18、成り代わる真昼
「えっ? 摩夜、御曹司と知り合いだったの?」
摩夜は、真昼の勤務が終わるのを待ち伏せして、二人で夕食を食べる事にした。
そんなことは初めてだったので、真昼が家に連絡すると母も驚いたようだった。
「何かあったの? 摩夜に無理なことを言われてない?」
スマホから母の声が洩れ聞こえていた。
「何言ってるの? 大丈夫よ。たまにはいいでしょ? だから二人とも夕ご飯いらないから」
真昼がお母さんを宥めて、二人でイタリアンの店で食事をとることになった。
赤レンガ造りの可愛いお店だった。
こんな店で二人で食事をするのなんて初めてだった。
そして摩夜は真昼に事の顛末を白状した。
できれば自分の心の中だけの綺麗な思い出にしておきたかったが、派玖斗と真昼が出会ってしまったのなら、正直に話すしかないと覚悟を決めた。
しかも明日の夕食の約束をしているなら、今日中に話すしかなかった。
「え? でもどうして私の名前を言ったの?」
真昼はフォークに巻いたパスタを口に運びながら、可愛らしく首を傾げた。
「ごめんなさい。ハクに会う時はちょっと真昼っぽく化粧をしてるから、思わずそう言ってしまったの」
「ハクって鷹の名前よね? えっと去年大学卒業の挨拶におじいちゃんに会いに行った時見せてもらった……」
真昼は一度だけハクに会っていた。
「確か私とは目も合わせてくれなかったよね」
真昼は苦笑した。
そうなのだ。
ハクだけは、この世界で唯一、真昼よりも摩夜を選んでくれた。
だから漠然と派玖斗も自分を選んでくれるような気がしていた。
もちろん、そんな場面になるはずもないが、だからこそ、そう信じていたかった。
でもやっぱり現実は違った。
自分が選ばれない事に随分慣れたつもりだったが、派玖斗だけはショックだった。
そして真昼を選んだ人が次にどういう行動をとるのかは分かっている。
ちょうど彼氏と別れたばかりの真昼は、派玖斗と付き合うことになるだろう。
真昼は別れても、すぐに更に素敵な相手に出会える運命らしい。
「じゃあ、明日一緒に行って本当は摩夜だったって言う?」
真昼はどうってことない顔で微笑んだ。
一緒に行って真実を話したところで、結果は変わらない。
並んだ二人を見て、派玖斗は迷いなく真昼を選ぶのだ。
そんなの考えなくても分かっている。
だったら……。
だったら、綺麗な思い出のまま、摩夜は派玖斗の記憶からフェードアウトしたかった。
「ううん。そのことで頼みを聞いて欲しかったの、真昼」
「頼み?」
「うん。二年前に会ったのは真昼だったってことにして欲しいの」
「え? どうして? それでいいの? 摩夜」
真昼は困ったように眉を下げて心配そうに摩夜を見た。
全身で『摩夜を心配してますよオーラ』を放っている。
もっと腹黒い女性なら、摩夜の申し出をいいことにさっさと成り代わるだろう。
それをしないところが、また真昼らしくて誠実なのだ。
かなわない。
「うん、その方がいいの。私だって知られたくないの」
「どうして? 御曹司のあの様子なら、摩夜に好意を持ってると思うよ」
「それは私じゃなくて……」
きっと真昼っぽく見せていたから……。
(私の真昼っぽいところだけを気に入ってくれたんだ)
だったら本物の真昼の方がもっといいに決まっている。
「それに私、鷹とか怖くて手に乗せたりできないけど……、そんな嘘つけるかな?」
「あ、じゃあ、働くようになってから、もう鷹匠はやめたって言えばいいわ」
そうすれば、もう祖父の田舎に会いに来ることもないだろう。
「うーん、摩夜がそこまで言うならやってみるけど、途中でバレたらごめんね」
「うん。最初だけ誤魔化せたらそれでいいから」
(途中でバレても、その頃にはすっかり真昼が好きになって、私の事はどうでもよくなってるだろうから……)
「わあ、御曹司に嘘つくなんてドキドキしちゃうなあ」
「ごめんね、真昼。変なこと頼んで」
「ううん。摩夜が珍しく私を頼りにしてくれたんだもの。頑張るわ」
ガッツポーズを決める真昼は、ますます健気で可愛い。
本当に優しい子なんだなあ……と摩夜は複雑な思いで見つめた。
◆
翌日会社に行くと、御曹司と真昼の話題がすっかり広まっていた。
なにせ受付前で大声で夕食に誘ったのだから、噂にならない方がおかしい。
秘書室でもその話題でもちきりだった。
「ちょっと聞いた? ほら受付のなんかブリブリしてる子いるじゃない」
「ああ、行方さんでしょ? 御曹司に食事に誘われたって」
「あーあ、やっぱり御曹司もぶりっ子が好きなのよね」
「男って結局ああいうタイプにいくのよ。あー、むかつく!」
好感度の高い真昼も、さすがに御曹司をおとしたとあっては反感を買うらしい。
半分は自分のせいだと思うと、摩夜は真昼に申し訳なくなった。
「あの子って相当なたらしだと思うわよ」
「そうそう。来客にも愛想振り撒いて、上目遣いでさ」
「彼氏だっているって話じゃない。なによ二股?」
あまりの言われように摩夜は腹が立った。
受付嬢なんだから来客に愛想を振り撒くのは当たり前だ。
「真昼は彼氏と別れました。今はフリーです」
思わず同期の輪の中に向かって余計なことを言ってしまった。
珍しく話しかけてきた摩夜に、同期の秘書達は唖然としてから嫌な笑いをした。
「ああ、そういえばあなたって行方さんと姉妹だっけ?」
「姉妹どころか双子でしょ?」
「うっそ! どこが双子? 全然似てないじゃない」
「やだぁ、かわいそう。いっつも比べられてたら悲しくならない?」
「私だったら絶望して女捨てるわ」
「だから女捨ててるじゃない。あ、言っちゃった」
「あはは、聖羅ちゃん。そこまで言っちゃダメでしょ」
同期達は真昼へのイラだちを摩夜で晴らして、くすくすと笑った。
「ひっどい言い草だな、みんな。あんまり摩夜ちゃんをいじめるなよ」
摩夜の背中ごしに低い声が擁護してくれた。
「似鳥くん……」
「ほらほら、ドラフト査定には性格評価もあるんだよ」
似鳥は手帳を取り出して何かをメモし始めた。
すると、慌てて同期達が居住まいを正した。
「いやだ、似鳥くん、今のはちょっとした冗談よ」
「うそ。変なこと書き込まないでよ」
人事部の似鳥には、みんな気を遣っている。
悪い評価を下されたら終わりだ。
「うっそ。もう査定は終わってるから、書き込んだり出来ないよ」
似鳥が言うと、みんなほっとしたように肩の力を抜いた。
「もう。ヒヤヒヤさせないでよ」
「もうすぐドラフト会議なんだから」
「一年間の努力の結果が出るんだから」
「努力の結果ねえ」
似鳥は肩をすくめてから「摩夜ちゃん、ちょっと」と廊下に呼び出した。
「あの……庇ってくれてありがとう」
摩夜はみんなの目が届かなくなると、頭を下げてお礼を言った。
なんだかんだと、似鳥はいつも摩夜をかばってくれる。
だからといって別に下心があったり、好意を持ってる訳ではない。
似鳥には多数に呑まれない公正な所があった。
彼が人事部の所属になったのは適切な判断だと摩夜は改めて思った。
「別に思った事を言っただけだよ。俺は女性陣のああいうドロドロした関係性がどうも理解できない。美しければ吐く言葉がどんなに汚くても正しいと思ってるのかな。多数に紛れたら、どんな暴言も許されると思うのかなあ。俺の目から見ると、とても醜いよ」
「似鳥くん……」
吐き捨てるように言う似鳥は、いつものちゃんぽらんな雰囲気を払拭していた。
「ああ、ごめん。つい本音が出ちゃったな」
意外な顔で見ている摩夜に気付くと、似鳥はすぐにいつもの脳天気な笑顔に戻った。
どうやらいつもの軽い物言いは、表向きの顔らしい。
思ったよりも奥の深い人だったのだと、摩夜はまじまじと似鳥を見上げた。
「やだなあ、そんなに見つめないでよ、摩夜ちゃん。照れるじゃんか」
「あ、すみません」
くいっと黒縁メガネを上げる摩夜に、似鳥はくすっと微笑んだ。
「摩夜ちゃんはホント、人に流されないよね。美を競おうとしたら、きっとあの中の誰にも負けないはずなのに無関心だし、はぶかれるのを怖がって話を合わせようともしないし」
「別に強い正義感を持ってる訳ではないです。ただみんなの輪に入れなかったから、今さら合わせる必要もないだけです。それに美を競うなんて……そんな自信がないだけです」
ずっとずっと真昼と比べられ続けて、諦めただけだ。
「たいがいの男は女性には性格の良さよりも容姿を求めるんだろうけどさ、俺は女性に仁義やら心の清らかさを求めてしまう。だから付き合っても長続きしないんだろうな。途中から女性の腹黒さが見えて気持ちが萎えてしまう」
「そんな女性ばかりじゃないと思いますよ。少なくとも真昼は……顔も綺麗だけど、心も綺麗です。ずっと一緒に育った私が言うのだから間違いないです」
「真昼ちゃん? だったら双子の摩夜ちゃんも同じでしょ?」
「双子がなんでも同じだと思ったら大間違いです。私と真昼は正反対ですから」
「まあ確かに正反対だとは思うけど……。俺の評価は摩夜ちゃんと違うけどね」
「似鳥くんの評価?」
「うん。それより昨日の事だけど、真昼ちゃんって御曹司と知り合いだったの?」
似鳥は急に答え辛い話題に切り替えてきた。
昨日はあの後、トイレに寄って行くと言って逃げてしまったが、やっぱり気になってたのだ。
「そ、それは……そうみたいです……」
「どこで? いつ?」
「に、二年前に祖父の住む田舎で会ったみたいです。大谷農園のある……」
似鳥に問い詰められ、摩夜はつい素直に答えてしまった。
「農園? ああ、そういえば海外に行く前は営業部にいたんだっけ」
「営業部?」
「商社の扱う商品なんて世の中すべてと言ってもいいけどね。高級フルーツの仕入れ先を視察してたんだろうな。日本の高級フルーツは海外のセレブにも人気が高いんだ。うちの会社は結構いい販売ルートを持ってるんだよ」
そういえば大谷農園の社長はずいぶん派玖斗に気を遣っていた。
大手商社と取引があるとは聞いていたが、それが自分の会社だとは知らなかった。
摩夜は秘書室の目先の仕事にしか興味がなかった。
「ふーん……、それで今日の夜の食事に誘ったと……」
似鳥は探偵のような顔付きで、何かを思い巡らせている。
「つまり真昼ちゃんに好意を持ってたってこと?」
「ど、どうなんでしょう……」
「だって二年も前に会った子の名前をいつまでも覚えてる? それに国内でも海外でも浮名を流してきた御曹司だよ。女性との出会いなんて五万とあったはずなのにどうでもいい子の名前なんて覚えてるわけないよ」
そうなんだろうか。
だったら、それだけはちょっと嬉しい。
「それに、わざわざ去年一時帰国の時に会いにまで行ったって言ってたよね。好きでもない相手にそこまでする?」
そういえば、その話がよく分からない。
とりあえず会ってはないし、祖父に名刺を渡したというなら毎週行ってるけど、そんな話は聞いた事もない。ただ、わざわざ会いに行った理由は分かる。
きっとハクに会いに行ったのだ。
ハクの事を忘れずにいてくれたことも、ちょっと嬉しかった。
少し嬉しそうにする摩夜に、似鳥が更に推理を巡らせていた。
「摩夜ちゃん、俺になにか隠してない?」
「えっ? か、か、隠してなんか……」
口ごもる摩夜に、似鳥はまだ疑いの目をしていた。
「まあいいや。とりあえず、御曹司の好みは真昼ちゃんみたいな子ってことだよね。なんか思ったより普通でつまんないけどね。エレベーターでの会話からすると、もっと器の大きい面白い男かと思ったけど……」
似鳥の人物評価がいまいちよく分からなかった。
次話タイトルは「真昼と派玖斗の会食」です。