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21、秘書室ドラフト会議

 一時にドラフト会議が始まってから、秘書室にはぴりぴりとした緊張がはしっていた。

 秘書室の壁に取り付けられた大型スクリーンには、会議室の様子が映し出されている。


 今回のドラフト会議に参加する役員は全部で二十二人。

 対して秘書室の新人は二十五人。

 更に去年以前に指名されなかった残留秘書などを入れると、五十名以上になる。

 急に辞める者や、新たな役員の追加を想定して、常に過剰な人員を用意している。

 必然的に今年も指名されず残留する者が出てくる。


 だが、秘書室に残っても新たな新人の育成や、急な退職者の補充、役員会議の準備など、仕事はいろいろある。不要な人材という訳ではない。

 ただ、秘書室に残っていると『選ばれなかった者』という目で見られるため、たいがいは二、三年選ばれないといたたまれなくなって辞めていく。


 だからみんな、この日に賭けている。


「ではドラフト会議を始めます。まずは男性秘書の指名から」

 進行役の人事部次長が告げると、スクリーンに三名の役員の名が映った。


「今回三名の役員が指名したのは、こちらになります」

 すぐにスクリーンの映像が切り替わって、それぞれの役員の枠に男性秘書の名前が出る。


 これにはみんな納得顔で肯く。

 男性秘書の指名は、ほぼ形式だけのものだ。

 採用時点ですでに行き先を決めて入社している。

 将来を約束されたエリート職のため、欠員もほとんど出ない。


 ただ過酷な研修についていけず途中で辞めてしまう者もいて、他の役員への配置替えはあるが、それもすべてこのドラフト会議の前に根回しが済んでいる。


「横山恵一。谷田常務の第一秘書に配属が決まりました。

 一年間お世話になりました」

 名前が挙げられた者は、すでにまとめていた荷物一式の段ボールを抱えてみんなに挨拶して出て行く。みんなは拍手で見送る。そういう慣わしのようだった。


 摩夜は自分のデスクで拍手を贈りながら通常業務をこなしていた。

 みんなドラフト会議で頭が一杯で、仕事に手付かずだが、今日がドラフトなんて知らない相手先からはメールも来れば電話もかかる。


 それらは長年残留している古参の秘書と、摩夜が請け負っていた。


 男性三人が挨拶をして、それぞれの配属先に出て行くと、いよいよ女性秘書の指名が始まる。

 ここからが本当の意味でのドラフト会議の始まりだ。


 スクリーンまで出して見守るのは秘書室だけだが、他の部署でも関心が高く、全社に配信されている映像を自分のパソコンで見守っている者も多い。


 営業部などは実況中継を交えてみんなで見ている部署もあるらしい。

 中にはこっそり誰が誰を指名するだろうと賭けている人達もいる。


「今年はやっぱり凛香ちゃんが一番指名だろうな」

「いや聖羅ちゃんも来ると思うな」


 他人事だと思って好き勝手に予測して楽しんでいる。

 恒例のお祭りみたいなものだった。


 今年の目玉は、御曹司の指名と、それより先の専務二名による競合だ。

 同じ地位の役員は、一斉に指名者の名前を出す事になっている。

 今年は専務二名の秘書に欠員が出て、いきなり競合になったのだ。

 いつもは、競合するのはもっと下の本部長クラスだった。


 ただ重なった場合は、くじ引きになることはほとんどない。

 たいてい、同じ地位ではあっても影の序列ができていて、話し合いで譲ることになる。

 中にはわざと同じ秘書を指名してから、譲って恩を売る者もいるらしい。

 いろいろドロドロとした慣例ができていた。


「では河村専務、田口専務の入力が終わったようなので発表致します」


 次長が告げると、秘書室が静寂に包まれる。

 新人達は祈るように手を組んで見守っていた。


 そして、ぱっと映像が出る。


「わあああ!!」

 というため息のような歓声のような声が各地から洩れる。

 摩夜も電話を受けながら、チラリとスクリーンを見た。


 『磯山凛香』  『磯山凛香』 


 二人共、同じ名前が並んでいた。


「わああ、やっぱり凛香ちゃんだったね」

「でも二人ともなんて凄いわ」


 凛香に周りから賞賛の声がかけられた。

 確か御曹司の指名を望んでいたはずだったが、やはり一番に指名されたのは名誉なことだ。

 上気した表情で、嬉しそうにみんなの祝福を受けている。

 ドラフトで一位指名された秘書は、箔がつく。

 社内でも憧れの存在として注目されるのだ。

 拮抗すると思われていた沢木聖羅だけが、複雑な表情で見つめている。


 やがて話し合いの末、河村専務に決定した。


「磯山凛香。河村専務の第二秘書に配属が決まりました。 

 一年間お世話になりました」


 凛香は、勝ち誇ったように美貌をほころばせ、みんなに挨拶をした。

 そして、すでに私物を詰めておいた段ボールを持って部屋を出て行く。


 続いて田口専務の単独指名がアナウンスと共に画面にあらわれる。


 『白川祥子』


 秘書室がざわめいた。


「え? 聖羅ちゃんじゃなかったの?」

「白川さんって有名国立大卒で美人だけど、あんまり男性の人気はなかったのにね」

「何でもでき過ぎて疲れる感じだものね。営業に配置換えの希望を出してるって聞いたけど」


 白川は男性秘書のような第一線の仕事を期待して秘書室に決めたらしいが、フタを開けてみると女性秘書は旧態依然とした雑用がメインで失望したらしい。


 秘書室でも他の同期とつるむこともなく、一人で小難しい経営戦略の本などを読んでいた。摩夜とはタイプの少し違うアウトローだった。


 仕事はできるが、秘書室の仕事を真面目にやってるかと言うと、お茶くみやコピーとりなどバカバカしいと、不機嫌そうに、だが完璧に短時間でこなすタイプだ。


 今回のドラフト会議でも、摩夜とは別の意味で指名を期待されていなかった。

 だが選ばれてみると、秘書としての能力は高く、みんな納得の指名だ。

 むしろぶりっ子の聖羅ではなく、才媛の白川を選んだ田口専務の株が上がった気がする。


「白川祥子。田口専務の第二秘書に配属が決まりました。

 一年間お世話になりました」


 特に嬉しそうでもなく挨拶をする白川から、みんなの視線は聖羅に移動する。

 二番手では必ず選ばれるだろうと思われていた聖羅がショックを受けているのではないかと思ったが、意外に平気な顔をしている。

 むしろ少し嬉しそうな顔をしている聖羅に、みんな首を傾げていた。


 そしていよいよ本部長クラスの指名になった。

 今年の本部長指名は五名だ。

 その中に営業推進本部の派玖斗の名前があった。


 実際には今年一番注目されている指名だった。

 本部長指名の次は、本社以外の支店長指名になるため転勤を余儀なくされる。

 中には海外勤務になる秘書も二名いた。


 秘書室の新人達にとっても、ここが正念場だった。

 本部長指名の五名に残らなければ本社に残れない。

 あるいは残るとしたら『指名されなかった秘書』として残留するしかない。


 スクリーンには五名の本部長が順番に映されていた。

 真っ先に映っていたのが派玖斗だった。

 派玖斗以外は、五十才前後の年配者ばかりだ。

 今回のドラフト会議では派玖斗が断トツに若い。

 地方の支店長に三十代の人間も何人かいたが、それよりも若い。

 若さだけのせいではないだろうが、別格にカッコよく見えた。

 摩夜もしばし仕事の手を止めて、派玖斗を眺めていた。


 役職としては、この会社では営業推進本部は営業本部の補佐的役割であり、他の本部長より一段下だ。だが、グループ御曹司となったら、陰の地位としては一番高くなる。

 誰かと同じ指名者になれば、派玖斗最優先だと思われた。


「ああ、お願い鷹柳本部長」

「絶対、御曹司がいいわ」

「どうか選んでくれますように」


 みんな祈るように画面を見つめている。

 今回ばかりは、専務指名よりも御曹司に指名された者が一番羨ましがられる。

 今年のドラフト会議の一番の勝者だと言っても過言ではない。


 この瞬間が一番注目されていて、配信視聴率を調べたなら100パーセントをたたき出すほど社内全員がドラフト会議のゆくえを見守っていた。


「ねえ、ほら聖羅ちゃんのあの自信満々の顔を見て」

 ふいに摩夜の隣の席で古参の秘書が二人でコソコソ話しているのが聞こえてくる。


「鷹柳本部長に偶然を装って近付いて、名前を売り込んだらしいわ」

「御曹司の指名が入るらしいって噂があるから、専務二人も聖羅ちゃんを遠慮したのかもしれないわね」

「さすがに御曹司が相手だと、専務といえども遠慮するわよね」

「御曹司が聖羅ちゃんを指名しないように裏から手を回したって噂もあるのよ」

「道理で名前が出なくても動じないと思ったわ」


 期待を込めてスクリーンを見つめる聖羅に、摩夜は(そういうことなのか)と納得した。

 今年一番の勝者の瞬間を想像して、目を輝かせる聖羅が少し羨ましくもあった。

 自分には無関係なこととは思いながらも、派玖斗が誰かを選ぶことに心がざわつかないわけではない。やはりチクリと心が痛んだ。


 そしていよいよ運命の時が来た。


「では五名の本部長指名が出揃ったようですので……発表します」

 もったいつけるように次長が間を置いてから、ぱっと画面が切り替わる。


 そして本部長の名前の枠に、それぞれの指名者の名前が書き込まれていた。


 誰もの視線が真っ直ぐ鷹柳営業推進本部長の枠に注がれる。


 そして……。


 その名を見て、社内全員が一瞬固まった。


「え? 誰?」

「こんな子いたっけ?」

「誰か予想してたヤツいるか?」


 ざわざわと社内全体がざわめいている。

 そして、なにより秘書室が一番ざわついていた。


「え? そんな……」

「まさか。どうして?」


 摩夜も呆然とスクリーンを見つめていた。


(なぜ……?)


 信じられないことに、そこには『行方摩夜』の名前が映し出されていた。


 誰よりも一番驚いているのは、摩夜本人だった。




次話タイトルは「間違えた指名」です

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