14、派玖斗との再会
「あれが……御曹司……?」
摩夜は秘書室の入り口に立つ男性を見つめたまま、隣の似鳥に尋ねた。
「うん。俺も写真でしか見たことないけど、間違いない」
摩夜は高そうなスーツをピシッと着こなした、無愛想な表情の男に呆然とした。
なぜなら……。
「え? 名前は? だってうちの会社の社長の名前って、確か……」
木下とか山下とかありきたりな名前だったような気がする。
「ああ、この会社は鷹城グループの主要三社の一つだけど、社長は創業家と血のつながりがある人じゃないよ。御曹司は社長のさらに上の、グループ総裁の孫だから苗字は違うよ」
「じ、じゃあ御曹司の名前って……」
「鷹柳派玖斗さんだよ。鷹城グループだけど、鷹城じゃないからね」
「鷹柳派玖斗……」
摩夜は呟いたまま絶句した。
まさか派玖斗さんがこの会社で、しかも御曹司だなんて知るはずもなかった。
摩夜にとって、会社はあくまで収入を得る場所だった。
就職先の条件は給料がいい事だけだ。
父はこの鷹城グループの傘下の会社の役員をしていた。
だから両親からは、父のコネがある鷹城グループの会社にしろとだけ言われた。
それに逆らう理由もないし、仕事内容などはどうでも良かった。
収入を得て、毎週末ハクに会いに行くだけのお金が稼げれば充分だった。
それらの条件を一番満たしているのが、この鷹城物産の秘書室だった。
秘書室は他の部署より初任給が高かったのだ。
だから決めた。
ただ、一つだけ誤算があった。
同じ鷹城グループの銀行に内定をとっていた真昼と違う会社に入れると思っていたのだが、摩夜が鷹城物産に内定が決まった後で真昼も同じ会社がいいと言い出した。
そして父のコネでギリギリ受付嬢の内定をとったのだ。
真昼のいない世界に行きたいと思っているのに、運命は一向に離れさせてくれない。
「今度の秘書室ドラフト会議に参加するので、秘書名簿が欲しいのですが」
派玖斗さんの隣に立つ銀縁メガネの男性が入り口で尋ねている。
(藤堂さんだ!)
それは紛れもなく、派玖斗さんの教育係だと言っていた藤堂さんだった。
「は、はい! あの……お名前は……」
入り口の案内当番になっていた古参の秘書が問いかける。
喫茶コーナーでたむろしていた同期の秘書達も聞き耳を立てている。
「鷹柳派玖斗だ」
派玖斗さんが名乗った途端、あちこちで悲鳴のような歓声のような声が聞こえた。
「え? あれが御曹司?」
「うそっ! 素敵!」
「想像してたより、全然いいじゃない」
みんなすっかり舞い上がっている。
そして、ぶりっ子の聖羅ちゃんを筆頭に、だっと派玖斗さんに駆け寄った。
「あの、良かったら休んで行かれませんか?」
「美味しいコーヒーを淹れますよ」
「肩を揉みましょうか? 得意なんです」
一斉に総攻撃が始まった。
あっという間に美人秘書達に取り囲まれている。
「……」
派玖斗さんは腕を組んで不機嫌そうに美女達を睨みつけていた。
『なんだお前らは! 鬱陶しい! 散れ!』
摩夜にはその表情だけで、思っていることが分かるような気がした。
そして以前の派玖斗さんなら、実際に言葉に出して言ってたと思うのだが、口を開きかけたところで思い直したのか、「結構だ」の一言で片付けてしまった。
そう。
以前と少し雰囲気が変わったような気がする。
前はもっとギラギラして、思いのままに行動する少年のようなところがあったが……。
さすがに二年の月日は、彼をいくぶん成長させたようだった。
少し大人びて、少し思慮深くなって、少し物静かになった気がする。
でも……。
(やっぱり派玖斗さんは派玖斗さんだ)
二年の歳月を重ねたハクとやっぱり似ている。
(元気そうで良かった)
とにかく、もう会えないと思っていた派玖斗の元気な姿が見られたことが嬉しかった。
派玖斗は、腕を組んだまま周りを囲む美女達を通り越して、秘書室全体を見回していた。
その視線が摩夜のあたりに来たので、慌ててパソコンの陰に隠れたが、よく考えてみれば派玖斗と会う時は黒縁メガネもかけず、真昼のイメージで軽く化粧なんかしていた。
万が一にも遠目に摩夜だと気付くはずがなかった。
「さすがの摩夜ちゃんもイケメン御曹司には興味あるんだ」
パソコンの陰から派玖斗を見つめる摩夜に、似鳥がにやにやと尋ねた。
「いえ、そういうわけでは……」
この似鳥に、派玖斗がさっきの片思いの相手だなどと知れたらとても面倒臭いことになる。
摩夜は気を引き締めて、黒縁メガネをくいっと上げた。
「はあ~、やっぱ摩夜ちゃんも金持ちとイケメンは好きだよね。たとえ遊び人でも、不誠実な男でも」
「そんな人なんですか?」
「もう。さっき教えてあげたじゃんか。聞いてなかったの?」
まさか派玖斗だと思ってなかったから、話半分に聞いていた。
派玖斗の事なら何でも知りたい。
「御曹司のこと、もっと教えて下さい」
「おっ? 摩夜ちゃんもいよいよ本気になってきた? 御曹司はドラフト会議の大穴だよ。チャンスはあるよ」
「いえ、そういうことではなく、ただ知りたいだけです。ちょっと知り合いに似ているので」
「ふーん。いいよ。じゃあ御曹司のこと調べておいてあげるよ」
派玖斗は秘書達の名簿を受け取ると、引き止める美女達を振り払って行ってしまった。
二年ぶりの再会だけど、摩夜に気付く気配もなかった。
……というより、派玖斗が摩夜を覚えているのかも怪しい。
手にハクが乗っていれば気付くのかもしれないけど。
でも気付かなくていい。
あの時の幸せなイメージのまま忘れてくれていい。
名簿を見ても気付かないだろう。
なぜなら……。
私は最後の日に嘘をついたのだ。
名前を聞かれて、咄嗟に出てしまった。
「行方……真昼です」
だって私は真昼になりたかったのだもの。
派玖斗といる間だけは、世界中に愛されている真昼の気持ちで過ごしたかったのだもの。
もう二度と会わないなら、あの一瞬だけは真昼になって幸福を感じたかった。
次話タイトルは「二年前のあの日」です