ」
「それとも真昼さんから御曹司に頼んでもらったの?」
「そうよ。双子の姉が秘書室にいるって、ちゃっかり根回ししてたんでしょ」
ありえない指名の裏を探して、口々に言い募る。
そして誰よりショックを受けた聖羅が声を張り上げた。
「ずるいわ! そういう裏取引で指名をもらうなんて!」
自分が真っ先に裏取引で御曹司の指名を勝ち取ろうとしたことは忘れている。
まったく納得できない結果に、取り乱した様子で摩夜に詰め寄った。
「ねえ、どうなの? どうやって頼んだの?」
「い、いえ……私はなにも……。それに私は真昼の姉ではなくて妹です」
みんな見た目で摩夜を姉だと思っているが、生まれたのは後なのだ。
「そんなことどうでもいいわよ! それよりも正直に答えなさいよ。どんな裏の手を使って御曹司に取り入ったの?」
「い、いえ。本当になにも。たぶんみなさんがおっしゃるように、真昼と間違えてらっしゃるのではないかと……」
摩夜が答えると、みんな納得したように頷いて、こんどは室長の澤部に詰め寄った。
「室長! こういう場合はどうするんですか? 御曹司は帰国したばかりで、勘違いしたみたいです」
「秘書室の人間が受付嬢もやってると思ったんだわ」
「ちゃんと説明してやり直すべきです!」
澤部室長は恐ろしい剣幕で詰め寄る新人達に苦笑した。
「そうは言っても、もう発表したわけだし……。秘書室の手続きとしては何の問題もないわけで……勘違いだったとしてもこのまま配属するしか……」
「そんなのあんまりです!」
「一年間努力してきた結果が勘違いで済まされるなんて!」
なんの努力かと、澤部は浅井副室長と呆れたように目を合わせた。
努力なら、間違いなく摩夜が一番コツコツとしていた。
二人はむしろ、キャピキャピの子ではなく摩夜を選んだ御曹司が、勘違いだとしても清々しく思えた。
「ほら、鷹柳本部長の指名は競合しなかったみたいだし、行方さんに決まったわ。もう諦めなさい。これは決定事項なの」
スクリーンでは、派玖斗以外の本部長が二名ずつ競合していた。
一方の競合は聖羅だった。
これは御曹司に恩を売るためにわざと競合しようとしたらしく、戸惑った表情になっている。
会議室は、社内の混乱をよそに、競合している本部長の話し合いが始まっていた。
「納得できないわ。間違いに気付いて他の秘書を指名し直す可能性はないんですか?」
新人秘書達は、他の本部長指名そっちのけで、まだ僅かな望みにかけている。
「そりゃあ、配属になってから一緒に仕事をしてみて、どうにも相性が悪くて変更になることは無かった訳ではないけど……」
一週間で出戻ってくる秘書もいたし、そのままやめていく子も確かにいた。
だからドラフト会議の後の一週間は、僅かだが希望もある。
「じゃあ行方さん、御曹司にちゃんと言いなさいよ。真昼さんと間違ってたから辞退しますって!」
必死なのも分かるが、ずいぶん失礼な言い草だ。
澤部室長はさすがに少し腹が立ってきた。
「まだ勘違いと決まった訳ではないでしょ? 鷹柳本部長が分かってて選んだかもしれないじゃない。まずは、行方さん。私物を持って配属先に行きなさい」
澤部室長は、理不尽に取り囲まれる摩夜に命じた。
「あ、は、はい」
摩夜は、まだ訳が分からないまま、手ぶらで立ち去ろうとした。
「ち、ちょっと、行方さん。荷物は? それに挨拶は?」
「あ、でも……なにかの間違いの可能性が高いですし……」
すぐに秘書室に戻ってくるつもりだった。
「なあに? 段ボールも用意してなかったの?」
「は、はい。すみません。配属されると思ってなかったので……」
「もう。しょうがないわね。じゃあ、まとめておくから後で取りに来なさい」
「はい……」
摩夜は秘書室全員の視線が突き刺さるのを背中に感じながら、すごすごと部屋を後にした。
◆
営業推進本部長の部屋は、秘書室の上の階の役員フロアにあった。
各本部長室は、社長や専務、常務とはエレベーターを降りて反対側にずらりと並んでいる。
この階に配属されるのが秘書室のステイタスであり、憧れだった。
一番奥から人事本部や総務本部など管理部門の本部長室が並び、営業推進本部はエレベーターの一番手前だった。
下階の雑多なフロアと違い、エレベーターを降りた瞬間に荘厳な雰囲気が漂う。
人通りもなくて、閑散としている。
身一つで下り立った摩夜は、エレベーターの真ん前にある営業推進本部のドアの前で深呼吸をした。いまだに状況が飲み込めていない。
先日の真昼との会食で摩夜の話題が出たような話はしてなかった。
だったらやっぱり真昼と間違えて指名してしまったのか。
地味な焦げ茶のスーツに後ろでしばった髪に、ぴっちりピンで分けた前髪。
そして黒縁の可愛げのないメガネに、かかとの低いパンプス。
この姿で派玖斗と間近に接するのが怖かった。
うっかり二年前の鷹匠だと知れて、失望されるのが嫌だった。
じゃあせめてメガネだけでもはずして、髪を下ろして……。
いや、取り繕ってみた所で、真昼に似ているけれど、かなり残念な双子と思われるのは必至だ。それなら……。
なんとか二年前の鷹匠だとだけは気付かれないように、早々に立ち去ろう。
みんなが言ったように、なにかの間違いですと辞退しよう。
そう心に決めて摩夜はドアをノックした。
「失礼します。ドラフトで指名を受けました行方摩夜です」
すぐに「どうぞ」という声が聞こえた。
おずおずとドアを開けると、受付スペースに男性が立っていた。
(藤堂さんだ)
摩夜は自分だと気付かれまいと、黒縁メガネをくいっと上げて俯いた。
「え? 誰? 行方さんは?」
藤堂は地味ないでたちで登場した摩夜に怪訝な表情をしている。
「あ、あの……私が行方摩夜です……」
「え? でも行方真昼さんと双子だって聞いたけど……」
「い、一応双子ではありますが……」
「え? 二卵性かあ……。全然似てないねえ……」
声が明らかにがっかりしている。
摩夜はあえて否定しなかった。
「あの……やっぱり勘違いして指名なさったのですね。でしたら私は辞退しますので、すぐに別の方を指名して下さい。今ならまだドラフト会議の途中ですので間に合うかと……」
「そうは言ってもねえ、派玖斗さんはまだ会議の部屋にいるし、私が勝手に判断するのもね」
「で、でも早くしないと人気の人が決まってしまいますよ」
「ああ、それは別に心配しなくていいよ。誰でもいいみたいだし。私も秘書の雑務をきちんとこなしてくれるなら誰でもいいんだ」
「誰でも……」
分かってはいたが、やっぱり望まれていた訳ではなかった。
少しだけチリと心が痛んだが、その程度のショックには慣れている。
「あ、いや……。とにかく座って、私物を……って、手ぶらだよね」
「すぐに戻るつもりだったので……」
「とにかく派玖斗さんが戻るまでは勝手に決められないから。その辺に座って待っててくれ」
「あ、では、本部長が戻られるまで少し部屋を片付けましょうか?」
本部長室の手前の受付スペースだったが、結構散らかっていた。
電話も斜めになってるし、来客には見えないようになっている受付台の下には書類がなだれを起しそうに積み重なっている。
パーテーションで仕切った給湯コーナーには、洗ってないカップが幾つも置かれたままで、コーヒーメーカーの周りは粉が飛び散っていた。
この調子では奥の本部長室もあまり片付いてるとは思えない。
「ああ、じゃあ頼もうか。海外から戻って二週間だが、誰か臨時の秘書を派遣してもらおうって言っても嫌がるし、私もこういう雑用は苦手でね。困ってたんだ」
派玖斗と藤堂の二人が男所帯で困ってた様子を想像すると、摩夜は可笑しくなった。
「分かりました。そちらの本部長室も入ってよければ掃除しますよ」
「ああ。じゃあ頼む」
「では、藤堂さんはご自分の仕事をしていて下さって構いません」
「あれ? 私は君に自己紹介したっけ?」
しまった。うっかり名前を言ってしまった。
「あ、いえ。鷹柳本部長の第一秘書の方ですよね。噂で聞いてたので」
あわてて適当に誤魔化したが、とりあえず信じてくれたようだ。
「ふーん。じゃあお言葉に甘えて少し中で仕事させてもらうよ」
受付スペースからもう一つドアを入ると、ビル群の見える全面の窓から外の光りが差し込み、ソファセットと執務机のある広い本部長室が広がっている。その一角はガラス張りのパーテーションで区切られていて、第一秘書の藤堂の仕事スペースになっていた。
そこも、来て二週間とは思えないほど散らかっている。
片付けるのが苦手なのもあるだろうが、仕事量が半端ないのだろうと思う。
摩夜の申し出をいいことに、さっさと自分のスペースに行って鬼のように仕事を始めた。
摩夜は本部長室の外のフロア共同の給湯室で手早く汚れたカップを洗い、棚やテーブルを拭いて、書類を整理した。床は清掃会社が入ってくれてるようだが、床以外の拭き掃除まではしてくれない。
細かな所に埃が積もっていたが、秘書室でも新人の仕事としてやっていたので手際はいい。
あっという間に見違えるように部屋が片付いた。
最後に本部長の執務机を整頓する。
派玖斗がいつも過ごしている机だと思うと、ワクワクした。
きっとこれが最後だろうが、派玖斗の持つボールペン、派玖斗のとる電話、パソコン、メモ用紙、書類。すべてが愛おしい。
(こんな字を書くんだ)
意外に几帳面で右上がりの字だ。その字さえも愛おしかった。
(勘違いとはいえ、派玖斗さんの机を片付ける事ができて良かった)
最初で最後の掃除を心を込めてやろうと思った。
(どうか仕事がうまく行きますように。幸せになって下さい)
派玖斗が幸せならハクも幸せになれるような気がした。
だから心から願う。
僅かに繋がったこの一瞬に、心から願う。
「楽しそうに掃除するねえ」
一つ一つ丁寧に拭いて整理していく摩夜を、いつの間にか藤堂が見ていた。
「あ、はい。掃除は好きなので……」
特に好きな人の身の回りを片付けるのは女性なら誰でも好きだろう。
ただ……夢の時間はもうすぐ終わる。
「やっぱり女性秘書がいると違うもんだな。助かったよ」
「秘書室の女性なら、誰でもこれぐらい出来ますよ」
摩夜が答えたと同時に、部屋のドアがガチャリと開いた。
そしてそこには派玖斗が立っていた。
次話タイトルは「繋がる運命」です




